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下級審医療判例real estate

金沢地判平20.3.31
                     主    文
1 被告は、原告ら各自に対し、それぞれ1,645万7,770円及び各金員に対する平成10年7月27日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、これを10分し、その9を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。
4 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。

                     事実及び理由
(略)
第3 当裁判所の判断
1 被告病院医師の過失(争点(1)ないし(8))について
当裁判所は、A医師には、第2手術の術中に胸骨下部での癒着剥離を継続した点に過失があると判断した。その理由は、以下のとおりである。
(1)証拠(略)によれば、以下の事実が認められる。
ア 第1手術後に行われた諸検査の結果等
(ア)心エコー検査の結果
a 6月27日実施の心エコー検査
花子には僧帽弁閉鎖不全、心のう液貯留、左室異常壁運動が認められ、心タンポナーデに特徴的な形態ではないが、心臓全体の振り子様運動(心臓の真ん中の壁と外側の壁が並行して動くように動き、振り子を振っているかのように見える動きのこと。)も認められた。
また、左室内径は拡張しておらず、右心系の心腔容積も拡張していなかった。
そして、同検査を行った長井医師は、僧帽弁閉鎖不全、心のう液貯留が心機能による血行動態に影響している可能性を考えるとの診断をした。
b 7月1日実施の心エコー検査
花子には、心のう液貯留(後壁にて5〜15mmと前回と著変なし。)、左室心室中隔下壁の壁運動低下、左室内腔拡張、僧帽弁逆流(中等度)、大動脈弁逆流(軽度)、下大静脈拡張、心臓の振り子様運動等が認められた。
そして、同検査を行った吉澤医師は、前回エコーと著変なしとの診断をした。
c 7月14日実施の心エコー検査
(a)花子には、心のう液貯留(右室自由壁(前面)で18〜20mm、後壁側で30mm、心尖部で15〜20mm)、大動脈弁置換術後状態、中等度の僧帽弁閉鎖不全、左室収縮機能異常(軽度)が認められた。
また、短軸像で振り子様運動が認められ、右室圧排も認められた。
(b)その詳細は、以下のとおりである。
@ 同日午後6時37分53秒に撮影されたエコー写真左室区と右室区の両方がきれいに切れて見えて、左室の側壁に少なくとも20mm以上、左室心尖部左寄りに20mm以上、心尖部右室寄りに少なくとも10mm以上という連続的に描かれているエコーフリースペースが認められる。
A 午後6時42分56秒に撮影されたエコー写真胸骨左縁から右室と左室が切れる面に近い角度でエコープローベを当てたものと思われ、この断面においては、右室の前面に心のう、心外膜があり、その上に心のう液が貯留していることが認められる。
B 午後6時38分10秒及び同分37秒に撮影されたエコー写真
Aのエコー写真と同じく心尖部からエコーを当てたものである(ただし、角度はずれていると思われる。)。心尖部左室長軸断面に心のう液が貯留していることが認められる。
(c)そして、同検査を行ったB医師は、心エコー上は心タンポナーデと判断されるとした。
(イ)胸部レントゲン撮影の結果
第1手術後、花子に対してはほぼ毎日、1日1、2回の胸部レントゲン撮影が行われた。
花子のCTR (心胸郭比)値は、6月23日から6月27日午前6時ころまでは60%前半で推移し、6月27日午後4時に69.4%となった後は第2手術が行われるまで概ね70%を超える値であった。
(ウ)6月28日から7月16日までの間の花子の尿量及びSa02 (動脈血酸素飽和度。動脈血中の酸素の飽和度、呼吸機能・心機能の指標とされている。)、並びに6月28日から7月11日までのCVP(中心静脈圧)は、別紙尿量とCVP、Sa02推移表記載のとおりである。
これによれば、花子の尿量とCVPは、尿量が下がるとCVPが上昇し、尿量が上がるとCVPが下がるという形で推移しており、尿量とSa02は、7月11日ころまでは、尿量が増えればSa02も増え、尿量が減ればSa02も減るという形で推移していたが、同月12日ころからは、尿量が増えてもSa02は低下するという状態である。
そして、花子のCVPとSaO2は、7月5日及び6日を除き、ほぼ、CVPが低いときはSa02が上がり、CVPが上がってくるとSa02が下がるという推移を見せている。
(再)花子の心電図検査の推移
第1手術後、第2手術までの花子の心電図検査の結果は、7月10日及び同月11日については不明であるものの、その余はいずれも低電位なしとなっている。
