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下級審医療判例real estate

福岡地判平15.6.26
                  主    文
1 被告C事業団は,原告Aに対し,3635万1103円(ただし,1000万円の限度で被告Eと連帯して)及びこれに対する平成4年8月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告C事業団は,原告Bに対し,3635万1103円(ただし,1000万円の限度で被告Eと連帯して)及びこれに対する平成4年8月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被告Eは,原告Aに対し,被告事業団Cと連帯して,1000万円及びこれに対する平成4年8月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 被告Eは,原告Bに対し,被告C事業団と連帯して,1000万円及びこれに対する平成4年8月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
5 原告らの被告C事業団に対するその余の請求をいずれも棄却する。
6 訴訟費用は被告らの負担とする。
7 この判決は,第1項ないし第4項に限り,仮に執行することができる。
                  事実及び理由
(略)
第3 当裁判所の判断
1 事実経過
争いのない事実,前記基礎となる事実並びに証拠(甲18,28の(2),乙1ないし3,7の(1)ないし(5),8の(1)ないし(7),9の(1),(2),11の(1)ないし(9),証人L(以下「L証人」という。),証人S(以下「証人S」という。),証人M(以下「証人M」という。),証人I(以下「I証人」という。),証人O,証人R(以下「R証言」という。),証人Rの供述書(以下「R回答書」という。),原告A本人(第1,2回),被告E医師本人,鑑定人Rの鑑定の結果(以下「R鑑定」という。)及び弁論の全趣旨により認められる事実は,以下のとおりである。
(1) K眼科医院における外来受診(6月17日(水曜日))
亡F(当時17歳)は,視野狭窄を訴えて,北九州市内にあるK眼科医院を受診した。同医院における診察の結果,亡Fの視力は,右眼0.2,左眼0.03であり,視野検査において両耳側半盲が認められたため,亡Fは,同医院から,被告病院への紹介を受けた。
(2) 被告病院脳神経外科における外来受診(6月19日(金曜日))
(ア) 亡Fは,被告病院の脳神経外科において,L医師の診察を受けた。
被告病院において,頭蓋エックス線(単純写)及び頭部CT(単純写及び造影法)の検査が実施された。
L医師は,亡Fに月経がなく,小学生のころから肥満傾向があったとの問診結果,左眼視力の低下及び両耳側半盲の各所見,頭蓋エックス線検査においてトルコ鞍の拡大が認められたこと,並びに,頭部CT検査においてトルコ鞍の鞍上部に右側方伸展を伴う嚢胞性の腫瘤が認められたことを総合して,下垂体腺腫が最も疑われると考えた。
(イ) L医師は,亡F及び原告Aに対し,亡Fの疾患について,下垂体腺腫が最も疑われること,視力障害を軽減させる目的で速やかに手術を行う必要があること,検査,手術及び放射線治療により約3か月間を要することを説明し,被告病院への入院手続を行った。
また,L医師は,手術の方法として,鼻の裏側から進入して腫瘍に到達する方法を採る旨を告げ,経蝶形骨洞法(ハーディ法)の概略を説明した。
なお,L医師は,亡Fの疾患について,プロラクチン産生腺腫であるか否かという,下垂体腺腫の中の分類については言及しなかった。
(3) 被告病院への入院から本件開頭手術までの経緯
ア 6月22日(月曜日)
(ア) 亡Fは,被告病院脳神経外科に入院し,被告E医師が亡Fの主治医になった。
亡Fに対する問診の結果,13,4歳ころから肥満傾向があったこと,月経がないが,婦人科の診断では正常であると言われたこと,乳汁分泌があること,14歳ころから視力障害が出現し,徐々に増悪していること,平成4年になってから,朝方に強い頭痛が出現していることなどが認められた。
被告E医師は,亡Fに両耳側半盲が認められること,6月19日の頭部CT検査により,トルコ鞍内,鞍上部及び右側頭葉にかけて嚢胞性の腫瘤が認められ,腫瘍の一部に石灰化と造影効果が認められること,亡Fの年齢が若いこと,及び,肥満が認められるなどの上記問診の結果等を総合的に検討して,亡Fの疾患は,下垂体腺腫よりも頭蓋咽頭腫である可能性が高く,頭蓋咽頭腫が最も疑われ,その場合は,右前頭側頭開頭手術と放射線治療を行う必要があると考えた。
(イ) そこで,被告E医師は,亡F及び原告Aに対し,亡Fの疾患について,下
垂体腺腫も否定できないが,頭蓋咽頭腫が最も疑われること,頭蓋咽頭腫の場合は,開頭手術と放射線治療を行う必要がある旨を説明した。
(ウ) 同日,被告E医師は,全身麻酔検査,下垂体ホルモンの内分泌検査,頭部MRI検査,脳血管造影,頭蓋エックス線3方向撮影,トルコ鞍断層撮影,αフェトプロテイン値(AFP)及びヒト絨毛性ゴナドトロピン値(HCG)の測定を目的とする血液検査,眼科受診等を行う計画を立てた。
そして,被告E医師は,被告病院にMRI検査装置がないことから,原告Aに対し,被告病院以外の施設でMRI検査を実施することを依頼し,原告Aはこれを承諾した(その後,原告Aの紹介により,MRI検査は,6月26日に福岡県宗像市内にあるU病院で実施されることが決定した。)。
(エ) 原告Aは,亡Fの疾患が頭蓋咽頭腫であった場合,開頭手術の必要があるとの説明を受けたため,ショックを受け,被告病院からの帰宅途中に書店で文献を調べた。また,原告Aは,知人に相談して,H大学のI教授が開頭手術の権威であるとの情報を得た。
イ 6月23日(火曜日)
(ア) 6月23日朝の回診の前に,被告病院において,被告E医師,M部長,L医師を含む被告病院脳神経外科の医師らにより,6月19日に撮影された頭蓋エックス線(単純写)及び頭部CT(単純写及び造影法)のフィルムを見ながら協議を行うカンファレンスが行われた(なお,被告病院においては,毎週火曜日と金曜日にカンファレンスが行われていた。)。
そのカンファレンスにおいては,亡Fの疾患が下垂体腺腫か頭蓋咽頭腫のどちらかであろうという話はなされたが,結局,そのどちらであるかの診断はできなかった。また,亡Fの治療方法については,下垂体腺腫と頭蓋咽頭腫のいずれの場合であっても,開頭手術を行うという意見で一致した。
(イ) 原告Aは,6月23日午後,Mに対し,亡Fに対して開頭手術を行うに当たり,I教授に執刀してもらいたい旨を申し出たところ,Mは,これを承諾した。
その後,Mは,I教授に対し,亡Fの症状をトルコ鞍上方に伸展した腫瘍であり,下垂体腺腫か頭蓋咽頭腫のどちらかであると説明したうえで,開頭手術の執刀を依頼し,I教授はこれを承諾した。
(ウ) 同日,被告病院において,頭蓋エックス線3方向及びトルコ鞍断層撮影の検査,血液検査,肺機能検査並びに尿検査が実施された。
ウ 6月24日(水曜日)
(ア) 被告病院において,尿検査及び血液検査が行われた。血液検査は,トルコ鞍上部の奇形腫との鑑別のためのαフェトプロテイン値(AFP)と,絨毛癌との鑑別のためのヒト絨毛性ゴナドトロピン値(HCG)を測定する目的で行われた。
なお,αフェトプロテイン値(AFP)は6月25日に,ヒト絨毛性ゴナドトロピン値(HCG)は6月29日に,それぞれ正常値であることが判明した。
(イ) 亡Fは,被告病院眼科を受診した。
眼科受診の結果,亡Fの視力は,右が1.0,左が0.02であり,対光反応(直接)は,右が迅速・完全,左が遅鈍,不完全であり,対光反応(間接)は,右が遅鈍・不完全,左が迅速・完全であった。視野は,両耳側半盲であった。また,左視神経萎縮が認められたが,右視神経はやや蒼白程度で,正常範囲内と認められた。
エ 6月26日(金曜日)
(ア) 被告E医師は,6月26日朝,「下垂体腺腫又は頭蓋咽頭腫疑いの患者です。」との趣旨を記載したMRI検査依頼書を作成し,原告Aに交付した(なお,上記MRI検査依頼書の写しは,被告病院の外来診療録(乙1)に綴じられていた。)。
亡Fは,同日午前9時から同月29日午後零時50分ころまでの間,被告病院の許可を受けて外泊した。
亡Fは,6月26日,U病院において,頭部MRI検査を受けた(争いがない)。
(イ) 原告Aは,同日夕方,同日に撮影されたMRIフィルムを被告病院に持参し,被告E医師に交付した(争いがない)。
(ウ) 被告E医師は,原告Aに対し,頭部CT検査,トルコ鞍断層撮影,頭部MRI検査の各結果や亡Fの症状などを総合すると,亡Fの疾患は下垂体腺腫が疑われること,治療方法としては,右眼の視力の温存を図るため,右前頭側頭開頭手術による減圧が必要であることを説明した。
そして,被告E医師は,原告Aに対し,脳血管造影検査の合併症,開頭手術の合併症(麻酔による合併症,再出血,痙攣,脳浮腫,感染,尿崩症,内分泌的異常,精神症状),左眼の視力の回復は困難であるが,右眼の視力の温存が開頭手術の目的であること,開頭手術により,視野の回復は少し期待できることなどを説明した。
また,被告E医師は,原告Aに対し,I教授の執刀を希望する意思を維持するかどうかを確認した。
なお,この段階で,被告E医師は,亡Fの疾患について,下垂体腺腫が疑われると判断していたものの,プロラクチン産生腺腫であるとの診断には至っていなかった。
オ 6月27日(土曜日)
(ア) 亡Fは,前日に引き続き,U病院において,MRI検査を受けた(争いがない)。
(イ) U病院のMRIの読影を行ったWが作成した,6月27日付けのMRI検査結果報告書(甲28の(2))には,「嚢胞性成分を有していますが,固形の部分が多く,造影のされ方も下垂体腺腫所見で,側方伸展等からも頭蓋咽頭腫らしくはありません。ただし,20才未満とすれば,発生頻度から後者の可能性も完全には否定できないと考えます。左内頸動脈は外側へ圧排されているのみですが,右内頸動脈は腫瘍によって完全に取り囲まれています。嚢胞性成分の一部に液性のレベルがあり,過去に出血を起こしていたと考えられます。」との趣旨が記載されていた。
カ 6月30日(火曜日)
(ア) 被告病院において,血中プロラクチン値及び抗利尿ホルモン値(ADH)の測定を目的とした血液検査,並びに,脳血管造影検査が実施された。
(イ) 被告E医師は,脳血管造影検査の結果,両側A1(血管)が挙上されていること,右内頸動脈の先端が狭小化していること,側方への偏位があること,浸潤が認められること,サイフォン部の開大について,右が左より大きいこと,左後交通動脈壁が不整であることを判断した。
(ウ) 被告E医師は,原告Aに対し,手術の危険性,特に,術後に眼球運動障害が起こる可能性があることについて説明した。
キ 7月1日(水曜日)
(ア) 亡Fに対する開頭手術は,7月9日に実施されることとなった(争いがない)。
亡Fは,7月1日から7月6日まで外泊許可を受け,7月1日午後1時30分ころから,原告ら家族と共に外泊した。
(イ) 亡Fの外泊期間中である7月4日ころ,執刀医のI教授の都合により,亡Fの開頭手術の実施日が7月7日に変更されることとなり,原告らはその旨の連絡を受けた。
ク 7月6日(月曜日)
(ア) 亡Fは,7月6日午前8時30分ころ,外泊から帰院した。
(イ) Mは,原告らに対し,手術当日(7月7日)のスケジュールについて説明した。
原告Bは,その際,Mに対し,手術への立会いの許可を求めたが,同人はこれを拒否した。
(ウ) 7月6日,亡Fに対する血中プロラクチン値及び抗利尿ホルモン値(ADH)の検査(6月30日実施)の結果が判明した。抗利尿ホルモン値(ADH)は正常値であったが,血中プロラクチン値は,1800ng/mlであり,基準値である1.4ないし14.6ng/mlをはるかに上回る数値であった。
(なお,亡Fの血中プロラクチン値の検査結果が原告らに伝えられたのは,7月7日の本件開頭手術後であった。)
(4) 本件開頭手術の実施(7月7日(火曜日))
ア 本件開頭手術の経過
7月7日,被告病院において,右前頭側頭開頭(プテリオナルアプローチ)による腫瘍亜全摘出手術(本件開頭手術)が実施された。
亡Fの硬膜の切開から硬膜の閉鎖直前までの,顕微鏡を用いた手術操作等は,執刀医であるI教授が行ったが,それ以外の操作は,補助医師であるMと被告E医師が行った。
なお,I教授は,7月6日までの間に,Mが持参した亡Fの頭部CTフィルムや頭部MRIフィルムを見ていたが,I教授が亡Fの血中プロラクチン値を知ったのは,7月7日の本件開頭手術直前のことであった。
本件開頭手術の経過は,概ね以下のとおりである。
(ア) 午前9時,亡Fは,手術室に入室し,午前10時25分から,本件開頭手術が開始された。
(イ) 亡Fを仰臥位にして,頭部を固定フレームで4点固定し,左へ約30度回転し,消毒し,滅菌した布で包んだ。
(ウ) 皮膚切開は,右外耳孔前方1横指から正中線を越える切開とし,皮膚を翻転した。
帽状健膜,筋肉を同時に電気メスで切開,翻転し,骨を露出させた。
穿頭孔を4か所設け,骨弁を外し,硬膜を露出させ,数か所に硬膜の吊り上げ固定を施した。
(エ) 硬膜を切開し,顕微鏡操作に入った。
シルビウス裂の前頭葉側でくも膜に切開を加え,深部に達すると,右視神経及び右内頸動脈が確認され,その両側に腫瘍が見えた。
鞍上部の腫瘍の一部は,青黒く透見でき,この部分に割を入れると古い出血が流出した。
視神経,内頸動脈と剥離しながら,一固まりずつ腫瘍を摘出していった。
この際,主に,上方からと右内頸動脈と視神経の間からの2方向から接近していった。
出血は中等量であったが,左寄りの視交叉部での癒着が強く,この部分は透き通って見えるほど菲薄化していた。
視神経,内頸動脈ともに,腫瘍により上方に強く圧排されており,右視神経は主に右A1(血管)によって圧痕が付いており,左視神経は左内頸動脈により分割されていた。
