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下級審医療判例real estate

名古屋地判平18.3.30
                    主    文
1 被告は,原告Aに対し4930万7757円,同B,同C,同D及び同Eに対しそれぞれ1232万6939円,及びこれらに対する平成13年8月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告らのその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は,被告の負担とする。
4 この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。
                    事実及び理由
(略)
第3 当裁判所の判断
1 争点1(本件手術中における出血の原因)について
(1) 本件手術の経緯及びFの死亡について
前記前提となる事実,当事者間に争いのない事実,乙A21,22号証,当該箇所に掲記の証拠及び弁論の全趣旨によると,本件手術からFの死亡に至る事実は次のとおりであったものと認められる。
ア 8月1日午後零時18分に本件手術が開始された(以下,アないしスは8月1日のことである 。)。
イ Gは,右上腕動脈,左上腕動脈,左総頸動脈の3箇所から経皮的にイントロデューサー(乙A16号証の1)を用いてガイドワイヤー(同号証の2)を挿入し,これに沿ってそれぞれシースを挿入してシースを目的位置まで進めた後,ガイドワイヤーを抜去した。これによって3つのシースがそれぞれ動脈内に留置された状態になっている(このイにおけるガイドワイヤー及びシースは血管損傷の原因として争われている左外腸骨動脈の分
岐部付近に挿入されたものとは別のものである 。)。
ウ 午後2時05分,左大腿動脈の血行を遮断して,ガイドワイヤーの挿入を開始し,このガイドワイヤーを上記イの右上腕動脈のシースから入れたカテーテルで捕獲し,ガイドワイヤーを右上腕動脈のシースから取り出した。これによって,ガイドワイヤーが左大腿動脈から右上腕動脈に通っている状態になっている。
エ(シースの挿入から中止まで)
(ア) Gは,午後2時07分,ガイドワイヤーに沿ってダイレータ付きシース(乙A16号証の3)の挿入を開始した。
(イ) Gは,シースを押していったが,Y型グラフトの脚入口からやや末梢よりの箇所で抵抗を感じたため,いったんシースの挿入を停止した。
同医師は,術前検査の結果,抵抗があると予想された総腸骨動脈と左外腸骨動脈の分岐部付近に停止したシースがあるものと推測した。この部分は,術前検査の結果,屈曲が50度であり,血管内径がシースの外径14よりも太いことが判明していたことから,更に押せば通過する可能性があると判断し,力を加えてシースを継続的に押していったところ,当該部分を通過させることができた 同医師は,摩擦による抵抗を感じたがY型グラフトの内径(12o)はシースよりも太いので,通過するものと考えており,シースをY型グラフト内に進めていった。
(ウ) シースがY型グラフトの上端付近まできたところでより抵抗が強くなった。Gは,Y型グラフトは強い屈曲がなく,内径が十分あるので,通過する可能性があると考え,更に力を掛けて押したが,シースが進まなくなった。当初,シースを胸部下行大動脈まで進める予定であったがGは,Hと相談し,シースがY型グラフトを越えていればステントグラフトを胸部まで運搬することは可能と思われるので,シースをそれ以上先に進める必要はないものと判断して,シースをその位置に留置し,ダイレータ及びガイドワイヤーを抜去した。
オ Gは,造影剤を使用して,シースの先端の位置がY型グラフトの上端を越えていることを確認した。
カ Gは,シース内にステントグラフト運搬システム付きのガイドワイヤーを挿入し,そのガイドワイヤーの先端を上記イの右上腕動脈のシースから入れたカテーテルで取り出した。これによって,ガイドワイヤーが本シース内を通って右上腕動脈まで通っている状態になっている。
キ(ステントグラフトの挿入から中止まで)
(ア) Gは,午後2時20分から,ステントグラフトの挿入を始めた。シースの終わりの部分(体外)についている弁にカートリッジシース(乙A16号証の5)を装着し,シース内にステントグラフトを押していった。