(オ)トロンボ・テスト(TT)の値の変化
トロンボ・テスト(TT)は、ワーファリン治療の際に用いられる血液凝固能検査の1つであり、この値が低いほど血液凝固能が低いことを示す。
A医師は、第1手術において人工弁を装着した花子に対し、血液凝固能を調節することによって人工弁への血栓の付着を防止するため、6月24日以降7月15日に中止を指示するまで、ワーファリンを適宜投与した。
その結果、第1手術後、第2手術までの花子のTT値は以下のとおり推移した。
イ 保存的治療の選択とその効果
A医師は、第1手術後7月上旬までの花子の心臓疾患の状態を術後心不全と判断し、花子に認められた心のう液の貯留に対しては、外科的ドレナージ等によることなく、水分制限、利尿剤の投与という保存的治療により排液を促す方法を選択して実施した。
ウ 第2手術実施の判断
A医師は、7月14日、同日に実施された心エコー検査の結果を受けて、花子が心タンポナーデを発症しているとの確定診断をし、7月16日に第2手術を行うことを決めた。
なお、7月15日の花子の経過録には、「「TT値は23%と低いが、状態改善のため、至急ドレナージが必要である。」旨の記載がある。
一般的な心タンポナーデの所見としては、@胸痛、呼吸困難(坐位で軽減)、B頭部、頸部のチアノーゼ、B頚静脈の怒張、C低血圧、脈圧狭小化、顴脈、D奇脈、ECVP(中心静脈圧)の上昇、F心電図で低電位、G胸部レントゲン写真で心陰影の拡大、H心エコー検査でエコーフリースペースが見られる、I心音の微弱等が挙げられる。
そして、心タンポナーデとの確定診断を行うにあたって特に重視されるのは心臓の圧迫、特に右房、右室の圧迫が認められるかどうかにある。
心タンポナーデに対しては、心のう内に貯留した心のう液を速やかに排除することが必要である。
そして、心のう液を排除する方法としては、外科的ドレナージのほか、心のう穿刺による排液があるが、A医師は、後記オのカンファレンスを経て、第2手術の術式として、外科的ドレナージの中でも侵襲度の低い剣状突起下アプローチを採用した。
第2手術で採用された剣状突起下アプローチは、手術侵襲の程度において、小手術であるペースメーカー植込術に相当すると解されている。
そして、小手術とされているもののうち、ペースメーカー植込術を行う場合は、TT値が約27%より大であれば、手術の適応があるとされている。
エ A医師の認識
(ア)A医師は、一般的に、開心術後から22日経過した患者の心筋と心膜の内側が癒着している可能性のあることは認識していた。
また、花子の心膜の外側と剣状突起下部については、開心術後であることから瘢痕組織となっていることを想定していた。
(イ)A医師は、7月14日の心エコー検査に立ち会い、全周性のエコーフリースペース、特に右室の前面に18ないし20mmのエコーフリースベースが認められ、また、振り子様運動も、認められたことから、花子の心筋と心膜が癒着している可能性は少なく、仮に癒着があったとしても軽微であり、剣状突起下からのアプローチによって心筋自体を損傷する可能性は極めて少ないと判断した。
(ウ)なお、第2手術のアプローチ部位である剣状突起下からの心臓の様子については、エコープローベを当てたものの、肝臓が張り出していたため心臓を映し出すごとはできず、A医師は、同部位からのエコー所見のないまま、上記(イ)の判断をした。
オ 第2手術の術式の決定
7月15日、A医師が所属する被告病院の心臓グループのカンファレンスにおいて、花子に対するドレナージ術は、剣状突起下アプローチにより行うことが決まった。上記カンファレンスでは、一般論として組織の癒着は想定されるが、前日の心エコー検査により全周性の心のう液が確認されているのであるから、それほど問題にならないであろうとの結論であった。
なお、第2手術当時、A医師は、心タンポナーデに対する治療法として、内科的な心のう穿刺と外科的な剣状突起下アプローチ、左開胸法及び胸骨正中切開があることを認識していたが、花子の右室前面に心のう液が広範囲に貯留しており、それでもなお右室前面における癒着を完全に否定することはできないものの、その可能性は少ないという所見に基づき、剣状突起下からのアプローチが可能であると判断し、侵襲度の大きい左開胸法及び胸骨正中切開は一応排斥した。そして、剣状突起下からのアプローチを行う場合、心のう穿刺であっても外科的なドレナージであってもアプローチ部位について特に差異はないが、心筋損傷、冠動脈損傷等の合併症の危険を考えると、触診下、直視下で行えるかどうかという観点から、外科的開窓術(剣状突起下アプローチ)の方が優位にあると考えていた。
カ 第2手術の経過