また,内頸動脈の穿通枝が腫瘍表面に癒着していたが,これらはバイポーラという器具を用いるなどして剥離された。
下垂体茎は,腫瘍摘出操作中に切断された。
腫瘍のうち,トルコ鞍の鞍上部に伸展した腫瘍は,正常組織と癒着している被膜部分を除いて,被膜ごと切除され,鞍上部の腫瘍の約8割程度が摘出された。
中頭蓋窩の腫瘍(硬膜外)の最も内側は青く見え,右動眼神経がここに入っていくのが確認され,海綿静脈洞と推定されたので,その外側で硬膜を一部切開したが,静脈血が流出してきたため,ビオボンド,オキシセルで止血し,さらに外側で硬膜を切開し,嚢胞内容液のみ吸引し,さらに積極的な操作は加えなかった。
そのため,トルコ鞍の外側部(海綿静脈洞の上部)に認められた血腫状の腫瘍は,吸引を試みたが,十分に摘出できなかった。
(オ) 腫瘍断端からの止血を十分確認し,硬膜外ドレーンを挿入し,皮下を絹糸,皮膚をナイロン糸でそれぞれ縫合し,手術を終了した。
手術が終了したのは,午後3時5分であり,手術時間は4時間40分であった(提出された本件開頭手術のビデオテープ(乙24の(1)及び(2))は,そのうちの約2時間26分のみが録画されている。)。
(カ) なお,本件に提出された証拠に基づく限りでは,本件開頭手術において,病理標本が2個採取されたが,病理組織検査の結果は存在しない。同検査結果が存在しない理由は明らかではなく,同検査が実施されたかどうかも不明である。
イ I教授は,午後2時ころ,手術室から退室し,原告らに対し,本件開頭手術について,トルコ鞍の鞍上部の腫瘍は8割程度摘出できたこと,視神経の減圧という目的は達成したことなどを説明した。
ウ 被告E医師は,午後7時30分ころ,原告らに対し,本件開頭手術について,腫瘍は8割程度摘出できたと思われること,右動眼神経の周囲に腫瘍が強固に癒着していたため,その部分の腫瘍は無理に切除しなかったが,視交叉部の周囲の腫瘍は概ね切除できたことなどを説明した。
被告E医師は,その際,亡Fの手術前の血中プロラクチン値が1800ng/ mlであったことを告げ,亡Fの腫瘍がプロラクチン産生腺腫であったことを説明した。
(5) 本件開頭手術後,脳梗塞による外減圧開頭手術までの経緯
ア 7月7日(火曜日)(本件開頭手術後)
(ア) 本件開頭手術終了後の午後3時45分ころ,亡Fは,硬膜外ドレーンを挿入した状態で,集中治療室(ICU)に入室した。
(イ) 午後5時20分ころ,左手の握手が弱いことが認められた。
(ウ) 午後6時30分ころ,JCS分類で意識レベル10の意識状態であり,軽度の右眼瞼下垂が認められた。眼球運動は,十分に内転することができなかった。
(エ) 午後6時45分ころ,左膝の膝立てがやや緩慢であることが認められた(午後10時30分ころにも,同様の状態が認められた。)。
(オ) 午後9時ころ,右眼の眼瞼下垂は改善された。眼球運動については,上下転・内転ともにできるが不十分であった。
(カ) 午後11時30分ころ,再び,軽度の右眼瞼下垂が認められた。眼球運動はほぼ正常であった。尿崩症は認められなかった。
イ 7月8日(水曜日)
(ア) 午前1時50分ころ,尿崩症の症状が認められたため,被告E医師の事前の指示に基づいて,インダシンが投与された。
(イ) 午前5時ころ,尿崩症の症状が認められたため,被告E医師の事前の指示に基づいて,水溶性ピトレッシンの投与が開始された。
(ウ) 午前6時ころ,左膝の膝立てがやや緩慢であることが認められた(午前9時25分ころにも,同様の状態が認められた。)。
(エ) 午前9時ころ,意識は清明であり,眼球運動は正常であった。
午前9時30分ころ,硬膜外ドレーンが抜去され,亡Fは,午前10時ころ,集中治療室から一般病室に移動した。
(オ) 午前11時30分ころ,CT検査(単純)が実施された。
CT検査の結果,右視床部に直径約5ミリメートルの小梗塞巣(CT上は小さい低吸収域)が発生し,右大脳半球が軽度に腫脹していたことが認められた。
そこで,被告E医師の指示により,脳浮腫改善剤であるソルメドロール(ステロイド剤)の投与が開始された。
(カ) 午後2時ころ,左膝の膝立てがやや緩慢であることが認められ,午後5時ころ及び午後8時ころにも同様の状態が認められた。
ウ 7月9日(木曜日)
(ア) 午前6時ころ,両離握手はできるが,左膝の膝立てが緩慢であることが認められた。
(イ) 午後2時ころ,左手の握手が弱く,左膝の膝立てができないことが認められた。
(ウ) 午後5時ころ,亡Fは,面会に来た友人と,笑顔で会話をしていた。
(エ) 被告E医師は,同日,亡Fに軽い構語障害があることを認めたが,一般的に,構語障害は右視床部の障害ではなく,左視床部の障害に起因することから,右視床部の小梗塞に由来する症状かどうかが不明確であると判断し,入院診療録に,「構語障害か?視床性失語か?」との趣旨を記載した。
また,尿崩症に対する治療を継続した。
エ 7月10日(金曜日)
(ア) 午前6時ころ,左手の握手が弱く,左膝の膝立てができないことが認 められた。
(イ) 亡Fに左半身麻痺の症状が認められたため,午前10時45分ころ,頭部CT(単純)検査が実施された。
CT検査の結果,右基底核から視床部に低吸収領域(点)が認められたほか,右中大脳動脈領域に淡い低吸収が認められ,右中大脳動脈領域に脳梗塞が発生していることが判明した。
(ウ) 午後零時ころ,ステロイドで,脳浮腫を軽減する効果のあるリンデロン8ミリグラムの投与が開始された。
(エ) 午後1時ころ,被告E医師は,原告Aに対し,脳梗塞が発生している旨を説明した。
(オ) 午後2時ころ,意識は清明であったが,左上下肢ともに,右に比べて運動が緩慢であった。
くも膜下出血後の脳血管攣縮に対する治療薬であるフサン40ミリグラムが投与された(以後,フサン40ミリグラムは,1日4回投与する指示がなされた。)。
(カ) 午後4時ころ,右中大脳動脈領域の脳梗塞に対する治療として,脳圧降下剤であるグリセオール200ミリリットルの投与が開始された(以後,グリセオール200ミリリットルは,1日3回投与する指示がなされた。)。
(キ) 午後5時10分ころ,亡Fの意識は清明であり,面会に来た友人と談話をしていた。
(ク) 亡Fの右中大脳動脈領域に発症した脳梗塞の原因について,被告E医師は,Mら被告病院の医師と検討の結果,強い血管攣縮が起きた可能性,又は,本件開頭手術の腫瘍摘出に際し,内頸動脈をかなり動かしたために血栓を形成した可能性が考えられると判断した。
オ 7月11日(土曜日)
(ア) 午後8時ころ,亡Fは,声かけに対し,返答はしたが,閉眼のままであった。
(イ) 同日,被告E医師は,亡Fの左半身麻痺の症状が変わらず認められ,左上下肢に少し触れるだけで,ビリビリした痛みが起きることを確認した。
カ 7月12日(日曜日)
(ア) 午後2時30分ころ,亡Fは,声かけに対し,閉眼のまま返事をした。亡Fは,原告Aと会話をしていた。
(イ) 午後6時ころ,亡Fは,閉眼のまま,「気持ち悪ーい。」(看護記録(乙3)の記載のまま。)と言い,また,原告Aと会話をしていた。
(ウ) 午後7時50分ころ,亡Fは,呼名され,開眼を促されても,右眼を開眼するのみであった。
(エ) なお,同日の入院診療録(乙2)に,亡Fの脳梗塞について診察に基づく所見はなく,指示事項表(乙2)にも何ら記載がなかった。
キ 7月13日(月曜日)
(ア) 午前2時ころ,亡Fは,呼名されても,開眼せず,返答もはっきりしない状態であり,頭痛の有無を問われ,「ない。」と答えた。
原告Aは,被告病院の看護婦に対し,亡Fが,先刻まで「頭の中が痛い。」と言っていた旨を話した。
(イ) 午前4時ころ,亡Fは,呼名されても,閉眼のまま「ん?」と返答するのみであり,質問に対して返答しないで,入眠した。
(ウ) 午前6時ころ,亡Fは,呼名されても,開眼せず,返答もせず,やや落ち着きなく右上肢で顔,腹,胸部をさすっていた。気分不良の有無の質問に対し,やや首を振る返答が見られた。また,左上下肢を触れても反応が見られず,痛刺激を与えても反応が見られなかった。
原告Aは,被告病院の看護婦に対し,「昨晩から何も話してくれてない。」と話した。
(オ) 午前8時ころ,亡Fは,呼名されても,返答をせず,右手の離握手で応じる状態であった。左上下肢に痛刺激を与えても,渋面が見られなかった。
(カ) 被告E医師は,亡Fに左半身麻痺の症状を認めたほか,JCS分類で意識レベル100の半昏睡の意識状態に低下し,浅速呼吸であることを認め,午前9時30分ころ,頭部CT(単純)検査を実施した。
CT検査の結果,右中大脳動脈領域に低吸収域があり,著明な脳浮腫及び右から左への正中偏位が認められ,7月10日のCT検査所見より増悪していることが判明した。
(キ) 午前11時30分ころ,被告病院において,右中大脳動脈領域の術後脳梗塞による外減圧開頭手術を行うことが決定された。
(ク) 午後零時10分ころ,マスクにて,酸素5リットル/分の吸入が開始され,午後零時30分ころには,酸素が7リットル/分に増量された。
(6) 外減圧開頭手術の実施(7月13日(月曜日))
ア 7月13日午後1時30分ころから,被告病院において,Mと被告E医師により(執刀医はM),亡Fの右中大脳動脈領域の術後脳梗塞による外減圧開頭手術が実施された。
外減圧開頭手術の経緯は,概ね以下のとおりである。
(ア) 亡Fを仰臥位に寝かせ,約60度左へ回転し,馬蹄型ヘッドレストに頭部を固定し,イソジンで消毒し,滅菌した布で包んだ。
(イ) 本件開頭手術の皮膚切開を利用したうえで,さらに後方へ皮膚切開を延長し,骨を露出させた。後方に新たに2か所の穿頭孔を設け,さらに正中側へも開頭を広げ,骨弁を外した。
(ウ) 頭蓋内圧の亢進のため,硬膜の緊張度は著明に高く,石のように硬かった。過換気,マントール,ラボナールにて,若干緊張度(圧)が下がったので,硬膜を切開し,人工硬膜を数枚当てて,疎(loose)に縫合した。その際,一部に筋膜を使用した。
(エ) 皮下にポーティナーを挿入し,皮下,皮膚を2層に縫合し,午後3時 55分ころ,手術が終了した(麻酔の終了は午後4時15分であった。)。亡Fは,午後4時20分ころ,集中治療室に入室した。
イ 外減圧開頭手術後,経口気管内挿管から,経鼻気管内挿管による人工呼吸器装着に変更された。
午後7時ころ,亡Fの意識レベルは,JCS分類で意識レベル10の意識状態まで回復した。
(7) 外減圧開頭手術後の経緯
ア 7月14日(火曜日)
亡Fには,左半身麻痺の症状が認められたものの,JCS分類で意識レベル10ないし20の意識状態であり,指示に正しく反応する程度に回復した。
午後2時30分ころ,頭部CT(単純)検査が実施された。同検査によれば,外減圧開頭部から脳が膨隆し,正中偏位が軽減したことが認められた。
イ 7月15日(水曜日)
亡Fに,左半身麻痺の症状が認められ,開眼できない状態であったが,うなずいて返答したり,右手離握手に応じることはできる状態であった。
ウ 7月16日(木曜日)
亡Fの意識状態は悪化し,JCS分類で意識レベル100ないし200の深昏迷の意識状態であり,開眼ができず,指示にも反応しない状態となった。
頭蓋内圧亢進も認められた。
そこで,同日から,バルビツレート療法(ネンブタールを投与し,脳の代謝を抑えることで脳を保護し,かつ,頭蓋内圧を下げる治療方法)を実施することとなった。
午前9時20分ころ,Mは,原告Aに対し,救命措置のため,人工呼吸器を装着したうえで,ネンブタールという脳保護作用を有する薬を投与するバルビツレート療法を実施することを説明し,原告Aの同意を得た。
その際,被告E医師は,原告Aに対し,バルビツレート療法によって治療が長期化するため,今後,気管切開をする必要が生じるであろうことを説明したが,この時点では,気管切開を行うことについての同意までは求めなかった。
エ 7月17日(金曜日)から7月20日(月曜日)まで
バルビツレート療法は,7月20日の午前9時ころまで続けられた。バルビツレート療法の結果,亡Fの外減圧開頭部(骨欠損部)は柔らかくなり,7月20日には,骨縁部の触知が容易になった。
7月18日ころから,軽度の消化管出血が認められた。
また,7月20日に実施された血液検査の結果,血小板値が低下しており(9万5000/μl(マイクロリットル。以下「μl」と表示する。)),このころから,汎発性血管内凝固症候群(DIC。以下「DIC」という。)の徴候が認められるようになった。
オ 7月21日(火曜日)
亡Fは,深昏睡状態であった。
亡Fの外減圧開頭部(骨欠損部)は柔らかいまま維持していた。
亡Fの口腔内に膿分泌が認められたため,数回にわたり,吸引が行われた。
カ 7月22日(水曜日)
亡Fは,JCS分類で意識レベル300の意識状態であった。
亡Fの外減圧開頭部(骨欠損部)の緊張度(圧)は,さほど高くなかった。
午前9時55分ころ,胸部エックス線検査が実施され,左肺が無気肺の状態であることが認められた。また,気管内チューブがやや深く入っていたため,同チューブを約2センチメートル引き抜いて再固定する措置が施された。
午後零時20分すぎには,気管支ファイバーにより,中等量の粘調痰が認められたため,喀痰の吸引が行われた。
同日実施された血液検査の結果,血小板値がさらに低下していた(4万5000/μl)。
原告Aは,被告E医師に対し,亡Fに対する気管切開の実施を依頼したが,DICの徴候が認められたため,気管切開の実施は見送られた。
キ 7月23日(木曜日)
亡Fは,JCS分類で意識レベル300の意識状態であった。
午前9時10分ころ,胸部エックス線検査が実施され,無気肺は認められなかったが,肺炎への罹患が顕在化したため,抗生剤等を投与して治療が行われた。
多量の膿汁痰が認められたため,数回にわたり,喀痰の吸引が行われた。
ク 7月24日(金曜日)
亡Fは,JCS分類で意識レベル200の意識状態であり,痛み刺激に対し,左上肢が右上肢より弱いものの,反応が認められた。
亡Fの外減圧開頭部(骨欠損部)の緊張度(圧)は,中等度であり,昨日までより高くなっていた。
同日も,多量の膿汁痰が認められたため,数回にわたり,喀痰の吸引が行われた。