(イ) Gは,シース挿入時と同様,Y型グラフトの脚入口からやや末梢よりのところで抵抗を感じた。しかし,同医師は,シースが通っているからステントグラフトの通過する可能性はあると推測し,更に力をかけてステントグラフトを押したり,ガイドワイヤーの先端を引き,方向を変えたりして通過を試みたが,ステントグラフトは進まなかった。
(ウ) GがHに対してステントグラフトが進まないと述べたところ Hは,術前検査によると,ステントグラフトが進まなくなっている部分は,屈曲は約50度と緩いものであり,血管内径がシースよりも太いこと,そして,従来の経験によると,もっと程度の重い屈曲,狭窄及び石灰化が見られたものも通過させることができていたことからすれば,更に押せば通過できる可能性があると考え,Gに代わって,ステントグラフトを押した。ところがステントグラフトをほとんど進めることができなかった。
(エ) GとHは協議し,ステントグラフトを進めることは困難であるので本件手術は中止し,ステントグラフトのリングの数を減らし小さくする等の変更が可能かどうかを検討した上で,再手術を行うことにした。
ク Gは,午後3時08分から同15分の間,ステントグラフトが入った状態のシースを抜去した。
ケ 午後3時15分,シースを抜去した直後,血圧が39oHgまで低下しFは,ショック状態となった。直ちに,点滴を全開にして,急速静注を行ったが,血圧上昇が見られず,Fから,左下腹部が痛いとの訴えがあり,左下腹部に膨張が見られたことから,左外腸骨動脈からの出血が疑われた。呼吸状態が悪化してきたため,気管内挿管を開始し,血圧低下に対する応急措置も採られた。
コ 午後3時49分ころ 造影剤を流し,血管破裂及びその位置を確認した。
シ 午後4時10分,止血するため,破裂部位にステントグラフトを留置することにし,Y型グラフトと一部重なるようにして,外腸骨動脈にステントグラフトを留置した。その後,ステントグラフトをバルーンで拡張した。
ス 午後5時20分,外科医師により,左大腿動脈の血管縫合が開始され,同5時58分,手術は終了した。
セ その後,Fは,被告病院において治療を受けたが,9月17日,虚血性多臓器障害,出血性脳梗塞及び敗血症により死亡した。
(2) 出血の原因について
ア 原告らは,Gが,ダイレータ付シースを左外腸骨動脈に下から上に突き上げて通過させようとした際,ダイレータの先端部が血管壁を貫通し,左外腸骨動脈を破損させ,本件出血が起きた旨主張する。
この点については,ダイレータの先端は細くとがっており(乙A16号証の3),Fの出血部位は,外腸骨動脈が総腸骨動脈の分岐部に向けて屈曲している部分であること(Hの証言)によると,ダイレータの先端が屈曲した血管壁を貫通したとみる余地もないではないと考えられる。
イ しかし,ダイレータの先は,血管壁を突き破ることのないように非常に柔らかくなっていること,ガイドワイヤーが入っており,血管はまっすぐの方向に伸ばされていること,ダイレータは,ガイドワイヤーに沿って進むことが認められるので,このとがった部分が血管壁を突き破るとことは考え難い(H及びGの証言)。
上記によると,左大腿動脈から右上腕動脈に通っているガイドワイヤーによって屈曲が緩やかにされている血管をガイドワイヤーに沿ってダイレータが進むのであるから,このダイレータが血管壁を貫通することは通常考え難いものであるといい得る。
ウ 上記のとおりであり,Gの操作したダイレータの先端部が血管壁を貫通したものと認定することはできない。
2 争点2(治療方針選択の過失の有無)について
(1) 原告らは,ステントグラフト内挿術は,成功率の乏しい危険な手術であり,Gが本件手術を治療方針として選択したことに注意義務違反があった旨主張する。
(2) ステントグラフト内挿術について
ア 我が国において,腹部大動脈瘤に対するものとしては平成7年(1995年),胸部大動脈瘤に対するものとしては平成11年(1999年)に始められたとの文献(乙B4号証)もあるが,Hは,H式ステントグラフト内挿術につき,上記のとおり平成6年から臨床使用を始めており,本件手術当時 被告病院をはじめ合計7つの医療機関で同術が実施されており,手術総数は357例,うち胸部大動脈瘤の手術総数は117例であったと
される(乙A22号証)。
イ ステントグラフト内挿術は,本件手術当時,保険適用がなかった(乙A21,22号証)ものであり,平成14年及び同15年においても,「大動脈疾患のステントグラフトによる治療体系の確立に関する研究」が継続されており,その研究目的として 「胸部及び腹部大動脈瘤に対する治療法の一つとしてステントグラフト内挿術が行われるようになってきているが,ステントグラフトの大半が自家製で,しかもそれを施行する施設の独自の考えで行われていることから,その適応,方法,治療効果及び合併症等に関してまとまった研究がされていないのが現状であり,治療体系の確立することを目的にする」旨述べられており,この研究には,H,Gも研究者として加わっている(甲B8,9号証(枝番号を含む))。
