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下級審医療判例real estate

名古屋地判平21.12.16
                   主        文
1 被告は,原告X1に対し,4103万4557円及びこれに対する平成18年2月13日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告X2に対し,4103万4557円及びこれに対する平成18年2月13日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被告は,X3に対し,110万円及びこれに対する平成18年2月13日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 被告は,X4に対し,110万円及びこれに対する平成18年2月13日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
5 原告らのその余の請求を棄却する。
6 訴訟費用は,これを5分し,その4を被告の負担とし,その余を原告らの各負担とする。
7 この判決は,第1項ないし第4項に限り,仮に執行することができる。
                    事 実 及 び 理 由
(略)
第3 当裁判所の判断
1 争点(1)(Aが死に至った機序)について
(1) PIHの重症度について
前記認定の医学的知見によれば,PIHのうち,①収縮期血圧が160㎜Hg以上または拡張期血圧が110㎜Hg以上の場合,②蛋白尿が2g/日以上の場合(随時尿を用いる場合は,複数回の新鮮尿検査で,連続して3+(300㎎/dℓ)以上の場合)を重症ということが認められる。
ア 血圧についての検討
Aは,入院した1月5日午後1時30分に160/100㎜Hg,いったん荷物を取りに外出した後に帰室した同日午後4時30分も160/100㎜Hgであり,形式的には上記重症基準を満たしている。しかし,血圧の上昇には一過性のものもあること,妊婦は増大した子宮が周囲の血管や臓器を圧迫するため,体位によって血圧が変動しやすく,測定条件によってもかなりの差が生じる可能性があること(乙B21・10頁),また,同 日午後8時の血圧が156/100㎜Hg,1月6日午前10時55分の血圧が130/92㎜Hg,同日午後2時の血圧が140/90㎜Hgであることも考えると,1月5日の入院時において,血圧の点でPIHが重症であったとは認め難い。一方,1月9日午後以降,上記重症基準を満たす高血圧がほぼ継続していることから,血圧の点からは,同時点をもって,重症へ移行したとみるのが相当である。
イ 蛋白尿についての検討
Aは,1月5日午前11時25分,翌6日午前6時において,連続して3+であったことが認められるから(乙A1・2060頁),遅くとも1月6日午前6時において,上記重症基準を満たしている。したがって,蛋白尿の点で,遅くとも同時点をもって,重症へ移行していたといえる。
(2) HELLP症候群の発症について
ア Aは早発型PIHであり,妊娠高血圧腎症であったところ,前記認定の医学的知見によれば,PIHは,重症化によりHELLP症候群が発症しうること,PIHの重症化に伴って尿酸値が上昇すること,早発型PIHは,遅発型PIHに比べて合併症の頻度が高く,重症化しやすいこと,妊娠高血圧腎症は母体合併症が生じる頻度が高いこと,partial HELLP症候群はHELLP症候群の前段階として位置づけられていることが認められる。
また,各種検査結果について,別紙臨床経過書のとおり,1月6日に7.4㎎/dℓであった尿酸値が1月13日には9.3㎎/dℓへ上昇していること,同日に測定したATⅢは72%と正常値(80%)未満に低下していたこと,1月9日以降にアプレゾリンの内服を開始しているが,帝王切開を実施するまで,概ね160/100㎜Hgを超える高血圧状態が続いていたこと,帝王切開後14時間程度は小康状態を示していたが,1月16
日午後2時以降に血圧が再び上昇を始めたことが認められる。
そして,臨床症状について,1月12日に激しい頭痛が(乙A1・2074頁),1月14日に全身倦怠感,悪心・嘔吐がみられ(乙A1・2076頁),HELLP症候群の初発症状が認められる。
イ 上記事情から,HELLP症候群の発症について検討する。
尿酸値が上昇していること,アプレゾリンを内服していたにもかかわらず上記高血圧状態が続いていたことからすると,PIHは,入院以降,悪化していたとみるのが相当である。