また,同日実施された血液検査の結果,血小板値が3万9000/μlであったため,血小板輸血が行われた。
ケ 7月25日(土曜日)
(ア) 7月23日に採取された亡Fの喀痰についての一般細菌検査の結果,メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA。以下「MRSA」という。)に感染していたことが判明した。
そのため,投与する抗生剤が,ミノマイシンとチェナムへ変更された。
痛み刺激に対して,動作が認められた。
(イ) 午後7時15分ころ,O医師により,気管内チューブが約3センチメートル引き抜かれ,右の鼻腔から24センチメートルの深さまで同チューブが挿入された状態で再固定された。
(ウ) 午後7時55分ころ,O医師により,気管内チューブの交換が実施された。
交換を開始する際の亡Fの自発呼吸は,1分間に34回であり,補助的に,1分間に6回の割合で人工呼吸器による間欠的強制換気がなされている状態であった。
O医師は,ファイバー挿管の方法を採ることとし,パルスオキシメーターや自動血圧計等を装着させたうえで,左鼻から声帯付近までファイバーを挿入し,胃管チューブ及び古い気管内チューブを抜去したが,右鼻から挿入されていた古い気管内チューブを抜去した際,舌根が沈下したため,声帯を確認することができなくなってしまい,ファイバーを声帯に挿入することができなくなった。
その後,O医師は,亡Fの気道を確保したうえで,午後9時ころまで,約1時間かけてファイバーの挿入を試みたが,結局挿入することができなかった。
午後9時ころ,最高血圧が80程度まで低下し,不整脈が出現したため,エホチール2ミリグラムが投与された。
午後9時15分ころ,O医師は,気管内チューブの挿入方法を筋弛緩剤を用いる方法に変更することとし,筋弛緩剤のサクシン80ミリグラムを投与し,マギール鉗子を用いて気管内チューブを挿入し,気管内チューブの交換が終了した。
交換後,サクシンにより,一時的に呼吸停止状態をきたすため,人工呼吸器により,1分間に20回の割合による強制換気を行った。また,アンビューバッグによる用手加圧が行われた。
(エ) 午後10時ころ,亡Fに1分間に50回の自発呼吸が認められ,人工呼吸器は,1分間に6回の割合による間欠的強制換気に切り替えられた。
午後10時45分ころに実施された血液検査の結果,動脈血中酸素分圧は124mmHgであり,良好な状態であった。
7月26日朝までの間,3回にわたり,アンビューバッグによる用手加圧が行われた。
コ 7月26日(日曜日)
亡Fの右半身に,痙攣が出現したため,抗痙攣剤(アレビアチン)が投与された。
亡Fの外減圧開頭部(骨欠損部)の緊張度(圧)は,やや高くなってきていた。
サ 7月27日(月曜日)
両眼球及び右上肢の痙攣が認められた。
亡Fの外減圧開頭部(骨欠損部)の緊張度は,さほど高くはなかった。
同日実施された血液検査の結果,血小板値が低下しており(6万9000/μl),FDP値及びD−ダイマー値が上昇していたことから(FDP値が10ないし20μg/ml(マイクログラム・パー・ミリリットル。以下「μg/ml」と表示する。),D−ダイマー値が4.0μg/ml),DICであることが確認された。
7月27日に実施された亡Fの喀痰の一般細菌検査の結果,MRSAが陰性化したことが判明した(その後,7月29日,8月4日に採取された喀痰からも,MRSAは検出されず,7月29日に採取された膿皮症の膿からもMRSAは検出されなかった。)
シ 7月31日(金曜日)
同日実施された血液検査の結果,血小板値は9万6000/μl,FDP値が40ないし80μg/ml,D−ダイマー値が8ないし16μg/mlであり,DICの増悪が認められた。
ス 8月3日(月曜日)
原告らの依頼により,N大学のP医師(元脳外科教授)とQ医師(麻酔科助教授)が被告病院に来院し,Mから病状の説明を受けた。
セ 8月5日(水曜日)
気管支ファイバーによる観察の結果,分泌物により,気管内チューブが狭窄していることが認められた。
そのため,原告Bの承諾を得たうえで,気管切開が実施された。
(なお,被告E医師は,8月1日から8月5日までの間,夏期休暇を取得していたため,気管切開は,Mにより行われた。)
(8) N大学病院救命救急センターへの転院(8月7日(金曜日))及び亡Fの死亡(8月8日(土曜日))
8月7日,亡Fは,家族の申出により,N大学病院救命救急センターに転院することとなり,午後6時30分ころ,同病院に搬入された。
搬入時,亡FはJCS分類で意識レベル200ないし300程度の意識状態であり,血圧は90/50mmHg,脈拍は117(回/分),自発呼吸はほとんどない状態であった。
翌8月8日午前零時20分ころ,血圧が低下し,徐脈が出現し,すぐに心停止状態に陥ったため,心マッサージや投薬が実施されたが,亡Fは,同日午前1時33分,死亡した。
亡Fの死因は,急性の頭蓋内圧亢進により,呼吸不全及び循環不全をきたし,徐脈が出現し,心停止状態に陥ったことによるものであった。
2 事実経過に関する認定の補足説明
(1) 6月19日のL医師による説明内容について
ア L医師の6月19日における亡Fの疾患に関する説明内容について,原告らは,同医師が,亡Fの疾患がプロラクチン産生腺腫であるとの説明をしたと主張し,被告らは,L医師はプロラクチン産生腺腫には言及しなかったと主張する。
L医師は,証人尋問において,亡Fの疾患がプロラクチン産生腺腫であるとまでは考えておらず,乳汁分泌の有無について問診をしなかったし,プロラクチン産生腺腫であるとの説明もしていない旨を供述しているところ,被告病院の外来診療録(乙1)に,プロラクチン産生腺腫の典型的な臨床症状である乳汁分泌の有無についての問診の結果が記載されていないこと,同診療録の6月19日の欄に「下垂体腺腫が一番疑われる」との趣旨が記載されているにとどまり,プロラクチン産生腺腫については記載がないことに照らし,上記証言は信用するに足りるというべきである。
この点につき,原告Aは,本人尋問(第1回)において,6月19日にL医師からプロラクチン産生腺腫という病名を告げられたか否かは不明確であるものの,説明された内容は,プロラクチン産生腺腫の内容であった旨を供述しているが,原告Aは,本人尋問(第2回)において,L医師から下垂体腺腫の中の詳しい分類名の説明はなかったとも供述しており,供述内容があいまいであることから,原告Aのこの点に関する供述部分を採用することはできない。
そうすると,前記認定のとおり,L医師は,6月19日,亡Fの疾患につき,下垂体腺腫が最も疑われると説明したが,それがプロラクチン産生腺腫であるか否かについては,言及しなかったものと解するのが相当である。
イ L医師の6月19日における手術方法に関する説明内容について,原告らは,同医師が,経蝶形骨洞法(ハーディ法)を採る旨を説明したと主張し,被告らは,L医師が,経蝶形骨洞法には言及していないと主張する。
原告Aは,本人尋問(第1,2回)において,6月19日に,L医師から,鼻の裏側から進入して腫瘍に到達する手術方法を採り,術後は1週間程度で歩けるようになるが,術後の治療で1か月程度の入院が必要になるなどの説明を受け,比較的安心していたため,同日から亡Fが入院するまでの3日間は知人に相談していなかったこと,6月22日になって,被告E医師から,開頭手術の必要があるとの説明を受けてショックを受け,書店で文献を調べ,さらには,知人に相談して,H大学のI教授が開頭手術の権威であるとの情報を得たこと,翌23日に,Mに対し,I教授の執刀による手術を希望する旨を申し出たことを供述しているところ,上記供述は首尾一貫しており,原告Aが6月23日にI教授による手術を依頼するに至った経緯として不自然,不合理な点が認められないから,原告Aの上記供述部分は,信用することができるというべきである。
この点につき,被告病院の外来診療録(乙1)には,L医師の6月19日の説明内容として,「検査,治療(手術と放射線治療)で約3か月必要」と記載されており,L医師は,証人尋問において,経蝶形骨洞手術の場合には,順調にいけば約1か月前後の入院が必要であるにすぎないが,開頭手術の場合には,その後の治療も含めて約3か月の入院が必要である旨を証言している。しかし,L医師は,証人尋問において,6月19日の時点で開頭手術が必要であると考えていたと証言しているものの,同日に,開頭手術の必要があると説明したとは証言していないこと,乙1の上記記載は,手術前の検査から手術後の放射線治療の終了までを含めて約3か月間の治療期間を要するという趣旨とも理解することが可能であり,経蝶形骨洞手術の場合の入院期間が約1か月前後であるというL医師の認識を前提とした場合と,必ずしも矛盾するものではないといえること,被告病院において,平成4年当時,下垂体腺腫の治療として経蝶形骨洞手術が行われていたこと(L証人,被告E医師本人)に鑑みれば,経蝶形骨洞法を採るとの説明をしていないというL医師の上記証言を,たやすく信用することはできない。
そうすると,L医師は,6月19日,亡Fに対する手術の術式として,鼻の裏側から進入して腫瘍に到達する方法を採るなどと,経蝶形骨洞法の概略を説明したものと解するのが相当である。
(2) 6月23日のカンファレンスの内容及び同日の説明内容について
ア 被告らは,6月23日朝のカンファレンスにおいて,無月経,乳汁分泌の臨床症状と,同月19日に撮影された頭蓋エックス線(単純写)フィルム,頭部CTフィルムにより,トルコ鞍の拡大,トルコ鞍の鞍上部及び側頭部に伸展した腫瘍性病変が認められることから,下垂体腺腫の可能性が高いと判断された旨を主張し,被告E医師の本人尋問における供述もこれに沿う。
しかしながら,Mは,証人尋問において,6月23日のカンファレンスでは,亡Fの疾患が下垂体腺腫と頭蓋咽頭腫のどちらかであろうという話はしたが,そのどちらであるかは判別できなかった旨を証言しており,L医師も,証人尋問において,同日のカンファレンスでは,頭蓋咽頭腫ではないかという話は出たが,下垂体腺腫とのどちらであるかという議論のところまではいかなかった旨を証言していること,同日のカンファレンスより後に出張手術の依頼を受けたI教授も,証人尋問において,Mから,患者の疾患が下垂体腺腫と頭蓋咽頭腫のどちらかであると思われると説明された旨を証言していることに鑑みれば,同日のカンファレンスでは,亡Fの疾患が下垂体腺腫と頭蓋咽頭腫のどちらかであろうという話がなされたにとどまり,そのどちらであるかの診断には至らなかったものというべきである。
そうすると,被告E医師の上記供述を採用することはできず,他に被告主張の事実を認めるに足りる証拠はないから,被告らの上記主張を採用することはできない。
イ また,被告らは,被告E医師が,6月23日,頭蓋咽頭腫より下垂体腺腫の可能性がかなり高くなったと説明した旨を主張するが,これを認めるに足りる証拠はなく,被告らの主張を採用することはできない。
(3) 6月26日の被告E医師の診断及び説明内容について
ア 被告らは,被告E医師が,6月26日,亡Fの腫瘍について,プロラクチン産生腺腫であるとの診断までできていたと主張する。
この点につき,被告E医師は,本人尋問において,6月26日に,同日撮影されたMRIフィルムを見たうえで,下垂体腺腫であろうと意を強くしたものであり,無月経や乳汁分泌という臨床症状を総合的に考慮するとプロラクチン産生腺腫であると判断し,下垂体腺腫でプロラクチン産生腺腫であると説明したと供述しており,被告病院の入院診療録(乙2)の6月26日の欄には,被告E医師の原告Aに対する説明内容として,「診断はCT,断層撮影,MRI,症状を総合すると下垂体腺腫(プロラクチン産生腺腫)であろう」「術後プロラクチンの下がり方を見てハーディ法を検討する」との趣旨が記載されている。
しかしながら,被告E医師は,6月22日の時点では,亡Fに無月経と乳汁分泌というプロラクチン産生腺腫に特徴的な臨床症状があることを前提にしながら,下垂体腺腫よりも頭蓋咽頭腫が疑われると判断していたものであり(被告E医師本人),頭部MRI検査等の画像所見からは,下垂体ホルモンを分泌するものかどうかを判断することはできないものであるから,無月経と乳汁分泌という症状が認められることから直ちに,プロラクチン産生腺腫であると判断することはできないというべきであり,被告E医師の上記供述や入院診療録の上記記載部分をにわかに信用することはできない。
むしろ,プロラクチン産生能を有しない下垂体腺腫(非機能性腺腫)は,ほぼ全例が大型下垂体腺腫(マクロアデノーマ)であり,大半が鞍上部伸展を伴い,大半の患者は視力視野障害を主訴としており,頭蓋エックス線検査(単純写)上,トルコ鞍の風船様拡大(バルーニング),鞍背の菲薄化,鞍底の破壊がみられること(甲11),頭蓋咽頭腫や非機能性腺腫であっても,無月経や乳汁分泌という高プロラクチン血症が現れる場合があるが,これらの原因による場合の血中プロラクチン値は通常200ng/mlを上回ることはなく,200ng/ml以上の高値の場合はプロラクチン産生腺腫の可能性が高いと解されること(甲10,11,14,16,17)に鑑みれば,プロラクチン産生腺腫であるとの確定診断をするためには,画像診断(頭蓋エックス線検査,頭部CT,頭部MRI)を実施するだけではなく,下垂体ホルモンの内分泌検査により血中プロラクチン値を測定したうえで,総合的に判断する必要があるものと解される。
本件においても,亡Fに無月経や乳汁分泌の症状が認められるからといって,必ずしもプロラクチン産生腺腫であるとは限らないのであるから,下垂体ホルモンの内分泌検査が実施されていない6月26日時点において,亡Fの疾患がプロラクチン産生腺腫であるとの確定診断をすることはできなかったというべきである。
したがって,前記認定のとおり,被告E医師は,6月26日時点において,亡Fの疾患がプロラクチン産生腺腫であるとの診断には至っていなかったものと解されるから,被告らの主張を採用することはできない。