ウ 上記によると,ステントグラフト内挿術は,本件手術のされた平成13年8月当時,完成された治療法として確立していたものとはいい難いが,全国的規模で相当数の症例における施行の実績が積み重ねられていたことが明らかであり,H式ステントグラフト内挿術も相当数の症例に施行されていたことによれば,原告らの上記主張はその前提を欠くというべきである。
(3) Y型グラフトが既に留置されている場合におけるH式ステントグラフト内挿術の実施について
ア 上記のとおり,Fには既に平成11年9月10日の被告病院における手術によって,腹部大動脈から総骨動脈にかけてY型グラフトが留置されていたのであり,本件手術は,ステントグラフトをY型グラフトを通過させて胸部大動脈瘤まで運搬させるものであった。
イ Hは,既に留置されている人工血管の中を通すのは,人工血管自体が伸びないために抵抗がやや増えるので,シースと比べ脚の内径に十分余裕のあることが好ましいと思っていた旨証言している(Hの証言)。これによると,Y型グラフトが既に留置されている場合には,そうでない場合と比べて,H式ステントグラフト内挿術を施行するについて抵抗に対する注意が必要であることを認識していたことがうかがわれる。
ウ しかし,本件手術当時,Y型グラフトが留置されていた症例についてH式ステントグラフト内挿術を実施して事例が既に6件あり,そのうち4件は成功していた(乙A21号証,B12号証)のである。
そうすると,Y型グラフトが留置されていたということのみから,本件手術が極めて危険なものであったと評価することはできない。
(4) 上記のとおりであって,原告らの主張を採用することはできない。
3 争点3(手術適応判断の過失の有無)について
(1) 原告らは,胸部大動脈瘤が上行大動脈に位置する症例についてはステントグラフト内挿術は適応がないところ,Fの胸部大動脈瘤は上行大動脈から大動脈弓部にかけて位置していたから適応がなかった旨主張する。
(2) Fの胸部大動脈瘤の位置について
ア Fの死亡後,病理解剖をした岐阜大学医学部病理学教室の担当者は,胸部大動脈瘤は「上行大動脈〜大動脈弓部」に位置していたと判断している(甲A3号証)。
イ しかし,H及びGは,Fの胸部大動脈瘤の部位は,弓部から遠位弓部にかけてであり,上行大動脈にはかかっていないという(乙A21,22号証,H及びGの各証言)。
ウ 上記によると,病理解剖担当者の上記判断のみから,直ちに,Fの胸部大動脈瘤が上行大動脈に位置していたものと認定するのは困難であり,この点を的確に認定するには足りないといわざるを得ない。
(3) 上行大動脈の胸部大動脈瘤へのステントグラフト内挿術の適応について
ア 上行大動脈は,血流が非常に速く,人工血管を固定するものがなく,ずれて流れてしまう可能性があり(Gの証言),Hも,H式ステントグラフト内挿術の適応について,平成10年の時点では,上行大動脈に留置を要する症例は適応から除外していることを明らかにしていた(乙B5号証51頁)。また,平成14年にも,胸部領域におけるステントグラフト内挿術は,一部の遠位弓部を含む下行大動脈が対象となる旨を指摘している論考が発表されている(甲B1号証1501頁)。
イ しかし,Hは,枝付ステントグラフトの開発が進んだことから,平成10年を境に,それまでの遠位弓部大動脈瘤,下行大動脈瘤及び腹部大動脈瘤から,弓部大動脈瘤,上行大動脈瘤にまで広げられた旨述べる(乙A22)。これによれば,平成10年以降については,胸部大動脈瘤が上行大動脈に位置していたことのみをもって,H式ステントグラフト内挿術が適応のないものということはできない。
(4) 上記に検討したところよれば,Fの胸部大動脈が上行大動脈に位置していたものと認定することは困難であり,仮に上行大動脈に位置していたとしてもこのことから直ちに本件手術が適応のなかったものということはできない。したがって,原告らの主張を採用することはできない。
4 争点4(手技上の過失の有無)について
(1) H式ステントグラフト内挿術を実施する医師の搬送経路の血管に関する注意義務について
ア 搬送経路の血管に関する術前の検討について
(ア) 術前検査の具体的内容
乙A21,22,24号証,H及びGの各証言によると,次の事実が認められる。