また,PIHが悪化していく中,ATⅢが低下していたこと,HELLP症候群の初発症状が認められていたことからすれば,遅くとも1月14日の時点で,HELLP症候群の前段階といえるpartial HELLP症候群を発症していたとみるのが相当である。なお,1月15日実施の血液検査で得られた,LDHが322IU/ℓ,GOTが61IU/ℓ,血小板が18.3万/㎕との結果を,上記HELLP症候群の診断基準であるSibaiの基準に照らすと,同日においてHELLP症候群を発症したとはいえない。
そして,Aは,帝王切開後14時間程度は小康状態を示していたが,血圧が再び上昇を始めたことが認められるところ,上記小康状態が継続した時間の短さを考えると,帝王切開によりpartial HELLP症候群が消失したとは認めがたく,その他partial HELLP症候群が消失したことを認めるに足りる証拠はない。その後,1月17日実施の血液検査では,LDHが3047IU/ℓ,GOTが1078IU/ℓ,血小板が5.5万/㎕との結果が得られ,Sibaiの基準を満たすことが認められる。
ここで,1月16日に,HELLP症候群の確定診断に必要な検査が被告病院において実施されていないため,やや不明確な部分が残るものの,①1月16日午後2時以降に血圧が再び上昇を始めたこと,②上記1月15日,17日実施の血液検査の結果を対照し,その数値の変化の大きさを考えると,Aは,1月16日中には,partial HELLP症候群からHELLP症候群へ移行していたとみるのが相当である。
(3) これに対し,被告は,Aが帝王切開後に突然HELLP症候群を発症したと主張する。しかし,帝王切開前に発症していたpartial HELLP症候群と,帝王切開後のHELLP症候群が,関連性がなく別の原因によるものと考えることは,上記の症状の経緯からみて不自然である。また,PIH及びHELLP症候群の最終的な治療方法が妊娠の終了であり,妊娠の終了により,一般的に全身状態の改善を期待できるものの,全ての症例について,確実に全身状態が改善するとは限らず,特に重症の早発型PIHについては,分娩後24時間以内に重篤な合併症が起きることもしばしばあるとの報告がされている(甲B2の2,5,甲B20,29,30)ことからみても,重症の早発型PIHであったAについて,妊娠の終了によっても症状が改善されなかった可能性は高いのである。
したがって,被告の上記主張は採用できない。
(4) 小括
Aは,遅くとも1月14日の時点でpartial HELLP症候群を発症し,帝王切開による一定の小康状態を経た後,1月16日中にHELLP症候群へ移行するとともに,子癇,DICを併発して,死に至ったと考えられる。
2 争点(2)(PIHに対する管理の適否)について
(1) 血圧測定について
B医師は,1日に3回の血圧測定を実施するように看護師に指示し,Aの入院後,1月5日に3回,6日に2回,7日から帝王切開の実施まで1日に3回ずつ血圧測定が実施されている。
上記のとおり,Aは,1月5日において,重篤化しやすい重症の早発型妊娠高血圧腎症であったことからすると,Aの全身状態を細やかに把握するため,血圧の状況を注意深く観察することが必要であったが,どの程度の頻度で血圧測定すべきかについてほぼ確立した基準があるとは認められない。そして,被告病院では,一応は定期的な血圧測定が実施されているといえるから,被告病院における血圧測定の実施状況をもって,直ちに過失があると認めることはできないというべきである。
(2) 尿蛋白の測定について
前記認定の医学的知見によれば,PIHの管理において尿蛋白を測定するにあたっては,24時間蓄尿検体を用いた定量法によるのが原則であると認められる。随時尿による測定はその精度に問題が残るので,望ましいとはいえないが,測定自体は可能であるから,被告病院における尿蛋白の測定方法をもって,過失があると認めることはできない。
また,1月7日,8日に尿蛋白が測定されていない点について,測定するのが望ましいとはいえるが,1月9日より蓄尿が開始され,10日以降,定量法による測定がなされていることを考えると,過失があるとまで評価することはできない。
(3) 血液検査について
被告病院における血液検査は,帝王切開を実施するまでに,1月6日,13日,15日の3回実施されている。
そして,Aの全身状態を把握する上で,血液検査を頻回に実施するのが望ましいとはいえるが,どの程度の頻度で血液検査をすべきかについてほぼ確立した基準があるとは認められず,被告病院の実施状況をもって,直ちに過失があると認めるのは相当ではない。
(4) 降圧剤の投与について
ア 降圧剤の投与基準について
PIH患者に対する降圧剤投与の基準について,文献の記載をみると,次のような記載がある。