(ア)A医師は、花子の剣状突起付近の皮膚を6cm前後(剣状突起の上面を含む。)切開したところ、心膜と胸骨裏面の間に硬い瘢痕組織が存在し、前縦隔と心膜外側の境界が不明瞭であったこと、及び、周囲の組織が十分に剥離できず、剥離部分に指が入らないため触診することもできなかったことから、心臓に向かって剥離を進めることは危険な状態であった。
(イ)そこで、A医師は、視野を広げ、触診が可能になるようにするため、心臓へ向かうよりも先に胸骨裏面方向に向けて癒着した組織の剥離作業を進めた。
すなわち、A医師は、見える範囲内の剣状突起を切り取り、胸骨下端を助手に2ないし3cm牽引させながら、別紙図面の@の方へ電気メスやメスによって胸骨裏面を剥離して、癒着した組織が目の前に現れるように、胸骨裏面を幅広のU字型に視認できる状態まで剥離を進めた。
(ウ)その後、A医師は、心膜の方ヘメスや電気メスを使用し心臓の方に向かって薄く広く組織の剥離を進めた。ところで、心膜外側の瘢痕組織と心膜との境界は、心膜が白い組織であることから目視により確認することが可能であり、また、心臓の拍動を指で触れることによっても確認が可能である。
しかし、花子の心膜は肥厚して硬くなっており、肥厚化した心膜と瘢痕組織の境界が不明瞭であったため、A医師は、触診することによっても花子の心臓の拍動を感じることができず、浅く削っては指を入れて確認するという形で剥離を進めた。そして、心膜に到達したにもかかわらずこれに気付かず、そのまま剥離を進めた結果、胸骨下端から上方約15ないし20mm前後のところで、上方へ牽引する前の胸骨裏面の直下約5ないし10mmの深さの範囲(正中線との関係では約30mm前後の幅にある胸骨の横幅の範囲内)にある胸骨裏面下の心膜を損傷し、その心膜部分において心膜内面と癒着していた心筋を損傷して、出血を招いた。
(エ)A医師は、上記出血の当初、排出する液体が暗赤色で静脈血と同じ色をしていたものの、心のう内に貯留する液体は血性のことが多く、出血量も少なかったことから、これが心のう液であるのか、心臓からの出血であるのか判断ができず、出血部位を指で押さえながら、約5分間が経過した後、最終的に、出血部位で心膜と心筋が癒着しており、心筋を損傷したものと判断した。
(オ)この時点では、花子の血圧はまだ低下していなかったが、体動が激しくなってきたため、A医師は、全身麻酔に切り替えた上で、胸骨正中切開に術式を変更した。
(2)手術に際しては、医師は、人の生命及び健康を管理する業務に従事する者として、適宜手術部位の状態を的確に把握して、危険防止のために経験上必要とされる最善の注意を尽くして手術を行うべき義務がある。
これを本件についてみると、前記前提事実及び認定事実によれば、第2手術は、体内組織が癒着しやすい体質の花子に対する第1手術の22日後に行なわれた手術であり、手術開始当初から堅固な瘢痕組織が認められ、これと心膜との境界が不明であった。
そして、第1手術は、胸部正中切開後心膜を開いて行われたものであるから、切開部分において、心膜と心膜外の組織とが癒着しているとすれば、心膜とら膜内の心筋とが癒着していることも想定すべきであったと考えられる。また、7月14日の心エコー検査の結果において、全周性のエコーフリースベースが存在し、特に右室前面に18ないし20mmのエコーフリースペースが認められたとはいえ、これはある断面において心臓の周囲に心のう液が18ないし20mmの幅で貯留していることを示すに過ぎず、他の断面での癒着の可能性を排除するものではなく、第2手術のアプローチ部位からのエコー所見は得られていないから、同日の心エコー検査の結果から、アプローチ部位における癒着が完全に否定できたわけではない。さらに、瘢痕組織の存在により視野は容易に広がらず、これに出血が加わって、手術部位の目視は困難であったものと推測され、加えて、肥厚化した心膜とこれに癒着した瘢痕組織が堅固になり、触診をしても心臓の拍動を感じることができなかったという状態であった。
以上のような事情の下では、A医師は、胸骨裏面の方向への剥離作業が終わった時点において、そのまま心臓に向かって組織の剥離を続けると心膜を損傷し、その部分で心膜内側と癒着している心筋を損傷する危険があり、A医師は、この危険を予見することができたのであるから、心筋損傷に至る前に剥離行為を中止し、直ちに胸骨正中切開等の他の術式に切り替えるか、一旦手術を中止すべき注意義務があったということができるのであり、A医師は、この注意義務に違反し、漫然と剥離を続けたのであるから過失がある。
被告は、第2手術を中止することは、花子に対する負担を増大させるから相当な選択肢ではない旨主張する。
しかし、花子の心タンポナーデは、緊急にドレナージが必要な状態ではなく、数日間の猶予があったことは、A医師白身も認めるところであって、手術を一旦中止し、必要な検査を実施して花子の癒着等に関する情報を改めて収集し、花子の状態に適した術式を選択して手術を改めて実施するだけの適応はあったものと考えられるから、被告の上記主張は採用できない。