a Hは,H式ステントグラフト内挿術の実施を検討する場合,当該患者の大動脈瘤の造影データから,ステントグラフト設計用のコンピューターシュミレーションソフトを用いてステントグラフトの形状やサイズを決定し,設計図を作成する。この形状やサイズを決めると,それに合わせて使用するシースの太さを定め,当該患者の搬送経路の造影CTのデータ及び大動脈造影のデータから,搬送経路の血管の状態を検討し,シースの通過可能性を検討する。
b 搬送経路の血管の状態に関しては,造影CTのデータから,屈曲,狭窄,石灰化の3つの要素を総合して検討する。具体的には,@90度以上の屈曲が複数あるか,A血管内径とシース外径とを比べ,血管内径が小さい箇所が長い範囲にわたるかどうか,B石灰化が高度で血管の進展性が少なくシースの通過が困難か(石灰化の程度にもよるが,血管径360度のうち半分を超える部分が石灰化しているか。),である。上記の要素は,搬送経路の血管につき,@屈曲の角度が大きいほど,また屈曲の数が多いほど,A血管内径が小さいほど,B石灰化については,血管径に占める割合が大きいほど,また,石灰化の程度が高く,範囲が広いほど,シース等を挿入する際,血管壁にかかる負荷が大きくなり,血管損傷の危険性が高くなるということから,適応を判断する基準としている。
(イ) 術前検査の限界について
a 上記のとおり,搬送経路の血管に関して検討するが,術前検査によっても,(a)血管内径は厳密には分からず,狭窄の形は楕円であったり,三日月形であったりいろいろな形をしているが,その形も判明しない(Gの証言)。また,(b)石灰化のうち,輝度(白さの度合い)が高く動脈硬化が進行した状態についてはCT画像に鮮明に写るが,粥腫(動脈硬化の状態の一つで,粥のようにどろどろしたものが血管内壁に付着しているような状態のこと)については,この部分も血液と誤認して血管内径を実際よりも大きく見てしまう場合がある(乙A21号証)。(c)屈曲 や石灰化の角度についても,見る角度やその人の見方によって誤差が生じ得る(乙A21号証)。
そこで,術前検査によって得られる屈曲や石灰化のデータによっても,動脈壁の脆弱性を正確に推測することはできず,搬送経路のどの部位について血管損傷の危険性が高いかという個々の血管壁の強さは明らかにはならない(乙A21,22号証)。
b 血管壁の状況について
乙A21,22号証によると,次の事実が認められる。
(a) ステントグラフト内挿術を実施する患者の多くは,搬送経路の血管に動脈硬化の症状を有しており,健常者と比較すると,動脈壁が脆弱化している可能性が高い。しかし,@動脈硬化の進行と動脈壁の脆弱化の関係は不明であり,A血管壁の弾力性は,部位毎に強弱があり,動脈硬化が進んだ部位とそれほどではない部位が混在している箇所において,弾力性がどのように変化するのかについても分かっておらず,また,B本来的に個人差がある。
(b) 動脈壁の弾力性の低下傾向は,CT画像及び血管造影の検査からは判別不能であり,事前に予測することはできない。
イ H式ステントグラフト内挿術におけるシース及びステントグラフトの経路血管への挿入について乙A21,22,24号証,乙B6号証,H及びGの各証言によると,次の事実が認められる。
(ア) ステントグラフトは,蛇腹を持ち,平織りポリエステル人工血管の外側に,血管壁に固定するためにニッケルチタンワイヤーのリングが数個取り付けられているものであり,このステントグラフトを小さく折り畳んでシース内に入れ,目的部位まで進め,シースから放出する。折り畳まれたステントグラフトは,シースの直径よりも若干大きい。
(イ) ステントグラフトを押しているとき,アシスタントの医師が同時にガイドワイヤーを引いており,ガイドワイヤーやシースが挿入されると血管はまっすぐの方向に伸ばされ,屈曲が90度程度あっても,30度くらいになる。
(ウ) 血管とシースの間は,余り隙間のない密着した状態であることが多い。
(エ) シース又はステントグラフトを挿入する際にはある程度強い力で押さなければならない。強い力で押すことが多いので,手の微妙な感覚は分からず,仮にその際,血管壁を破ったとしても手の感触では分からない。
(オ) シース又はステントグラフトを挿入する際に抵抗を感じた場合の処置について
a 血管の粥腫,屈曲,狭窄及び石灰化は,シースやステントグラフトを進める際の障害となり,抵抗を感じる要素になり得る。
b 抵抗がある場合,いったん押すのを中止して原因を推測する。その際には,術前の造影CTデータ,その場で見ているX線照射のモニター画面の両方を併せて考える。ただし,後者のモニター画面には血管は写らず,血管の屈曲,狭窄の場所及び程度を見ることはできないので,造影剤を流してシースと血管の位置関係を確認することもある。