なお,被告E医師が,原告Aに対し,同日,亡Fの疾患がプロラクチン産生腺腫であると説明したとの被告らの主張も,同様の理由により,採用することができない。
イ 原告らは,被告E医師が,原告Aに対し,6月26日,亡Fの疾患が頭蓋咽頭腫であると説明したと主張し,原告Aは,本人尋問(第1,2回)において,同日,被告E医師から,下垂体腺腫も否定できないが,頭蓋咽頭腫が最も考えられるとの説明を受けた旨を供述している。
前記認定のとおり,6月23日のカンファレンスにおいては,亡Fの疾患が下垂体腺腫か頭蓋咽頭腫のどちらかであろうという話がなされたが,そのどちらであるかの診断はできなかったものであり,被告E医師は,トルコ鞍断層撮影等(6月23日)を実施した後の6月26日朝に,MRI検査依頼書に「下垂体腺腫又は頭蓋咽頭腫疑いの患者です。」との趣旨を記載しており,その時点では,上記のどちらであるかの診断はできていなかったことが窺われるから(なお,被告E医師は,証人尋問において,6月26日付けのMRI検査依頼書を6月22日に作成したと供述するが,同医師が同日に作成したと供述する血管造影照射録の臨床診断の欄には「脳腫瘍(頭蓋咽頭腫)」と記載され,眼科診療依頼書には「頭蓋咽頭腫術前の患者です。」と記載されていること,及び,MRI検査の実施日は,原告らが6月23日にU病院に依頼して,同日又は翌24日に決まったものであるとの原告Aの供述に照らし,被告E医師の上記供述を採用することはできず,6月26日にMRI検査依頼書を作成したものと解するのが相当である。),被告E医師は,6月22日当初の頭蓋咽頭腫が最も疑われるとの考えを維持していたものではなく,頭部MRI検査の実施時までには,下垂体腺腫と頭蓋咽頭腫のどちらかであるが,そのどちらであるかは断定できないと考えていたものと解されるところ,頭部MRI検査(6月26日分)の所見は,トルコ鞍の中から鞍上部に伸びた大きな腫瘍があり,腫瘍が嚢胞性であること,視神経・視交叉部が上方に著明に圧迫されていることが認められるから(被告E医師本人),カンファレンスにおける検討結果や頭部MRI検査実施前までの被告E医師の考えを否定し,再び頭蓋咽頭腫が最も疑われると判断するに至る所見であるとは認められないというべきである。
そうすると,被告E医師が,原告Aに対し,6月26日に,亡Fの疾患が頭蓋咽頭腫であるとの説明をしたものと認めることはできず,原告らの上記主張を採用することはできない。
ウ 被告らは,被告E医師が,原告Aに対し,6月26日,ブロモクリプチンによる薬物療法や経蝶形骨洞手術(ハーディ法)についても一応の説明をした
うえで,開頭手術を選択することを説明した旨を主張する。
     しかしながら,被告E医師が,原告Aに対し,同日,プロラクチン産生腺腫の第1次的な治療方法として,開頭手術のほかに薬物療法や経蝶形骨洞手術が存在すること,及び,亡Fに対する治療方法として,薬物療法や経蝶形骨洞手術を採らない理由について説明した事実は,これを認めるに足りる証拠がないから,被告らの上記主張を採用することはできないというべきである。
(4) 7月22日に認められた左肺の無気肺の原因について
原告らは,亡Fに7月22日に認められた左肺の無気肺の原因は,気管内チューブが深く入りすぎて,右肺にのみ空気が送られる状態になったためであると主張し,被告らは,無気肺は分泌物によるものであって,同チューブが深く入りすぎていたためではないと主張する。
この点,Mは,証人尋問において,喀痰の喀出が悪いと無気肺を起こすことがあると証言しているが,本件の無気肺の原因が亡Fの喀痰等の分泌物であることを客観的に裏付ける証拠は存在しないから,これを採用することはできない。
むしろ,O医師は,証人尋問において,7月22日に気管内チューブが一度深く入りすぎて無気肺を起こしたと聞いていた旨を証言しており,R医師は,無気肺の原因について,7月22日の胸部エックス線所見での同チューブの位置は適正であるが,体位交換や首の位置によりチューブ位置が変化するため,恐らく21日から22日の間のどこかの時点でチューブが深く入りすぎ,片側の肺に酸素が送られなかったためであろうと述べているところ(R鑑定),7月22日午前9時55分ころに実施された胸部エックス線検査の直後に気管内チューブを引き抜く措置が行われ,同日午前11時50分ころに再度実施された胸部エックス線検査によって無気肺が改善していること(乙3,R鑑定)に鑑みれば,無気肺の原因は,体位交換などの際に気管内チューブが深く入りすぎ,左側の肺に酸素が送られなかったためであると解すべきである。
3 医学的知見について
証拠(甲6ないし11,14,16,17,20,72,77,証人M,被告E医師本人,R鑑定)及び弁論の全趣旨によれば,次のことが認められる。
(1) 間脳下垂体部の脳腫瘍について
間脳下垂体部に発生する脳腫瘍としては,主に下垂体腺腫や頭蓋咽頭腫がある。
ア 下垂体腺腫
下垂体腺腫とは,下垂体前葉細胞から発生する良性腫瘍である。
下垂体腺腫は,下垂体ホルモンを分泌するか否かにより,下垂体ホルモンを過剰分泌する腺腫である機能性腺腫(分泌性腺腫)と,下垂体ホルモンを分泌しない非機能性腺腫(非分泌性腺腫)とに分類される。
下垂体腺腫の大きさにより,直径1センチメートル以下の腺腫を微小腺腫(マイクロアデノーマ),直径1センチメートルを超える腺腫を大型下垂体腺腫(マクロアデノーマ)という。微小腺腫は,トルコ鞍内のどちらかに偏位して存在することが多い。大型下垂体腺腫では,トルコ鞍が大きく拡大(バルーニング)し,その拡大が通常一側に偏しているため,頭蓋単純写上は二重鞍底(ダブルフロアー)を呈し,鞍外伸展を示すものが多く,また,正常下垂体が腫瘍のほぼ全周を取り巻くように認められることが多い。
また,周辺の硬膜,骨,海綿静脈洞などに細胞浸潤像又は肉眼的腫瘍浸潤像がある場合を,浸潤性腺腫という。
イ プロラクチン産生腺腫
プロラクチン産生腺腫は,下垂体前葉ホルモンの1つである乳汁分泌ホルモン(プロラクチン)を過剰産生する下垂体腺腫の一種であり,機能性腺腫(分泌性腺腫)に分類される。
プロラクチン産生腺腫の症状は,@プロラクチンの過剰分泌によるホルモン異常症候群として,女性の場合,無月経(月経異常),乳汁分泌や不妊が認められ,A腫瘍発育による局所圧迫症状として,腺腫による正常下垂体ホルモン産生障害(汎下垂体機能不全),及び,腫瘍が増大してトルコ鞍外に伸展し,直上の視交叉部を圧迫することによる両耳側半盲等の眼症状が認められる。
血中プロラクチン値が200ng/ml以上の高値を示した場合は,プロラクチン産生腺腫の存在が強く示唆される。
ウ 頭蓋咽頭腫
頭蓋咽頭腫とは,胎生期の頭蓋咽頭管の遺残から発生する先天性腫瘍である。
トルコ鞍上部から鞍内部にかけて存在するものが多いが,鞍上部又は鞍内部に限局して存在することもある。トルコ鞍の拡大や破壊も認められるが,皿状変形を呈することが多い。また,正常下垂体は,腫瘍の下方に認められることが多い。
頭蓋咽頭腫の多くは,単胞性又は多胞性の嚢胞を形成し,コレステリン結晶を含む黄褐色の嚢胞液を含むが,充実性の場合もある。いずれも境界が明らかな腫瘍である。また,石灰沈着が高頻度に認められる。
頭蓋咽頭腫の症状は,両耳側半盲(部分半盲,又は,左右非対称で不規則な視野狭窄を呈する傾向がある。)が認められるほか,視床下部や下垂体茎が圧迫され,プロラクチン分泌抑制因子が遮断されることにより,無月経や乳汁分泌が認められることがある。腫瘍が鞍上部に存在する場合には,頭蓋内圧亢進症状と視力障害が早く現れるが,鞍内部に存在する場合には,下垂体腺腫と同様の症状を呈する。また,前頭蓋窩及び中頭蓋窩に伸展することもある。
頭蓋咽頭腫は,組織学的良性腫瘍であり,手術全摘出により治癒が可能なものであるが,周囲組織との癒着が強い場合や,腫瘍が大きく視床下部に浸潤している場合は,全摘出しても結果は必ずしも良くなく,腫瘍周囲組織中に腫瘍細胞が巣状に存在しているような症例では全摘出しても数年後に再発する。全摘出をしていない場合は,放射線治療が必要になる。
(2) 高プロラクチン血症について
高プロラクチン血症は,下垂体前葉より分泌されるプロラクチンの分泌過剰によって,血中プロラクチン値の著しい増加が見られる病態であり,女性に多く,女性の場合は,無月経や乳汁分泌の症状が高頻度で認められる。
プロラクチン産生腺腫は,高プロラクチン血症の最も代表的な原因である。しかし,頭蓋咽頭腫やプロラクチン産生能を有しない下垂体腺腫が,視床下部や下垂体茎を圧迫することにより,プロラクチン分泌抑制因子の分泌障害を生じた場合(PIF障害型)や,抗ドパミン剤,経口避妊薬の服用,原発性甲状腺機能低下症や副腎疾患,腎不全,胸壁の刺激性疾患による場合にも,高プロラクチン血症は惹起される。
血中プロラクチン値が,女性(非妊娠)で15ng/ml以上の場合は高プロラクチン血症の疑いがある。
早朝空腹時に安静状態で採血した血中プロラクチン値が200ng/ml以上 の高値を示した場合は,プロラクチン産生腺腫の存在が強く示唆される。
他方で,上記の頭蓋咽頭腫やプロラクチン産生能を有しない下垂体腺腫の場合における血中プロラクチン値は,通常200ng/mlを上回ることはないと解されている。
(3) プロラクチン産生腺腫の鑑別診断の方法
プロラクチン産生腺腫であるとの確定をするには,免疫染色による細胞内プロラクチンの証明が必要であるが,術前の段階では,主に,画像診断と内分泌学的診断によって鑑別診断が行われる。
画像診断では,頭蓋単純エックス線撮影,トルコ鞍断層撮影,CT撮影,MRI撮影,脳血管撮影などが行われる。頭蓋単純エックス線撮撮影によりトルコ鞍の大きさ,形状,左右差,鞍内外の石灰化の有無などを調べ,トルコ鞍断層撮影により,鞍底の局所的な菲薄化,欠損,腫瘍の突出像などを調べることとなる。CT撮影では,腫瘍の大きさや伸展方向のほか,腫瘍内出血,液状成分,腫瘍の硬さを調べることができ,MRI撮影では,腫瘍と内頸動脈,前大脳動脈,視交叉の関係を正確に把握することができる。脳血管撮影においては,内頸動脈の走行異常や圧排所見,前大脳動脈の挙上などを調べることができる。
そして,前記のとおり,血中プロラクチン値が著しい高値(200ng/ml以上)である場合は,プロラクチン産生腺腫であることが強く示唆されるため,血中プロラクチン値の測定を含む内分泌検査は,プロラクチン産生腺腫であるか否かを鑑別するうえで,画像診断と併せて必要な検査である。
(4) プロラクチン産生腺腫の治療方法
プロラクチン産生腺腫の治療方法としては,平成4年当時,主に,腺腫を摘出する手術療法と,ブロモクリプチンを投与する薬物療法が存在し,手術療法における術式として,経蝶形骨洞法と開頭法が存在していたところ,これらは,いずれも医療水準として確立された治療方法であった。
ア 経蝶形骨洞法
経蝶形骨洞法(ハーディ法)とは,上口唇と上顎の移行部を左右両犬歯間にわたり切開し,そこから鼻中隔両側の粘膜を剥離して,鼻中隔軟骨を下方の骨から外して,一方に寄せ,蝶形骨洞前壁に達し,そこに窓を開けて蝶形骨洞内に入り,その中を通してトルコ鞍底に達し,鞍底部の粘膜を焼き,鞍底の骨を削り,硬膜へ達し,それを切開してトルコ鞍内の操作をする方法である。その際,蝶形骨洞前壁以後の操作には手術顕微鏡が導入され,全経過を通じての側面のチェックはイメージテレビで行われる。そして,鞍内に入って腺腫を発見すれば(通常,腺腫は正常組織に比べて白くて軟らかい。),腺腫を掻爬又は吸引で除去し,正常組織を残すという術式である。
経蝶形骨洞法は,下垂体腺腫の手術方法として,1967年ころ,ハーディによって開発されたものであり,日本では,1970年代中ごろから普及し始め,平成4年当時,下垂体腺腫症例に対する手術の多くは経蝶形骨洞法によるものであり,同法は確立された治療方法の1つであった。
経蝶形骨洞手術の利点は,@腫瘍と正常組織を直視下に区別し,腫瘍の選択的摘出が可能であること,A腫瘍の発育方向と手術の進入方向が基本的に一致しており死角が少ないこと,B視床下部,下垂体茎及び視神経に対する侵襲が軽度であること,C手術創痕が残らないことである。他方で,経蝶形骨洞手術の欠点は,@手術野が狭く深いため,特殊な手術道具を必要とし,手術操作も熟練を要すること,A一般に,下垂体腺腫は軟らかい腫瘍であり,鞍内部腫瘍を摘出すれば鞍上部分が降下してくるが,腫瘍が硬い場合は,鞍内部腫瘍の摘出しかできず,鞍上部分は一部トンネルを掘るような部分摘除しかできないことがあること,B腫瘍が前・中・後頭蓋窩へ大きく不規則に伸展している場合,経蝶形骨手術で摘除できる範囲はトルコ鞍部及び鞍上部の腫瘍に限られ,それ以外の部分の摘出には,それぞれの開頭手術を要することである。
また,経蝶形骨洞手術特有の合併症としては,大型下垂体腺腫の場合,尿崩症や髄液鼻漏が最も多く,稀に内頸動脈損傷があるとされており,経蝶形骨洞法による手術の死亡例の要因は,摘出操作で視床下部障害をきたしたり,腫瘍内血腫や頭蓋内血腫を生じたことが大半であると報告されている。
イ 開頭法
開頭法は,皮膚や硬膜を外側から順に切開して腫瘍に到達する方法である。
開頭法による手術療法は,1970年代前半まで,プロラクチン産生腺腫の唯一の治療方法であった。
開頭手術の利点は,経蝶形骨洞手術の欠点の裏返しでもあるが,まず術野が広く,そのアプローチも脳神経外科医になじみ深いことである。そのため多少腫瘍が硬くても,頭蓋底部の髄膜腫同様時間をかけて丹念に手術すれば,その摘出は可能である。さらに,不規則な伸展をしていてもそれに応じた開頭手術を行えばその部分を摘出することができる。開頭手術の欠点は,経蝶形骨洞手術の利点の逆である。
ウ ブロモクリプチンによる薬物療法
ブロモクリプチンは,1968年に,乳汁分泌抑制剤として開発された強力なドパミン作動薬であり,ドパミン受容体,特にD2受容体の刺激作 用を持つ薬剤である。
ブロモクリプチンは,主に,高プロラクチン血症,プロラクチン産生腺腫,成長ホルモン(GH)産生腺腫に対する適応がある。プロラクチン産生腺腫に対しては,乳汁分泌,無月経,不妊等の症状の改善のほか,腫瘍縮小効果も認められているが,成長ホルモン産生腺腫に対しては,成長ホルモン低下率や腫瘍縮小率は高くなく,プロラクチン産生腺腫に対するほどには顕著な治療効果を示さない。