また、被告は、胸骨正中切開への切替えは、花子に対する侵襲の度合いが大きく、胸骨下部と心膜外側との癒着剥離が必要になることに変わりがないから、相当な選択肢ではない旨主張する。
しかし、手術中止という選択肢を取らない場合には、他に安全で侵襲度の低い方法は見当たらないし、剣状突起下アプローチを継続することの問題点は、視野が狭く触診の効果がない状況で限定されたアプローチ部位において剥離を進めることにあり、胸骨正中切開法においてはそのような問題点は克服されると考えられるから、被告の上記主張も採用できない。
2 争点(9)(相当因果関係)について
(1)証拠(略)によれば、以下の事実が認められる。
第2手術での心筋損傷により花子は出血し、約10分ないし15分間心停止状態になった。そこで、心マッサージ下にPCPSを装着し、A医師は右寔縫合術を行った。第2手術終了時までの出血量は4,470m糺輸液量は5,400m tであった。
第2手術終了後、花子は、PCPSを付けたまま集中治療寔に帰室したが,心機能は問題ないとの判断により、7月16日中にPCPSを離脱した。
そして、脳浮腫予防等のため、花子には同日から同月19日までの間低体温療法を行った。また、乏尿のために、同月17日から同月20日までの間除水
(ECUM:体外式限外濾過法)を行った。同日には、大動脈弁置換術後状態、意識障害との診断がなされている。
以後、花子は、人工呼吸器下に管理されていたが、7月25日に発熱して、その後熱の高い状態が続き、7月27日に突然肺及び気管支内出血をきたし、再び低酸素状態となり同日午後8時27分に死亡した。
(2)上記認定事実によれば、花子の直接の死因は肺及び気管支内の出血とされているが、第2手術において、胸骨下部での癒着剥離を継続したため、剥離中に心膜を損傷するとともに、心膜内面と癒着していた心筋を損傷したために大量出血を招き、花子の全身状態が悪化して、その後の措置にもかかわらず花子の状態は回復せず、7月27日に肺及び気管支内出血が生じて死亡したものと認められる。
そして、前記のとおり、第2手術時の花子の心夕ンポナーデが7月16日に手術を実施しなければ生命の危険があるという状態ではなかったのであり、また、胸骨裏面の方向への剥離作業が終わった時点で胸骨正中切開法に切り替えるという選択肢もあった。したがって、第2手術中の手技上の過失がなければ、花子が7月27日の時点で生存していた高度の蓋然性があるというべきであるから、この過失と花子の死亡との間には相当因果関係が認められる。
3 争点(10)(損害額)について        ゛
(1)損害額
ア 花子の逸失利益  1,987万3,311円(略)
イ 慰謝料           2,500万円
花子の年齢、家族構成、本件過失の態様その他本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、花子の死亡による慰謝料は2,500万円とするのが相当である。
ウ 弁護士費用        450万円(略)
エ 合計         4,937万3,311円
(2)相続
春夫は、花子の夫として、(1)エの2分の1の金額の損害賠償請求権を相続し、原告らは、(1)エの8分の1の金額の損害賠償請求権を相続した。また、松夫も(1)エの8分の1の金額の損害賠償請求権を相続したが、松夫は、春夫及び原告らに対して自己の相続分を法定相続分に応じて譲渡したから、春夫は(1)エの16分の9に相当する金額の損害賠償請求権を、原告らは(1)エの48分の7に相当する金額の損害賠償請求権を、それぞれ取得した。
そして、前記前提事実(1)ア記載のとおり、春夫が死亡し、その相続人は原告夏子、同秋子、同冬子及び松夫であるが、松夫が相続を放棄したため、原告らが春夫の被告に対する損害賠償請求権を各3分の1ずつ相続した。
その結果、原告らは、(1)エの金員の3分の1ずつ、すなわち各自1,645万7,770円の損害賠償請求権を相続した。
(3)したがって、被告は、原告らに対し、不法行為(使用者責任)に基づき、それぞれ損害賠償金1,645万7,770円及び各金員に対する不法行為の後の日である平成10年7月27日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。
4 以上によれば、原告らの請求は、主文1項の限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却する。
なお、被告は仮執行免脱の宣言を求めるが、相当でないので付さないこととする。

金沢地方裁判所第2部
   裁判長裁判官 倉田 慎也
      裁判官 水野 正則
      裁判官 北川 幸代

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