しかし,何が原因で抵抗を感じているのか不明の場合もある。
ウ ステントグラフト内挿術を実施している医師の認識について
(ア) 大動脈疾患のステントグラフトによる治療に関し,胸部について実施した46例中,6 4%に . 当たる3例に血管損傷があったことに対して,細径シースの開発が必要と考えられる旨の報告がある(甲B8号証の5。平成14年)。
(イ) 胸部大動脈瘤に対するステントグラフト内挿術について,予定部位にステントグラフトが到達し得ない場合が302例中5例に見られたとして,アクセスルートとしての腸骨動脈領域につき,石灰化の存在や血管全体が狭小である場合にはシースの通過が困難で,シースの引き抜き時にも注意が必要であり,術前の画像のみで予想することは難しく,執拗な操作の継続は血管を損傷し,時として重篤な合併症を引き起こす可能性があり,注意が必要であるとの指摘が見られる(甲B13号証。平成15年)。
(ウ) ステントグラフト内挿術に関するものではないが,大動脈内バルーンカテーテルセットの取扱説明書(甲B6号証7頁)には,カテーテル挿入時において胸部大動脈損傷を防止するため,挿入時に抵抗を感じた場合,無理をせずに引き戻してから再度挿入を試みる旨が記載されている。
(エ) 上記にみたところによると,ステントグラフト内挿術を実施している医師の間では,経路血管損傷のおそれがあることから,シースの挿入や引き抜き時には,血管を損傷しないように注意する必要のあることが認識されていたものと認められる。そして,これは,他のカテーテルを動脈に挿入する施術をする場合も同様であることがうかがわれる。
エ H及びGの認識について
(ア) H式ステントグラフト内挿術の実施について患者に作成を求める同意書(甲A5号証)には,操作に関連した合併症として,血管損傷のあることが記載されている。これによると,H及びGは,H式ステントグラフト内挿術の実施に際し,血管損傷のおそれのあることを認識し,患者に対してこの点を説明する必要があると判断していたことが明らかである。
(イ) Hは,本件手術当時,H式スタントグラフト内挿術を実施した症例数357例のうち,シースが通過しなかった症例数を8例,シースは通過したが,ステントグラフトが通過しなかった症例を4例(本件も含む。)有していた。そして,ステントグラフト内挿術の際における血管損傷としては,平成14年6月までに4例を経験していた(乙A22号証,Hの証言)。
(ウ) Hは,H式ステントグラフト内挿術につき,搬入システムが大腿動脈に比較して径が大きく,搬入に力を要するものであることなどを述べ,現在,搬入システムのプロファイルを小さくし,手技を簡素化する方向で改良が進められているとし(甲B8号証の3。平成14年),また,今後の改良点として,導入用シースのサイズをより小さくすることを目標にしているという(甲B9号証の4。平成15年)。
(エ) 上記によると,Hは,H式ステントグラフト内挿術の施行に際して経路血管の損傷をするおそれのあることを認識しているだけでなく,その対策として,シース等のサイズを小さくする必要のあることを十分認識していたことがうかがわれる。
オ H式ステントグラフト内挿術を実施する際の経路血管に関する注意義務について
(ア) 上記に認定したところに,動脈壁を破損すると大量の出血が生じるおそれがあり(乙A2号証,Gの証言),その場合には,止血するまでに相応の時間を要し,極めて危険な状態になるものと考えられることを総合すると,H式ステントグラフト内挿術を実施する医師は,その実施過程において経路動脈壁を破損するおそれのあることを念頭に置き,シース又はステントグラフトを動脈に挿入する際,また,シースを引き抜く際に,過度の力を加えて血管を損傷しないように慎重に操作すべき義務を負うものと考えられる。
(イ) H及びGのH式ステントグラフト内挿術に対する姿勢について
乙A21ないし24号証,H及びGの各証言によると,次の事実が認められる。
a Hは,H式ステントグラフト内挿術を開発し,オーダーメードでステントグラフトの設計をしている。また,Gは,平成7年からH式ステントグラフト内挿術を実施している。