日本においてブロモクリプチン(市販名「パーロデル」)が承認されたのは,1983年であり,それ以後,プロラクチン産生腺腫に対する手術数が激減して,ブロモクリプチンによる薬物療法が広く行われるようになり,薬物療法は,平成4年当時,確立された治療方法の1つであった。
しかし,ブロモクリプチンをプロラクチン産生腺腫に投与する場合,@投薬を中断すると,血中プロラクチン値が再上昇するため,患者は無期限に服薬を続けなければならないこと,Aブロモクリプチンに抵抗性の症例が約10パーセント程度存在し,より大量の投与量を必要とするうえ,一部の例ではブロモクリプチンが無効になったり,腫瘍が悪性化したりする場合があること,B逆に非常に感受性が良く,腫瘍が極端に縮小した場合は,頭蓋内外がトルコ鞍部で交通するため,髄液鼻漏,髄膜炎や気脳症の合併症を引き起こすことがあること,Cブロモクリプチンを用いて妊娠が可能になった場合,その経過中に腫瘍が急速に増大したり出血すること,D長期に投与すると,腫瘍が線維化し,後に行う手術による腫瘍の摘出が困難になること,D胃痛,便秘,神経痛様の頭痛,脱毛などが見られることなどが,短所として指摘されている。
(5) 被告病院におけるプロラクチン産生腺腫の治療方法
被告病院においては,平成3年10月ころから平成4年6月ころまでの間に,下垂体腺腫の手術を約4例行っており,いずれも経蝶形骨洞法による手術であった。
また,Mは,被告病院に勤務していた間(平成3年7月から平成4年11月末まで)のみならず,国立循環器病センターに在勤中から(昭和57年から),下垂体腺腫の治療については,専ら経蝶形骨洞手術を行っていた。
(6) プロラクチン産生腺腫の治療方法の選択に関する医学的知見
プロラクチン産生腺腫の治療方法としては,ブロモクリプチンによる薬物療法,経蝶形骨洞法による手術及び開頭法による手術が存在し,これらはいずれも平成4年当時の医療水準として確立された治療方法であったが,大型のプロラクチン産生腺腫(マクロアデノーマ)の治療方法として,上記の治療方法のいずれを選択し,又は組み合わせるかについては,平成4年当時,統一された医学的知見は存在しなかった。
ア 第1選択として,手術療法によるか薬物療法によるかについて
プロラクチン産生腺腫のうち,大型のもの(マクロアデノーマ)の治療につき,第1選択として,手術療法によるか薬物療法によるかについては,手術療法を先行させ,術後に薬物療法を補うという見解,手術療法を実施する前に薬物療法を試みるという見解,専ら薬物療法を行うという見解が存在した。
(ア) まず,手術療法を先行させ,術後に薬物療法を補う見解として,次の ようなものがあった。
@ ブロモクリプチンの投与のみで腺腫を消失させることは難しいため,先に手術を行い,足りないところを薬物療法で補うべきであるとする見解(景山直樹,平成2年(甲6)。なお,手術療法による場合は,ほとんどの症例において経蝶形骨洞法で腺腫が十分取れるが,それで不十分なら,場合によって開頭術を追加すべきという意見である。)。
A 腫瘍量の減少と術後のブロモクリプチン療法による髄液鼻漏,気脳症や髄膜炎等の合併症を予防する目的で,まず経蝶形骨洞法による手術を行い,術後にブロモクリプチンを投与するという見解(寺本明,平成元年(甲8))。
B (a)視力・視野障害が高度な場合,手術の方が視路の減圧が迅速かつ確実であること,(b)ブロモクリプチンに抵抗性を示す場合があり,血中プロラクチン値の低下を得るまでに大量の投与と長期の治療期間を要するため,手術により腫瘍実質部をできるだけ減じておく必要があること,(c)ブロモクリプチンを2,3か月以上用いると,腫瘍が線維化により硬く,出血性があるため,残存腫瘍の摘出が困難になること,(d)ブロモクリプチンにより,髄液鼻漏や気脳症の合併症の危険があるため,手術により腫瘍の摘出腔を筋肉片で充填しておく必要があることなどの理由により,手術を第1選択とすべきという見解(高倉公朋・寺本明,昭和61年(甲14)。なお,この場合の術式は,多くの場合は経蝶形骨洞法によるべきという意見である。)。
(イ) 次に,手術療法を実施する前に薬物療法を試みる見解として,次のようなものがあった。
@ 第1次的に手術を行うのが原則であるが,高度の視力,視野障害例においては,ブロモクリプチンの著しい腫瘍縮小効果により視力・視野障害等の臨床症状が改善される場合があるので,手術の準備期間を利用してブロモクリプチンによる薬物療法を試みてみるべきであり,それにより自覚症状の改善とともに著しい腫瘍縮小効果が確認された場合には,手術を中止して薬剤単独又は放射線治療との併用療法に変更するのも妥当であるが,薬物療法が無効な例や腺腫縮小が不十分な場合には,速やかに手術を実施すべきであるという見解(桑山明夫,昭和61年(甲7)。なお,この場合の術式は,ごく一部の例外を除いて経蝶形骨洞法によるべきという意見である。)。
A すべての巨大下垂体腺腫症例は,手術療法を原則とし,その準備期間中に試験的に薬物療法を試み,そのうち著効を呈したものに限ってのみ手術時期を延期すべきであり,また,その手術時期の決定は,CT上の腫瘍陰影の縮小の速度や程度で判断し,場合によっては,非手術療法のみで経過観察するという見解(桑山明夫・景山直樹,昭和58年(甲17))。
(ウ) さらに,専ら薬物療法を行う見解として,次のようなものがあった。
@ ジャンボアデノーマで手術による摘除が困難な場合には,当初から薬物療法を行うという見解(青野敏博・倉智敬一,昭和61年(甲7)。なお,甲20にも米国における同様の意見の存在が紹介されている。)。
A トルコ鞍底の広範な破壊を伴う巨大腺腫の症例に対しても,ブロモクリプチンの単独療法で著明な腫瘍縮小効果が得られるという見解(桑山明夫,平成元年(甲77))
イ 手術療法を行う場合の術式の選択について
プロラクチン産生腺腫のうち大型のもの(マクロアデノーマ)について手術療法を行う場合に,いかなる術式を選択すべきかについては,腫瘍の大きさ,形状などに応じて,次のような見解が存在した。
@ まずすべての下垂体腺腫に対して,経蝶形骨洞法による手術を第1選択として行い,鞍上伸展部が大きく十分摘出できなかった場合,腫瘍が硬くて鞍上部分が残存した場合及び前・中・後頭蓋窩への伸展部分については,後日開頭手術を追加すべきであるという見解(寺本明,平成2年(甲6))。
A 腺腫が大きくて,トルコ鞍上に伸展し,視力障害をきたしている場合に,ほとんどの症例は経蝶形骨洞法による手術で腺腫が十分取れるが,それで不十分な場合は,開頭手術を追加してもよいが,その場合でも腺腫を取り切れないので,術後に薬物療法を行う必要があるという見解(景山直樹,平成2年(甲6))。
B 大型のプロラクチン産生腺腫(中でも,ラージ又はジャンボプロラクチノーマ)の手術療法として,開頭法と経蝶形骨洞法のいずれの方法によっても,減圧効果は十分に得られるが,開頭法は視神経を直接空間に露出するので,機械的及び化学的刺激によって視神経機能障害を悪化することがあり,経蝶形骨洞法による間接的減圧法の方が優れているという見解(桑山明夫・景山直樹,昭和58年(甲17))。
C 下垂体腺腫に対しては原則として経蝶形骨洞法によるべきであるが,(a)鞍上部の腫瘍の主な局在が前,中又は後頭蓋窩に見られる場合,(b)鞍上部に大きく発育を示すが,トルコ鞍がほぼ正常の大きさであるため,術野が狭い場合,(c)硬く出血性の腫瘍であることが強く示唆される場合などには,開頭法を採用すべきとする見解(高倉公朋・寺本明・昭和61年(甲14))。
D 鞍外伸展を伴う下垂体腺腫のうち,上方,下方へ伸びる腫瘍の場合はまず経蝶形骨洞法による手術を行う傾向にあり,側方伸展の著しいものは開頭により腫瘍を摘出し,術後に腫瘍の残存があれば,ブロモクリプチン療法を行うという見解(郭隆?,平成2年(甲58))。
E 相当大きなもので,傍鞍部伸展や第3脳室内部陥入の著しい下垂体部腫瘍は,開頭手術の適応になるという見解(藤津和彦,平成元年(甲8))。
F 開頭法による手術の適応は,(a)鞍横隔膜が強靱で開口部が小さく,その開口部又は硬膜裂隙より鞍上部に侵入した腫瘍部分が独立して大きくなり,鞍横隔膜部で強くくびれた形で上下にダンベル型となった場合,(b)頭蓋内伸展した巨大な突出部(前方伸展,側方伸展,後頭蓋窩伸展及び巨大な視床下部伸展など),(c)鞍拡大が僅かで,それに比して頭蓋内腫瘍部分が大きいとき,(d)経蝶形骨洞手術による摘出が不十分だった場合(硬い腫瘍又は経蝶形骨洞手術後の鞍上部残存腫瘍の自然降下が不十分な場合)などに認められるが,開頭手術を選択する場合であっても,浸潤性腺腫の大きな頭蓋内伸展部を主たる対象とすること,原則として有意の症状を伴う突出部分を対象とすること,到達法を選択すること,腫瘍は被膜内摘出にとどめ,自然に剥脱してくる被膜(菲薄化した鞍横隔膜又は肥厚したくも膜)部分のみを切除すること,下垂体及び下垂体茎を保全すること,多段階手術をいとわないことが重要であるという見解(魚住徹・向田一敏,平成2年(甲6))。
4 争点に対する判断
(1) 頭蓋咽頭腫であるとの誤診の有無(争点(1)ア)について
原告らは,被告E医師及び被告病院の他の医師が,亡Fの疾患を頭蓋咽頭腫と誤診し,誤った診断に基づいて,本件開頭手術を選択,実施した旨を主張する。
前記認定によれば,被告E医師は,6月22日には,頭蓋咽頭腫が最も疑われるという暫定的な診断に基づいて,開頭手術と放射線治療を行うという治療方針を立てたものであるが,同日時点では,頭蓋咽頭腫と下垂体腺腫等の他の疾患との鑑別に必要な検査(下垂体ホルモンの内分泌検査やαフェトプロテイン値(AFP),ヒト絨毛性ゴナドトロピン値(HCG)の測定検査)を行う計画も立てているから,同日立てた上記治療方針は,頭蓋咽頭腫との確定診断に基づいたものではないことが認められる。そして,6月23日のカンファレンスでは,亡Fの疾患が下垂体腺腫か頭蓋咽頭腫かどちらかであろうという検討結果に基づいて,そのいずれの場合であっても開頭手術を行うという意見で一致したこと,6月26日には,被告E医師は,下垂体腺腫が疑われるとの診断に基づいて,開頭手術を行うという治療方針を立て,原告Aにその旨を説明したことは前記認定のとおりであり,これらの事実を併せて考慮すれば,開頭手術を行うという治療方針は一度も変更されることがなかったものの,治療の前提となる亡Fの疾患は,当初の頭蓋咽頭腫が最も疑われるという診断から,下垂体腺腫が疑われるという診断に変遷していたものであるから,少なくとも,頭蓋咽頭腫であるとの誤診に基づいて開頭手術が選択,実施されたものではないというべきである。
したがって,原告らの上記主張を採用することはできない。
(2) 開頭手術の適応の有無(争点(2))について
ア 原告らは,被告病院の医師には,亡Fに対する開頭手術の適応を誤った過失がある旨を主張する。
そこで,亡Fのプロラクチン産生腺腫に対する第1次的な治療方法として,開頭手術の適応が客観的に肯定されるか否かを検討するに,亡Fの腫瘍は,トルコ鞍内から鞍上部及び右側方に伸展し,海綿静脈洞にまで浸潤した巨大なものであるところ(R鑑定),前記認定のとおり,平成4年当時,鞍外伸展を伴う下垂体腺腫のうち,側方伸展の著しいものには開頭手術の適応があるという見解,相当大きなもので,傍鞍部伸展が著しい下垂体腺腫には開頭手術の適応があるという見解,腫瘍が鞍横隔膜部で強くくびれた形で上下にダンベル型となっている場合や頭蓋内伸展した巨大な突出部には開頭手術の適応があるという見解などが存在していたこと,被告E医師が,亡Fの腫瘍は大きくて上方や側方に伸展していることから,経蝶形骨洞手術の適応にならない旨を供述していること(被告E医師本人),R医師が,亡Fの腫瘍は鞍上部分が鞍内部分より大きく,鞍隔膜部でくびれた逆雪だるま型になっているため,経蝶形骨洞手術では十分な視神経の減圧が図れないとして,第1次的に開頭手術を行うべきである旨を述べていること(R鑑定)に鑑みれば,亡Fのプロラクチン産生腺腫に対する第1次的な治療方法として開頭手術の適応は認められるというべきである。
そうすると,被告病院の医師が,亡Fに対し,第1次的に開頭手術を行うという治療方針を立てたこと自体には,開頭手術の適応を誤った過失があると認めることはできない。
イ もっとも,後述のとおり,医師は,ある治療行為を実施するに当たっては,患者側に対し,当該疾患の診断(病名と病状),実施予定の治療の方法,内容及び必要性,その治療に伴い発生の予測される危険性,他に選択可能な治療方法があれば,その内容と利害得失,予後などについて説明したうえで,医師において実施予定の治療を受けるか否かについて,患者側の同意を得る必要があるというべきであり,開頭手術の適応に誤りがなかったとの一事をもって,医師による開頭手術の実施が直ちに正当化されるというものではない。
(3) 本件開頭手術の手術操作上の注意義務違反の有無(争点(4))について
原告らは,I教授が,本件開頭手術において,一度に腫瘍の大部分を摘出,吸引除去し,下垂体茎を切断し,内頸動脈を損傷したり,内頸動脈に触れ過ぎるなど,過剰な手術操作を行ったことにより,脳血管攣縮の発生,血栓の発生又は内頸動脈の血管損傷による術後脳梗塞を発症せしめた旨を主張する。
ア 前記認定事実に照らせば,亡Fの直接的な死因は,急性の頭蓋内圧亢進による呼吸不全及び循環不全であるが,その頭蓋内圧亢進の原因は,右視床部の小梗塞ではなく,右中大脳動脈領域に発生した脳梗塞であると解される。
そして,右中大脳動脈領域の脳梗塞の発生原因につき,被告病院の医師らは,血管攣縮が起きた可能性か,本件開頭手術中に,腫瘍を摘出するために内頸動脈をかなり動かしたために血栓形成した可能性があると考えていること(乙2,被告E医師本人),I教授は,トルコ鞍内に残留していた古い出血が脊髄液腔に流出し,その血液が動脈に付着して,血管攣縮が起きた可能性が高いと考えていること(I証人)に鑑みれば,亡Fの右中大脳動脈領域の脳梗塞の発生原因は,@トルコ鞍内に残留していた古い出血が脊髄液腔に流出し,その血液が動脈に付着して血管攣縮が起きたか,A内頸動脈を動かした刺激により血栓が形成されたかのどちらかであると解すべきである。