b Hは,シースの通過可能性に関する適応につき,外科手術の適応がないためにステントグラフト内挿術を希望する患者が多くいること,同術は低侵襲で手術そのものによる負担が大きいわけではないことから,実施する価値があると考えており,術前検査の結果では,屈曲,狭窄及び石灰化の程度からシース等の通過が困難と思われるケースでも通過に成功するケースを多く経験していることから,限界事例に対しても前向きに判断することにしている。実際に,シース内でステントグラフトを移動させる際に抵抗が強く,操作が難渋する症例にあっているが,その大部分で結果的にはシースを通過し,ステントグラフト内挿術に成功している。Gは,ステントグラフト内挿術は,外科手術よりも院内死亡率が低く低侵襲で魅力的な治療方法であると評価しており,外科手術の適応のない患者だけでなく,その適応がある患者であってもその希望によりステントグラフト内挿術を選択しており,本件手術前,ステントグラフト内挿術を78例,胸部動脈瘤に対するステントグラフト内挿術は24例,シース等不通過による手技の中止例は4例という経験を有していた。
(ウ) 上記(イ)のH及びGのH式ステントグラフト内挿術に対する姿勢について検討するに,Hは,前記のとおり,経路血管の通過可能性について屈曲,狭窄及び石灰化の3つの要素から検討をするものの,自ら開発したH式ステントグラフト内挿術をできるだけ実施しようとしていることがうかがわれる。
また,前記の(1)エ及びキに認定したところによると,H及びGは,シース及びステントグラフトの挿入に際し,上記の屈曲,狭窄及び石灰化の要素に照らすと通過が困難と考えられた場合においても結果的には所期の目的を達することが多いことから,抵抗を感じても,より力を加えて押し続けることを原則としていることがうかがわれる。こうしたH及びGの姿勢には 経路血管を破損するおそれのあることに対する緊張感が足りず,経路血管の安全性に対する配慮が薄弱であると指摘せざるを得ない。
(2) Fに対する本件手術について
ア 本件手術前のH式ステントグラフト内挿術の適応の検討について
乙A17,18,21,22号証,H及びGの各証言並びに該当箇所に掲記した各証拠によると,次の事実が認められる。
(ア) Hは,Gから,@4月5日付け造影CT検査の結果(乙A10号証),A6月21日付け造影CT検査の結果(乙A9号証),B6月26日付け大動脈造影検査の結果(乙A11号証)の3つのデータの送付を受け,H式ステントグラフト内挿術の適応を検討した。その結果,次のとおり判断した。
a 胸部大動脈瘤部位は弓部から遠位弓部にかけてのものであり,ネック(ステントグラフトを確実に固定するための動脈瘤の中枢側と末梢側に必要な正常血管部位)も確保でき,適応があると判断した。
b 次のとおり,シースの通過可能性も問題ないと判断した。
@ シース等の挿入に最も抵抗があると考えられた総腸骨動脈と左外腸骨動脈の分岐部の屈曲は約50度であり,90度以上の屈曲はなかった。
A 本件手術に使用するシースの外径は約8 7o,総腸骨動脈と左外腸骨動脈の分岐部の内径は約8 84oないし9 64oであって,シースの外径よりも大きいため,シースの通過に問題はないものと判断した。また,Y型グラフトを留置済みであるが,その脚の直径は約12oあるため,この点でも通過に問題はないと判断した。
B 石灰化については,総腸骨動脈と左外腸骨動脈の分岐部に石灰化が認められるが,血管の内腔がシース外径よりも大きく,石灰化が約110度であり半周に満ちていないため,シースの通過に問題はないものと判断した。
(イ) Hは,7月中旬ころ,Gに対し,Fにつき,2本枝付きステントグラフト,24Frシース(外径約8 7o)で対応が可能である旨を連絡した。
Gは,H式ステントグラフト内挿術の適応につき,前記の経路血管の屈曲,狭窄及び石灰化に関する3つの要素を検討し,@ないしBが認められる場合には原則として適応のないものと考えているところ Fについては,前記の基準に照らし,シースの通過可能性について適応があると判断した。
イ ステントグラフトについて
(ア) 本件手術に用いるステントグラフトは,長さが約192o,太さについては,細い部分(長さ約50o)の直径32o,太い部分(長さ約142o)の直径38oであり,これに約20oの長さの2つの枝が付けられている(乙A14号証,Hの証言)。
(イ) 枝付きのステントグラフトは枝のある部分で太くなっているが,そもそも,ステントグラフトは折り畳んだときの太さを実際には計ることができない(H及びGの各証言)。
ウ 本件手術の施行の際のH及びGの対応について
(ア) 本件手術におけるシース及びステントグラフトの挿入については,前記認定のとおりであるが,挿入に抵抗を感じた際のH及びGの対応等は,次のとおりである。
a シースを挿入する際,Y型グラフトの脚入口からやや末梢よりの箇所で抵抗を感じたため,いったん挿入を停止したが,更に押せば通過する可能性があると判断し,力を加えてシースを押していったところ,通過させることができた。その後,シースがY型グラフトの上端付近まできたところで,より抵抗が強くなった。Gは,強い屈曲ではなく,内径が十分あるので,通過の可能性があると考え,更に力を掛けて押したが,シースが進まなくなった。当初,シースを胸部下行大動脈まで進める予定であったが,GとHとは協議して,シースをその位置に留置しておくことにした。
b その後,ステントグラフトの挿入を始め,シース内にステントグラフトを押していった。シース挿入時と同様,Y型グラフトの脚入口からやや末梢よりのところで抵抗を感じたが,Gは,血管内径は十分にあり,シースは通っているから通過する可能性はあると推測し,更に力をかけてステントグラフトを押したり,ガイドワイヤーの先端を引き,方向を変えたりして通過を試みたが,進まなかった。
c Gは Hに対してステントグラフトが進まないと述べたところ,Hは術前検査によると,この部分は,屈曲は約50度と緩いものであり,血管内径がシースよりも大きく,もっと程度の重い屈曲,狭窄及び石灰化のものも通過できていた従来の経験からすると,更に押せば通過できる可能性があると考え,Gに代わって,ステントグラフトを押したがほとんど進めることができなかった。そこで,GとHは,通過が困難と判断し,今回は中止し,ステントグラフトのリングの数を減らしてステントグラフトを小さくする等の変更が可能かを検討した上で,再手術を行うことにした。
d Gがステントグラフトの入った状態のシースを抜去した直後,Fはシ
ョック状態となった。
(イ) 上記によると,シース及びステントグラフトを挿入する際,いずれもY型グラフトの脚入口からやや末梢よりのところで抵抗を感じたが,シースは力を入れて押すことによって更に進めることができたが,ステントグラフトはその場から進まなくなったのである。この間,ガイドワイヤーによって引っ張られて伸ばされた状態の血管にG及びHが力をかけてステントグラフト等を挿入しようとし,その後本件手術を中止することを決定した後,ステントグラフトの入った状態のシースを抜いたというのであるから,ステントグラフト(長さ約192o)の挿入を試みるための下から上へ押す力,そして,その後抜くための上から下へ引く力が強く加えられたことが明らかである。
エ 本件出血の原因となった血管の破損部位について
(ア) 破損部位として推定される部位は,術前検査において最もシースの通過に抵抗があると推測され,実際も抵抗のあった総腸骨動脈と左外腸骨動脈の分岐部付近ではなく,それよりも末梢よりの部位であった。この部位のうち,最も血管内径が細いと思われる部分は,約50度の屈曲があり,血管内径は約9 86o 石灰化はみられなかった。(乙A21 22号証)
(イ) しかし,当該部分が石灰化がみられなくても,石灰化があればそのすぐ横は非常に脆弱になる(Hの証言)。
そして Fには 胸部及び腹部大動脈に瘤が存在していたことによると,動脈瘤が多発する傾向にあり,動脈の弾性の低下傾向は,胸部及び腹部のみでなく,他の動脈に波及していた可能性のあるものと考えられる。また,解剖の結果によると,Fの大動脈は,粥腫形成を伴い動脈硬化が高度で,総・内外腸骨動脈まで及んでいたのである(甲A3号証)。粥腫が形成されていた動脈壁はもろく脆弱化するが,粥腫に関しては画像による判断は難しいものとされる(Hの証言)。
上記によると,破損部位の動脈は,脆弱化していたが,術前のデータからは,この点が判明していなかった可能性が高いものと考えられる。
オ 本件手術におけるGらの過失の有無について
上記に認定したところによると,G及びHは,術前のデータから本件手術を実施するにつき,経路血管にシース等を通過させることについての適応の有無を一応検討したものと認められる。しかしながら,術前の検査からは,実際の経路血管の状態を認識することが困難であることは前記認定のとおりである。また,本件手術を実施したG及びHは,シース等の挿入につき,抵抗を感じても力を加えて押し続けることを原則にしていることも前記認定のとおりである。
上記に,以下に認定する(ア)ないし(エ)の事情を考え併せると,本件においては,G及びHが,H式ステントグラフト内挿術を実施する医師に求められる注意義務に違反し,従来の経験を頼りにして力を入れて押せば通過する可能性があると即断してステントグラフトを過度の力で押したために,Fの左外腸骨動脈壁を破損させるに至ったものと解される。殊に,Fの場合,外科手術の適応があった(Gの証言)のであるから,無理な力を加えてステントグラフトの挿入を試みることは避けるべきであったと考えられる。