そうすると,上記いずれの場合であっても,右中大脳動脈領域の脳梗塞は,I教授による手術操作に起因して発生したものと認められる。
イ 原告らの主張のうち,一度に腫瘍の大部分を摘出,吸引除去し,下垂体茎を切断したという手術操作に過失があるとの部分については,客観的な腫瘍摘出量又は下垂体茎が切断されたこと自体と,亡Fの脳梗塞の発生原因である動脈への血液付着又は内頸動脈への刺激とは,互いに関連性を認めることができないというべきであるから,同主張を採用することはできない。
また,本件全証拠によっても,本件開頭手術中に内頸動脈の外壁に傷害が与えられたことを示す所見は存在しないから,I教授が内頸動脈を損傷したとの原告らの主張も採用することができない。
そして,前記認定事実及び証拠(乙24の(1),(2),I証人,R鑑定)によれば,本件開頭手術中,しばしば,数秒から10秒前後の間,右内頸動脈を外側に圧排しながら腫瘍の摘出が行われたことが認められるが,他方で,証拠(甲6,I証人)によれば,血栓形成や脳梗塞が下垂体腺腫の開頭手術の合併症として極めて稀であること,開頭手術によってトルコ鞍上部の腫瘍を摘出するためには内頸動脈に触れざるを得ないこと,I教授は,綿を当てて亡Fの内頸動脈を圧排したこと,本件開頭手術で腫瘍の摘出に要した時間は,鞍上部腫瘍の摘出に通常要する2時間半から3時間程度の時間であったことが認められ,R医師も,この程度の圧排で内頸動脈内壁が傷害されることはないと述べていること(R鑑定)も併せて鑑みれば,手術操作中に内頸動脈を動かした刺激により血栓が形成され,脳梗塞を引き起こしたものであるとしても,当該手術を行う以上は,極めて稀ではあるにしても,不可避的な危険性がたまたま現実化したにすぎないというべきであり,それによってI教授の手術操作上の注意義務違反を認めることはできないと解すべきである。
なお,亡Fの脳梗塞の原因がトルコ鞍内に残留していた古い血液の動脈への付着による血管攣縮であった場合,I教授は,証人尋問において「より徹底的に血腫を洗浄すべきだった」と証言しているものの,腫瘍断端からの止血が確認されたうえで本件開頭手術が終了したこと(前記認定)に照らせば,本件開頭手術は血液の残存がないように注意を尽くして行われたというべきであるから,I教授の上記証言をもって止血又は残存血液の洗浄に関する手術操作を怠った事実を推認することはできず,他に,I教授の手術操作上の注意義務違反を認めるに足りる証拠はない。
ウ したがって,I教授の本件開頭手術中の手術操作上の過失に関する原告らの主張は,採用することができない。
(4) 気管内チューブの管理上の注意義務違反の有無(争点(5)ア)について
原告らは,7月13日の外減圧開頭手術後,早い段階で気管内挿管を中止し,気管切開をすべきであり,かつ,7月22日に原告Aが気管切開を求めたにもかかわらず,被告病院の医師が気管切開を怠った注意義務違反があると主張する。
亡Fの外減圧開頭手術後の呼吸管理について,外減圧開頭手術の行われた7月13日に経鼻気管内挿管が行われ,7月25日に気管内チューブが交換され,8月5日に気管切開が行われたことは前記認定のとおりである。そして,前記認定によれば,7月21日ころから,亡Fの口腔内に膿分泌が認められ,7月22日には,気管内チューブが深く入っていたことが原因で無気肺を起こしたことが認められる。
しかしながら,亡Fには,7月18日ころから軽度の消化管出血が認められ,7月20日には血小板値が低下し,DICの徴候が認められ,7月22日には血小板値がさらに低下したものであること(前記認定),気管切開が外科的な侵襲を伴う措置であり,気胸や切開孔からの出血などの合併症のほか,死亡率も高いこと(乙6)に鑑みれば,被告E医師が,7月22日時点で気管切開をすべきでないと判断したことには,それなりの合理性が認められるというべきである。
また,7月13日から7月21日までの間に気管切開が行われなかったことについても,上記の事情及び気管切開をいつ行うべきかについて見解が分かれていること(乙6)に照らせば,不適切な措置であったとは認めることができないと解すべきである。
したがって,被告E医師に気管切開を怠った注意義務違反があるとは認めることができない。
なお,本件全証拠によっても,他に,被告病院の医師が,気管内チューブの衛生上の管理を怠った事実を認めることができない。
(5) MRSA感染に関する注意義務違反の有無(争点(5)イ)について
原告らは,被告病院又は被告病院の医師による注意義務違反により,亡FがMRSAに感染したと主張する。
ア 原告Aは,被告病院のICUの衛生管理ができていなかった旨を述べており(甲4,原告A本人(第1,2回)),甲44にも,被告病院の元入院患者の家族による同趣旨の意見が記載されているが,これを裏付けるに足りる客観的な証拠はなく,かえって,証拠(乙23,証人T)によれば,被告病院においては,医師や看護婦で構成される感染対策委員会を設け,平成3年7月1日にはMRSA感染対策マニュアル(乙23)を作成し,医療従事者の手指の消毒,ICUの消毒,器具の消毒,MRSA患者の隔離等の措置を行うよう定め,これらが実施されていたことが認められるから,被告病院におけるMRSAの感染対策が不十分であったとの事実を認めることはできないというべきである。
イ 原告らは,被告病院において,口腔内洗浄を全くしなかった旨を主張し,原告Aは,7月21日に亡Fの口腔内から膿汁が流出したこと,亡Fの口腔内洗浄が行われなかったことを述べている(甲4,原告A本人(第1,2回))ところ,7月21日,亡Fの口腔内に膿分泌が認められたことは前記認定のとおりである。しかしながら,前記認定事実及び証拠(乙3,証人T)によれば,7月13日の外減圧開頭手術後,1日に数回の喀痰の吸引及び1日に最低朝夕2回の口腔内洗浄が行われていたこと,7月21日に膿分泌が認められた後もこれらの措置が行われていたことが認められるから,口腔内洗浄等を行わなかったとの原告らの主張を採用することはできないというべきである。
ウ 原告らは,被告病院において,不適切かつ過剰に抗生剤が使用された旨を主張するが,抗生剤の投与によって菌交代現象が生じた事実,及び,菌交代現象によって亡FのMRSA感染が発生した事実を客観的に裏付ける証拠はないから,上記主張を採用することはできない。
エ 以上によれば,亡FがMRSAに感染したことについて,被告病院又は被告病院の医師の注意義務違反があるとは認めることができない。
なお,前記認定によれば,7月25日に,7月23日に採取された喀痰からMRSAが検出されたことが判明したが,抗生剤がミノマイシンとチェナムに変更された結果,7月27日に実施された一般細菌検査ではMRSAが陰性化したことが判明し,それ以後も亡Fの喀痰及び膿皮症の膿からMRSAが検出されなかったことが認められるから,MRSAに感染した後の治療にも注意義務違反は認められない。
(6) 気管内チューブ交換時の注意義務違反の有無(争点(5)ウ)について
原告らは,気管内チューブの交換時に約1時間20分間も同チューブが抜去されていたため,亡Fが低酸素脳症に陥ったと主張する。
亡Fが7月25日の気管内チューブの交換時に無酸素状態に陥り,低酸素脳症を引き起こしたとの事実を客観的に裏付けるに足りる証拠はない。
かえって,7月25日午後7時55分ころの気管内チューブ交換開始時には,亡Fに1分間に34回の自発呼吸が認められたこと,舌根沈下後,気道を確保したうえでファイバーの挿入が試みられたこと,筋弛緩剤の投与後は人工呼吸器による強制換気が行われたほか,アンビューバッグによる用手加圧も併用されたこと,気管内チューブ交換後の同日午後10時ころには,1分間に50回の自発呼吸が認められ,人工呼吸器が間欠的強制換気に切り替えられたこと,同日午後10時45分ころに実施された血液検査の結果,動脈血中酸素分圧が良好な状態であったことは前記認定のとおりであり,R医師が,7月26日に出現した痙攣の原因には脳梗塞や高血糖も考えられると述べていること(R鑑定)や,バルビツレート療法を行うと,数日後に痙攣が起こることがあること(証人S)を併せて考慮すれば,亡Fが無酸素状態又は低酸素脳症に陥ったとの事実を認めることはできないというべきである。
したがって,原告らの上記主張を採用することはできない。
(7) 治療方法の選択,決定段階における注意義務違反の有無(争点(1)イ及び争点(3))について
原告らは,被告E医師及び被告病院の他の医師が,亡Fの疾患がプロラクチン産生腺腫であるとの確定診断をしないまま,杜撰かつ不十分な診断及び治療方法の検討に基づいて開頭手術を選択し,治療方法の選択を誤ったこと(争点(1)イ),及び,被告E医師及び被告病院の他の医師が,開頭手術以外の治療方法の内容や開頭手術以外の治療方法との比較,利害得失について説明し,患者の同意を得る義務を怠ったこと(争点(3))を主張する。
ア 治療方法の選択,決定段階における医師の注意義務の内容
一般に,医師は,患者に対する問診,観察を行うとともに,必要な検査を実施するなどして,当該患者の疾患(病名と病状)をできる限り確定的に診断し,そのうえで,その時点における医療水準に従い,治療方法を慎重に検討し,自らが最善と考える治療方針(実施予定の治療方針)を選択する必要があると解される。
その治療方針の選択は,患者の疾患の内容や程度のみならず,患者の年齢,性別,体力の程度,既往症,治療による改善の見込み,治療に伴い発生の予測される危険性,治療を行わない場合の危険性などの諸要素を総合的に検討して行われるものであって,極めて専門性の高い判断が求められることから,医師は,実施予定の治療方針の選択については,医療の専門家として広範な裁量権を有しているというべきである。
しかし,他方で,医療行為の多くは不可避的に患者の身体に対する侵襲を伴うものであるから,医師がある治療行為を実施すべきであると判断した場合であっても,その治療行為を適法に行うためには,患者の自己決定権を尊重し,患者の同意を得る必要があるというべきである。特に,患者の生命及び身体に重大な影響を及ぼすような外科的侵襲を伴う治療行為が問題となる場面では,当該治療行為を行うことにより,患者は,自らの疾患による苦痛や不安のほかに,当該治療行為そのものや治療に伴う合併症から生じる肉体的,精神的苦痛を受け,また,重大な後遺症や死の危険にさらされることになるのであるから,患者の同意の重要性は一層高いといわなければならない。
そこで,医師は,患者に対し,診療契約に基づき,治療方法の選択,決定段階における注意義務として,当該患者の疾患(病名と病状)をできる限り確定的に診断し,そのうえで,その時点における医療水準に従い,治療方法を慎重に検討し,自らが最善と考える治療方針(実施予定の治療方針)を選択する義務を負うとともに,緊急を要し時間的余裕がないなどの特別の事情のない限り,当該患者(その者に判断能力がなければそれを補完すべき者)において,患者の身に行われようとする治療行為につき,その利害得失を理解したうえで当該治療行為を受けるか否かを熟慮し,決断する前提として,当該疾患の診断(病名と病状),実施予定の治療の方法,内容及び必要性,その治療に伴い発生の予測される危険性,他に選択可能な治療方法があれば,その内容と利害得失,予後などについて,できる限り具体的に説明したうえで,実施予定の治療を受けるか否かについて,患者の同意を得る(選択させる)義務を負うというべきである。
イ プロラクチン産生腺腫の治療方法の選択,決定段階における医師の注意
義務の内容
(ア) プロラクチン産生腺腫の治療方法には,手術療法のほかに,ブロモクリプチンによる薬物療法があり,いずれも医療水準として確立された治療方法であるところ,ブロモクリプチンの投与による薬物療法は,無月経,乳汁分泌等の症状の改善のほか,プロラクチン産生腺腫の腫瘍縮小効果が得られるため,第1次的な治療方法としてだけではなく,少なくとも手術後の補助療法として実施できるという特徴を有しており,この点がブロモクリプチンの適応のない下垂体腺腫や頭蓋咽頭腫とは大きく異なるところである。
そこで,医師は,患者にプロラクチン産生腺腫が疑われる場合には,速やかに確定診断を行う必要があるところ,画像所見からは下垂体ホルモン(プロラクチン)を分泌するかどうかを判断することができないこと,頭蓋咽頭腫やプロラクチン産生能を有しない下垂体腺腫(非機能性腺腫)であっても,無月経や乳汁分泌という高プロラクチン血症が現れる場合があるが,これらの原因による場合の血中プロラクチン値は通常200ng/mlを上回ることはなく,200ng/ml以上の高値の場合はプロラクチン産生腺腫の可能性が高いと解されていることに照らし,エックス線,CT,MRI等による画像診断を行うとともに,速やかに血中プロラクチン値の測定を含む下垂体ホルモンの内分泌検査を実施して,プロラクチン産生腺腫であるかどうかの確定診断をする必要があるというべきである(なお,同検査は,一般の血液検査と同時に行うことが可能であり(被告E医師本人),患者及び医師に困難な検査を強いるものではない。)。
そして,医師は,プロラクチン産生腺腫の確定診断をした場合には,ブロモクリプチンの手術前又は手術後の投与が可能であることなども考慮したうえで,実施予定の治療方法の選択・組合せ,手術療法を採る場合の術式の選択,腫瘍摘出の程度などの点について慎重に考慮し,自らが最善と考える治療方針(実施予定の治療方針)を立てる必要があると解すべきである。
(イ)a 一方,被告病院の医師は,亡Fの疾患がプロラクチン産生腺腫であることやその病状,実施予定の治療方法である開頭手術の内容とその必要性,開頭手術に伴い発生の予測される危険性について説明義務を負うことはいうまでもないが,本件においては,次の各事情が存するので,これと並んで,亡Fに対して適応可能性があり,少なくとも検討に値する治療方法である経蝶形骨洞手術と薬物療法について,選択可能な他の治療方法として,原告らに説明する義務があるというべきである。