(ア) Fには,Y型グラフトが留置され,これによって当該部位は固定されて伸縮しない状態になっていたから,その近辺の血管に押したり引いたりする力が働くと,その伸縮の圧力が増幅されたものと推認される。
(イ) 上記のとおり,GとHは,ステントグラフトが進まなくなったことから本件手術を中止することにし,再度の施行を検討しているが,その際,ステントグラフトを小さくすることを検討している。これによると,両医師は,シースよりもステントグラフトの太さに問題があったものと認識していたことがうかがわれる。
(ウ) 本件手術中,Fは,痛みを訴えており,(a)午後1時27分,局所麻酔としてキシロカインが,(b)同2時7分に疼痛を訴えたため,麻酔薬のレペタンが (c)同2時59分に疼痛を訴えたことから,レペタンが,(d)同3時8分に精神安定剤のアタラックスPが それぞれ投与されている(乙A7号証の99頁,Gの証言)。
確かに,本件手術に際し,鼠径部がかなり大きく切られているので麻酔が切れたら痛みを感じるものと解されるところ(Gの証言),上記麻酔薬の効果の持続時間及びFが痛みを感じていた部位を的確に認定するに足りる証拠は存しないが,午後2時59分に麻酔薬が投与され,その9分後に精神安定剤が投与されているという経緯に照らすと,そのころステントグラフト挿入のために強い力が加えられたこと及びこれによって血管が損傷するに至ったことによる激痛のために,Fは,不穏な状態に陥ったものと推認することができる。
(エ) Gは,本件手術後,原告Aらに対し,「血管が石のように固くて管を無理に入れてさけてしまった」旨述べた(乙A7号証203頁,原告A本人尋問の結果)。
この点について,Gは,無理にということを言った覚えはない旨証言しているが,上記の発言内容については看護師がその旨を記載(乙A7号証203頁)していること,原告Aがそのように聞いた旨述べていることに照らすと,上記のGの証言は前記認定を覆すに足りない。
(3) 以上に検討したところによると,被告は,被告病院医師の使用者として,被告病院医師がH式ステントグラフト内挿術を実施した際における過失によってFを死亡させたことについて,損害賠償責任を負う。なお,Hは,被告病院に勤務する医師ではないが,本件手術についてGの依頼を受け,その実施を担当するチームの構成員として関与しているものであり,被告病院に勤務する医師に準ずる立場にあるものとして,Hの行為についても被告は責任を負うべきものと解される。
5 損害について
(1) Fの逸失利益 6611万5515円
甲A4号証,C2号証の1及び2,原告A本人尋問の結果によると Fは,住宅の模型を製造販売する仕事をしており,給与所得及び年金等所得を合計すると,平成11年に1473万3838円,平成12年に1449万3398円の収入を得ていたことが認められ,これらを平均すると,1461万3618円となる。
Fは,死亡当時68歳であったことから,就労可能年数は8年と認め,生活費控除は30%が相当と認める。
そこで,逸失利益は,6611万5515円(1461万3618円×0.7×6 4632)と認められる。
(2) 慰謝料 2300万円
本件の諸事情を総合すると,死亡慰謝料として2300万円を相当と認める。
(3) 葬儀費用 150万円
(4) 弁護士費用 800万円
被告病院医師の不法行為と相当因果関係のある損害としての弁護士費用は800万円を相当と認める。
(5) 以上,合計9861万5515円となる。そこで,Fの相続人として, 5原告Aは4930万7757円,同B,同C,同D及び同Eはそれぞれ1232万6939円につき,被告に対し損害賠償請求権を有する。
6 以上のとおりであって,原告らの被告に対する本件請求は,主文掲記の限度で理由があるから認容し,その余の請求は理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担につき,民事訴訟法61条,64条,仮執行宣言につき,同法259条1項をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。

           名古屋地方裁判所民事第4部
                       裁判長裁判官 佐 久 間 邦 夫
                          裁判官 樋 口 英 明
                          裁判官 大 野 千 尋

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