すなわち,亡Fの腫瘍は,トルコ鞍内から鞍上部及び右側方に伸展し,海綿静脈洞にまで浸潤した巨大なプロラクチン産生腺腫であり(R鑑定),手術による腫瘍の全摘出や,手術のみによる血中プロラクチン値の正常化はいずれも困難である(甲6,17)から,最初から薬物療法を行うという見解や,手術までの準備期間を利用して薬物療法を試み,場合によっては手術を中止して薬物療法を行うという見解(前記認定)にも合理性があり,亡Fにこれらの治療方法が適応する可能性もあったと解される。
また,第1次的に薬物療法を行うという治療方法に対しては,ブロモクリプチンに抵抗性を示す場合があること,ブロモクリプチンを2,3か月以上用いると腫瘍が線維化により硬く,出血性があるため,手術が困難になること,髄液鼻漏,気脳症や髄膜炎等の合併症が生じうることなどの欠点が存在する(前記認定)から,最初から手術療法を行うという見解にも合理性がある。そして,その場合の術式については,平成4年当時,すべての場合に経蝶形骨洞手術を行うという見解や,大型のプロラクチン産生腺腫(ラージ又はジャンボプロラクチノーマ)については開頭法より経蝶形骨洞法の方が優れているという見解が存在しており(前記認定),R医師も,経蝶形骨洞手術で成功した経験を持つ外科医は同手術を第1選択と主張するであろうと述べていること(R回答書)に照らせば,亡Fに経蝶形骨洞手術が適応する可能性もあったと解される。
したがって,被告病院の医師は,経蝶形骨洞手術と薬物療法について,それぞれの治療方法の内容と利害得失,予後などについて,できるかぎり具体的に,分かりやすく説明する必要がある。
なお,これらの説明は,亡Fに対してはもちろんのこと,同人が未成年者であることから,その両親(同意権者)である原告らに対しても説明する必要がある。
b 被告らは,より厳格な説明と同意が求められるようになった現時点と平成4年当時との間では,説明義務の内容にかなりの隔たりがあり,同一に考えるのは相当でないと主張する。
まず,説明の対象となる治療方法の内容自体に関する事項,すなわち,ある治療方法の内容,それが医療水準として確立された治療方法であるかどうか,その治療方法の利害得失の内容などについての医師の説明義務の内容は,治療方法が臨床的結果の蓄積によって変容したり,次第に確立されていくものであることに鑑みれば,診療が行われていた当時の医療水準に基づくものが要求されることはいうまでもない。
他方で,医師において実施予定の治療方法以外の代替的治療方法に関する説明の要否,及び,患者の病状やそれぞれの治療方法に関する説明の程度など,医師の説明義務の範囲及び程度は,インフォームド・コンセントに関する国民の意識の変化などに応じて時代による変容を受ける性質のものではなく,本来は普遍的であるべきものである。殊に,本件のように複数の治療方法が存在する場面では,採用される治療方法によって患者の身体に対する侵襲の程度が大きく異なるため,医師による説明が自己決定権を有する患者にとって極めて重要な情報となることに鑑みれば,この点の重要性は決して軽視し得るものではなく,本件の平成4年当時においても,医師は,当該疾患の診断(病名と病状),実施予定の治療の方法,内容及び必要性,その治療に伴い発生の予測される危険性のみならず,代替的治療方法の内容と利害得失,予後などについて,できるかぎり具体的に,分かりやすく説明する義務があったというべきである。
ウ 治療方法の選択,決定段階における医師の注意義務違反の有無
亡Fに対する治療方法の選択,決定段階における被告病院の医師の注意義務違反の有無について検討する。
(ア)a 本件において,入院当日の6月22日には,亡Fに無月経と乳汁分泌というプロラクチン産生腺腫に特徴的な臨床症状があることが判明していたものであるが,血中プロラクチン値の測定を含む下垂体ホルモンの内分泌検査の実施が6月30日まで遅れたため,同検査の結果が判明し,プロラクチン産生腺腫の確定診断ができたのは7月6日のことであった。ところが,被告E医師は,この確定診断がなされるよりも前の6月26日には,下垂体腺腫が疑われるという未確定の診断を前提にして,開頭手術を実施すべきであると判断したものである。
これらの事実に鑑みれば,被告E医師が血中プロラクチン値の測定を含む下垂体ホルモンの内分泌検査の実施を怠ったため,速やかになすべきプロラクチン産生腺腫の確定診断が遅れたというべきである。また,プロラクチン産生腺腫の確定診断ができたよりも以前に,既にI教授を執刀医として本件開頭手術を行うことが決定されていたものであるから,被告E医師は,未確定で不十分な病状の把握を前提として開頭手術を実施するという治療方針を立ててしまい,プロラクチン産生腺腫の確定診断ができた後には,その確定診断を前提にした治療方針の再検討を行う義務を怠ったというべきである。
b この点につき,被告E医師は,本人尋問において,亡Fが6月26日から同月29日まで外泊していたために内分泌検査を実施することができなかった旨を供述するが,亡Fは6月22日から同月26日の外泊時までの間は被告病院に入院し,同月23日と24日には他の目的の血液検査が行われていたものであって,6月30日よりも前に内分泌検査のための血液採取の機会は十分あったというべきであるから,亡Fが外泊したことは,同検査の実施が遅れたことを正当化する理由にはならない。
また,被告E医師は,本人尋問において,亡Fに対する治療方法の選択は,カンファレンスを経て被告病院の脳神経外科の総意で決まったものであり,最終的には,MやI教授が決めた旨を供述している。しかしながら,下垂体腺腫か頭蓋咽頭腫のどちらかであるという程度の診断に基づいて,いずれの場合であっても開頭手術を行うという意見で一致した6月23日のカンファレンス以後,被告病院で毎週火曜日及び金曜日に行われていたカンファレンスなどにおいて,亡Fの疾患の確定診断や治療方法について話し合われたことを認めるに足りる証拠はなく,また,本件全証拠に照らしても,プロラクチン産生腺腫の確定診断ができた7月6日から翌日の本件開頭手術の開始までの間に,本件開頭手術の主たる術者であるI教授と補助的な術者であるM及び被告E医師との間で,亡Fに開頭手術を実施することの当否や,術後にブロモクリプチンの投与ができることを前提にしてどの程度腫瘍を摘出すべきかなどについて再度検討した事実を認めることはできないから,被告E医師の上記供述を採用することはできない。
c R医師は,血中プロラクチン値の検査結果が判明する前に開頭手術が決定されたことにつき,頭部MRI検査で,亡Fの疾患が下垂体腺腫であることが判明し,腫瘍伸展度も把握できているので,その腫瘍がプロラクチンを産生しているか否かによって,視力を救うために早急に開頭による可及的多量腫瘍摘出を行うという治療方針及び手術方法は変わらなかったであろうと指摘している(R鑑定)。
しかしながら,R医師の上記見解が正しいと認めるべき根拠が必ずしも十分でないほか,医師がプロラクチン産生腺腫の確定診断に基づいて治療方法を慎重に検討し,実施予定の治療方針を立てる必要があるのは,患者の疾患(病名と病状)に応じて治療方針が異なる可能性があるという理由からだけではなく,その慎重な検討の過程及び検討結果が,実施予定の治療行為を受けるか否かを熟慮し,決断するために患者に対して提供されるべき重要な情報の内容(説明内容)の前提にもなるからである。
そうすると,亡Fの腫瘍がプロラクチンを産生しているか否かによって治療方針が変わらない可能性があることをもって,被告E医師において確定診断に基づいて治療方法を慎重に検討しなかったことが正当化されるものではないというべきである。
(イ) 被告E医師が,原告Aに対し,@6月26日,亡Fの疾患については下垂体腺腫が疑われること,その治療方法としては,右前頭側頭開頭手術による減圧が必要であること,左眼の視力の回復は困難であるが,右眼の視力の温存が開頭手術の目的であること,開頭手術により,視野の回復は少し期待できること,開頭手術の合併症として,麻酔による合併症,再出血,痙攣,脳浮腫,感染,尿崩症,内分泌異常,精神症状の発生する危険性があることを説明し,A6月30日,開頭手術後に眼球運動障害が起こる可能性があることを説明したことは前記認定のとおりであり,前記認定事実及び証拠(乙2)によれば,原告らは,6月30日には,亡Fに本件開頭手術を行うことについて同意をしたものと認められる(原告Aが6月23日にI教授による執刀を希望したのは,被告E医師から,その前日に,亡Fの疾患について頭蓋咽頭腫が最も疑われるという前提で,頭蓋咽頭腫の場合は開頭手術が必要になるとの説明を受けたことによるものであるから,開頭手術を行うという治療方法が採用された場合の執刀医に関する希望にすぎないというべきであり,原告Aが6月23日時点で開頭手術の実施を希望し又は同意したものと解することはできないというべきである。)。
しかし,上記各説明は,亡Fの疾患が未確定の段階における説明であり,原告らの上記同意を得るまでの間には,亡Fの確定的かつ正確な病名及び病状の説明はなされなかったものである。また,上記各説明の時点において開頭手術をすべきとした医師の治療方針は,未確定で不十分な病状の把握を前提にして立てられたものであるから,開頭手術の必要性などの重要な説明の内容も,プロラクチン産生腺腫の確定診断を前提にする場合と比較して,不十分ないし不正確なものであるといわなければならない。
さらに,被告E医師は,下垂体腺腫の代替的治療方法である経蝶形骨洞手術の内容,利害得失,予後等について何ら説明をしなかったものであるばかりか,プロラクチン産生腺腫の確定診断がなされていなかったために,代替的治療方法として亡Fに対して適応可能性があり,少なくとも検討に値するブロモクリプチンによる薬物療法の内容,利害得失,予後等についても説明をしなかったものである。
そうすると,原告らが6月30日にした本件開頭手術の実施に対する上記同意は,医師による必要な説明を欠いた状態でなされたものであるから,本件開頭手術は,原告らの十分な同意がないままに実施されたものであるというべきである。
(ウ) 以上のとおり,亡Fの主治医である被告E医師は,血中プロラクチン値の測定を含む下垂体ホルモンの内分泌検査を怠り,速やかになすべきプロラクチン産生腺腫の確定診断を遅らせ,未確定で不十分な病状の把握を前提に開頭手術を実施するという治療方針を立て,プロラクチン産生腺腫の確定診断に基づく治療方針の再検討を行わなかったばかりか,亡Fの治療に関して説明義務を負う相手方である原告らに対し,実施予定の治療行為である開頭手術を受けるか否かを熟慮し,決断する前提として必要な説明をせず,必要な説明を前提とした同意を得なかったものであり,治療方法の選択,決定段階における医師の注意義務に違反した過失があるというべきである。
(8) 術後脳梗塞の発見,治療上の注意義務違反の有無(争点(5)エ)について
ア 原告らは,本件開頭手術の翌日の7月8日,亡Fには左下肢の運動麻痺の徴候が窺われ,同日のCT所見で右視床部の梗塞巣及び右脳の腫脹が認められたため,脳梗塞を疑って脳浮腫を改善する投薬等の治療を開始すべきであったにもかかわらず,被告病院の医師はこれを開始しなかったと主張する。
証拠(証人M,被告E医師本人,R回答書,R鑑定)によれば,7月8日午前11時30分ころに実施されたCT検査所見上認められる右視床部に発生した小梗塞巣は,手術操作によって腫瘍後壁に接している穿通枝動脈が過度に伸展され,血流が低下したために生じたものであるが,この部分の支配血管は後交通動脈又は後大脳動脈からの細い穿通枝動脈であるから,右中大脳動脈領域の脳梗塞の前駆症状ではないこと,同日のCT検査所見上認められる右大脳半球の軽度腫脹は,その後24時間以内に意識障害と明らかな片麻痺が出現していないことから,手術により右前頭葉が圧排されたために生じたものであり,右中大脳動脈領域の脳梗塞の徴候ではないことが認められる。
また,本件開頭手術直後から,左膝の膝立てがやや緩慢であるとの所見が認められているが(前記認定),R医師は,全身麻酔により脳の働きが一時的に低下された状態下で脳を長時間圧迫すると,稀に,軽度の片麻痺などの一時的な脳機能低下症状が出現するが,その症状は手術直後が最も強く,遅くとも手術から24時間後にはほぼ消失するものであり,その治療には脳圧降下剤やステロイド剤が投与されると述べていること(R回答書,R鑑定)に照らせば,上記所見は,本件開頭手術後の一時的な脳機能低下症状であると解される。そして,前記認定のとおり,7月8日のCT検査実施後,脳浮腫改善剤であるソルメドロール(ステロイド剤)の継続投与が開始されたことに照らせば,手術後の一時的な脳機能低下症状に対する治療は適切に行われたものと解すべきである。
そうすると,7月8日時点においては,右中大脳動脈領域の脳梗塞に対する発見,治療の遅れがあったとは認められず,本件開頭手術後の一時的な脳機能低下症状に対する治療も適切に行われていたものであり,被告病院の医師の注意義務違反を認めることはできない。
イ 原告らは,7月9日午後2時ころには,亡Fに左半身麻痺の徴候が認められたから,この段階で脳梗塞の診断及び薬物治療を行うべきであったにもかかわらず,被告病院の医師はこれを怠ったため,翌10日の正午過ぎまで治療の開始が遅れたと主張する。
7月9日午後2時ころに,亡Fの左手の握手が弱く,左膝の膝立てができなかったことは前記認定のとおりであるところ,証拠(R証言,R回答書,R鑑定)によれば,上記症状は,本件開頭手術直後には見られなかったものであり,これまでの症状より明らかに重いから,手術後の一時的な脳機能低下症状ではなく,新たに左下肢の運動麻痺が生じたものであると認められる。
そこで,被告病院の医師は,亡Fの左下肢の運動麻痺の症状を直ちに把握し,右側の頭蓋内に異変が起こったことを予想して必要な検査を直ちに行い,脳梗塞の徴候が認められた場合には速やかに適切な治療を開始する必要があるというべきである(仮に,下垂体腺腫の手術後の合併症として脳梗塞が発生する事態が極めて稀であるため,脳梗塞の発生を予見することが困難であるとしても,本件開頭手術は右前頭側頭の開頭により右視神経や右内頸動脈の部位を中心に行った手術であるから(前記認定),医師としては,遅くとも左下肢の運動麻痺が認められた時点以後は,右側の頭蓋内に異変が起きたことを予想し,これに対処する必要があるといわなければならない。)。
     それにもかかわらず,前記認定事実及び証拠(乙2,R証言,R鑑定)によれば,CT検査が実施されたのは翌10日午前10時45分ころであり,CT検査所見により右中大脳動脈領域に脳梗塞が発生したことが判明した後の同日午後零時ころからは,グリセオール,脳浮腫改善剤であるリンデロン及び脳血管攣縮の治療薬であるフサンの投与が行われたことが認められるものの,それまでの間に左下肢の運動麻痺に対する治療が行われたことを認めるに足りる証拠はない。
したがって,亡Fの主治医である被告E医師には,7月9日午後2時時点での脳梗塞の診断のための検査を怠り,脳梗塞の治療の開始が7月10日午後零時ころまで遅れたという,本件開頭手術後の脳梗塞の発見,治療上の注意義務を怠った過失があるというべきである。
ウ 原告らは,7月12日午後7時には,亡Fの明らかな意識状態の悪化,脳梗塞巣の拡大が認められたものであるから,この時点でCT検査を行い,梗塞巣の拡大を確認し,直ちに減圧開頭手術を行うべきであったにもかかわらず,被告病院の医師がこれを怠ったため,翌13日まで観察,診断,治療が遅れたと主張する。
前記認定によれば,亡Fは,7月12日午後2時30分ころ及び同日午後6時ころには,原告Aと会話をしていたものの,同日午後7時50分ころには,呼名され,開眼を促されても,右眼を開眼するのみであり,この時点で脳梗塞の悪化による意識状態の低下の症状が現れていたこと,翌13日午前9時30分ころには,JCS分類で意識レベル100の半昏睡の意識状態にまで低下し,CT検査の結果,著明な脳浮腫と右から左への正中偏位が認められたため,同日午前11時30分ころ,右中大脳動脈領域の術後脳梗塞による外減圧開頭手術の実施が急きょ決定されたこと,同日午後1時30分ころから同手術が行われたことが認められる。
R医師は,開頭手術後の脳圧亢進に対して減圧開頭手術を行うひとつの指標は,24時間以上にわたる薬物治療が無効で,CT所見及び意識状態が悪化した時点であると述べているところ(R回答書,R鑑定),脳梗塞は,それにより死滅した脳組織そのものは回復しないという重大な結果をもたらすこと(R証言)に照らせば,少なくとも,外減圧開頭手術を実施するかどうかを決めるための検査や診断は,24時間以上にわたる薬物治療が無効で,CT所見及び意識状態が悪化した時点で直ちに行う必要があると解すべきである。
そうすると,7月10日午後零時ころから脳梗塞に対する薬物治療が行われていたにもかかわらず,7月12日午後7時50分ころには意識状態の低下が認められたものであるから,その時点で直ちにCT検査を実施し,中大脳動脈領域の脳梗塞の悪化の有無及び程度を観察し,投薬治療を継続するか,外減圧開頭手術を実施するかの判断をする必要があったにもかかわらず,亡Fの主治医である被告E医師は,これを怠ったというべきである。
そして,R医師は,7月12日夜が外減圧開頭手術の実施を考慮すべき最初の時期であった,この時点でCT検査所見上に梗塞巣の拡大を確認すれば外減圧開頭手術を行うべきであったなどと述べていること(R回答書,R鑑定),7月13日のCT検査の実施から間もなく,外減圧開頭手術が実施されたこと(前記認定)を併せて考慮すれば,仮に,7月12日午後7時50分ころの意識状態の低下が認められた段階でCT検査を実施していたとすれば,直ちに外減圧開頭手術を行う必要があると判断された可能性は高かったというべきであるから,被告E医師がこの時点でCT検査をするなどの脳梗塞の観察,診断を行わなかったことにより,外減圧開頭手術の実施も遅れたものと解するのが相当である。
したがって,被告E医師には,7月12日午後7時50分時点で脳梗塞の検査や診断を怠り,外減圧開頭手術の実施が遅れたという,本件開頭手術後の脳梗塞の治療上の注意義務を怠った過失があるというべきである。
5 被告事業団の責任
被告E医師の過失は,前記のとおり,治療方法の選択,決定段階における過失と本件開頭手術後の脳梗塞の発見,治療上の過失であるところ,これらは,被告E医師が被告事業団の業務の執行中に引き起こしたものであるから,被告E医師を使用する被告事業団には,不法行為上の使用者責任があるというべきである。
6 被告E医師の過失と亡Fの死亡の結果との間の因果関係
前判示のとおり,被告E医師には,治療方法の選択,決定段階における過失と本件開頭手術後の脳梗塞の発見,治療上の過失(7月9日時点及び7月12日時点の各過失)が認められるところ,それぞれの過失と亡Fの死亡の結果との間の因果関係が認められるか否かを検討する必要がある。
(1) 脳梗塞の発見,治療上の過失と亡Fの死亡との間の因果関係について
まず,亡Fの死因が脳梗塞後の頭蓋内圧亢進に起因すること(前記認定)から,脳梗塞の発見,治療上の過失と亡Fの死亡との間の因果関係について検討する。
ア 前記認定事実及び証拠(証人S,R証言,R鑑定)によれば,亡Fは,外減圧開頭手術後,一時的にJCS分類で意識レベル10程度の意識状態にまで回復したものの,同手術後3日目には,JCS分類で意識レベル100ないし200程度の深昏睡の状態に再び悪化し,頭蓋内圧亢進も認められたこと,そのため,バルビツレート療法が開始されたが,同療法により,長期間にわたる気管内挿管を余儀なくされるうえ,免疫抑制作用により,口腔内,上気道,肺感染の頻度が極めて高かったところ,亡Fは肺炎に罹患し,MRSAに感染し,さらにはDICの発症を併発したこと,亡Fは,これらにより生体防御機能が著しく低下した状態下において,急性の頭蓋内圧亢進により,呼吸不全及び循環不全をきたし,死亡したことが認められる。また,R医師は,7月12日の時点で外減圧開頭手術が実施されていた場合,亡Fに軽い麻痺や知能の低下が見られたとしても,歩いたり,名前を正答できる程度には回復する可能性があったこと(R証言)を述べている。
これらの事実を総合考慮すれば,7月12日の時点で外減圧開頭手術が速やかに行われていたとすれば,本件のような意識レベルの低下をたどることはなかったし,感染症への罹患を回避できたり感染症の症状が軽減されていた可能性が高かったというべきであり,7月12日午後7時50分時点で脳梗塞の検査や診断を怠り,外減圧開頭手術の実施が遅れたという被告E医師の過失と,亡Fの死亡との間には因果関係が存在するというべきである。
イ これに対し,前記認定によれば,7月9日午後2時時点で術後脳梗塞の発見,治療が遅れたものの,翌10日午後零時ころからは薬物療法が実施され,7月12日午後6時ころまでは,亡Fの意識状態は辛うじて保たれていたと認められ,外減圧開頭手術後の亡Fの病状の上記経過を併せて考慮すれば,7月9日午後2時時点での脳梗塞の発見,治療上の過失と亡Fの死亡との間の因果関係を認めることは困難である。
(2) 治療方法の選択,決定段階における過失と亡Fの死亡との間の因果関係について
ア 本件においては,本件開頭手術が実施されたことにより,術後脳梗塞が発生し,その後,脳梗塞の検査や診断を怠り,外減圧開頭手術の実施が遅れたという被告E医師の過失を経て,亡Fを死亡させるに至ったものであるから,本件開頭手術の実施が亡Fの死亡の根本的な原因となった行為であるといわざるを得ない。
すなわち,前判示のとおり,本件開頭手術の手術操作上の注意義務違反は認められないとしても,本件開頭手術を選択し,実施していなければ,上記の経過をたどって亡Fが死亡することもなかったというべきである。
イ 平成4年当時,下垂体腺腫に対する手術の多くは経蝶形骨洞法によるものであったこと,本件のような大型で浸潤性のプロラクチン産生腺腫に対しても経蝶形骨洞法の適応を肯定する見解が存在したこと,身体に対する外科的侵襲を伴わないブロモクリプチンによる薬物療法を第1次的に行うという見解も存在したこと,開頭手術は,麻酔による合併症,再出血,痙攣,脳浮腫,感染,尿崩症,内分泌異常,精神症状や,眼球運動障害という重篤な後遺障害を発生させる危険性のある治療方法であること(被告E医師本人)は,前記認定のとおりである。これらの事実に加えて,原告Aは,6月22日に被告E医師から開頭手術の必要があるとの説明を受けてショックを受け,書店で文献を調べたり,知人に相談したりしたものであり(前記認定),開頭手術を受けることについて必ずしも積極的な姿勢ではなかったこと(原告AがI教授による執刀を希望したのは,頭蓋咽頭腫が最も疑われ,その場合に開頭手術が必要になるとの説明を受けた後のことであるから,原告Aの開頭手術の実施に対する積極性を示す行為ではない。),原告らがいずれも医師であり,開頭手術の必要があるとの説明を受けたその日のうちに,I教授が開頭手術の権威であるとの情報を知人から得ていたことからみても,代替的治療方法の説明を受けていれば,その治療方法を実施している医療機関などについて自ら調査する意欲と能力を有していたといえること,さらには,その場合には,亡Fに別の医療機関を受診させる可能性があったといえることなどの事情を併せて考慮すれば,確定的かつ正確な病名及び病状の説明がなされ,それを前提にして,開頭手術以外の代替的治療方法である経蝶形骨洞手術やブロモクリプチンによる薬物療法の内容,利害得失,予後等の説明がなされていたとすれば,原告らは,本件開頭手術に同意するのではなく,他の希望を申し出た可能性は多分にあったというべきであり,亡Fの死亡の根本的な原因となった本件開頭手術の実施が避けられた可能性は十分にあったというべきである。
ウ そうすると,被告E医師の治療方法の選択,決定段階における過失と亡Fの死亡との間には因果関係が存在するというべきである。
7 損害について
(1) 亡Fの損害
ア 逸失利益      4470万2206円
亡Fは,死亡当時17歳の高校2年生であった。したがって,亡Fの逸失利益については,平成4年賃金センサス全労働者全年齢平均賃金469万7100円を基礎収入とし,生活費控除率を45パーセントとし,就労可能期間を高校卒業時の18歳から67歳までの49年間とし,5パーセントのライプニッツ方式により中間利息を控除して算出するのが相当である。なお,ライプニッツ係数については,亡Fの死亡時から67歳までの50年の係数より,亡Fの死亡時から高校卒業時までの1年の係数を引いて,本件において亡Fに適用するライプニッツ係数とした。
そうすると,亡Fの逸失利益は,以下の計算式のとおり,4470万2206円(円未満切捨て)となる。
(計算式)
469万7100円×(1-0.45)×(18.2559-0.9523)=4470万2206円(円未満切捨て)
イ 死亡慰謝料     2000万円
以上の認定事実及び本件にあらわれた諸事情を総合考慮すれば,亡Fの被った精神的苦痛に対する慰謝料は2000万円をもって相当であると判断する。
ウ 相続
本件において,亡Fが被った損害は,6470万2206円であるところ,前記認定によれば,原告らは,亡Fの損害賠償請求権を法定相続分各2分の1の割合で相続したと解されるから,原告らが相続により取得した損害賠償請求権は,それぞれ3235万1103円となる。
(2) 葬儀費用        100万円(各50万円)
弁論の全趣旨によれば,原告らは亡Fの葬儀費用を支出したと解されるところ,本件事件と相当因果関係のある葬儀費用としては,100万円(それぞれ50万円)と認めるのが相当である。
(3) 弁護士費用       700万円(各350万円)
本件訴訟の難度,審理期間,審理の内容,認容額等を勘案すると,本件事件と相当因果関係のある弁護士費用としては,700万円(それぞれ350万円)と認めるのが相当である。
(4) 損害額合計
以上合計すると,原告らの損害額の合計は,それぞれ3635万1103円となり,被告事業団は,原告らに対し,上記各金員を支払う義務を負う。
(5) 原告らは,被告E医師に対しては,上記損害のうち,被告E医師の不法行為に基づいて慰謝料各1000万円の支払(被告事業団と連帯しての支払)を請求するものであるから,被告E医師は,原告らに対し,慰謝料として,被告事業団と連帯してそれぞれ1000万円を支払う義務を負うというべきである。
8 結論
以上によれば,原告らの請求は,以下の限度でそれぞれ理由があるが,被告事業団に対するその余の請求はいずれも理由がない。
(1) 原告Aが,被告事業団に対し,3635万1103円(ただし,1000万円の限度で被告E医師と連帯して)及びこれに対する亡Fの死亡の日である平成4年8月8日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度。
(2) 原告Bが,被告事業団に対し,3635万1103円(ただし,1000万円の限度で被告E医師と連帯して)及びこれに対する亡Fの死亡の日である平成4年8月8日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度。
(3) 原告Aが,被告E医師に対し,被告事業団と連帯して1000万円及びこれに対する亡Fの死亡の日である平成4年8月8日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度。
(4) 原告Bが,被告E医師に対し,被告事業団と連帯して1000万円及びこれに対する亡Fの死亡の日である平成4年8月8日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度。
なお,仮執行免脱宣言の申立てについては,相当でないからこれを付さないこととする。


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