① 日本産婦人科学会誌58巻5号(平成18年5月)によると 「拡張 ,期血圧が100㎜Hg以上になれば降圧剤の投与を考慮し,110㎜Hg以上の場合には積極的に降圧を図る」とされる(甲B2の1・N68 。)
② 社団法人日本母性保護産婦人科医会の研修ノート(平成13年)によると,「入院安静でも,160/100㎜Hgを超えるものは薬剤投与を開始する」とされる(甲B2の2・55頁)。
③ 産婦人科最新診療診断指針(平成8年)によると 「160/100㎜Hg以上の場合にのみ降圧剤を投与して,140/90㎜Hg前後に下降させる」とされる(乙B8・463頁 。)
④ 臨床エビデンス産科学(第二版,平成18年9月)によると 「基準となる血圧は,収縮期血圧160~180㎜Hg以上,拡張期血圧105~110㎜Hg以上,平均血圧130㎜Hg以上と,さまざまな値が提唱されており,一定してしない」とされる(乙B23・317頁)。
上記各文献の記載からすると,降圧剤投与の基準となる血圧については,複数の見解があるものの,総合すれば,血圧の点において,PIHが重症化した段階,すなわち収縮期血圧が160㎜Hg以上又は拡張期血圧が110㎜Hg以上の場合と解するのが相当である。
イ 被告病院での降圧剤の投与
降圧剤の投与時期について,被告病院では,1月9日から,降圧剤の投与が開始された。そして,Aは,上記認定のとおり,1月5日の段階で,蛋白尿の点では重症のPIHであったが,血圧の点で重症のPIHとなったのは1月9日であった。そうすると,被告病院では,PIHが重症化した段階に至り,降圧剤の投与を開始しているといえるから,降圧剤の投与時期について過失があったとはいえない。
また,降圧剤の投与方法について,被告病院では,198(再検後178→194)/120(再検後も同じ)㎜Hgを記録した1月9日において,降圧剤の内服が開始された。降圧剤の投与方法には内服と点滴があるところ,重症のPIHに対しては,点滴による投与が効果的であることが認められる(甲B2の10・N108,乙B7・1106頁)。しかし,投与方法の選択には,医師に一定の裁量が認められると解するのが相当であり,上記血圧の高さを考慮しても,当初に内服投与が選択されたことをもって直ちに過失を認めることはできない。
3 争点(3)(帝王切開の実施時期の適否)について
ア 1月10日における帝王切開の実施
Aは,上記認定のとおり,1月9日に血圧の点でも重症のPIHへ移行したが,同日より,降圧剤の投与が開始されたことからすると,翌10日は,降圧剤の効果を見定めて経過観察とする判断には一定の合理性が認められるというべきであるから,1月10日の時点で帝王切開をすべき注意義務があったということはできない。
イ 1月14日における帝王切開の実施
Aは,上記認定のとおり,1月13日の尿酸値が9.3㎎/dℓであり,また,遅くとも1月14日にpartial HELLP症候群を発症したといえる。しかし,前記認定の妊娠終了基準(本判決6頁)に照らすと,腎機能障害の程度は絶対的な適応基準ではないが,尿酸値の点で同基準を満たすものの,1月14日に430mℓ以上あった尿量は同基準を満たさず(乙A1・2068頁),また,partial HELLP症候群は,厳重な管理が必要とされるが,HELLP症候群の前段階の状態であって,HELLP症候群と全く同様に扱うべき根拠は認められない。
また,1月9日から1月14日の間の血圧について,アプレゾリンの内服・点滴投与により,180/110㎜Hg以下とするようにコントロールが図られていたところ(証人B医師・33,44頁),妊娠終了の基準とすべき血圧を180/110㎜Hgとする見解もある(甲B2の7・N-257)。
そして,妊娠を終了させるにあたっては,胎児をできる限り成熟させることが望ましく(甲B2の2・40頁),一定の週数に至った胎児を全て早期娩出することが良いと必ずしも言い切れず(甲B2の7・N-259),妊娠24~36週の重症のPIH患者における児の予後は,妊娠週数によって決まるとの報告もあるところであって(甲B2の13・N-260),妊娠終了の基準として,妊娠34週が一つの目安とされている(甲B5・63頁)。
そうすると,妊娠を終了させるかどうかの最終決定は,母体側因子と胎児側因子を総合的に判断するとともに,諸事情を考慮するとされていることに鑑みれば,妊娠から32週と1日が経過した1月14日時点において,帝王切開を実施しないことも医師の裁量として許されるものであり,帝王切開を実施しなかったことに,過失を認めるのは相当でない。
4 争点(4)(帝王切開後の管理の適否)について
(1) はじめに
前記認定の医学的知見によれば,PIH及びHELLP症候群の最終的な治療方法は妊娠の終了であり,妊娠の終了により,一般的に全身状態の改善を期待できるものの,全ての症例において,確実に全身状態が改善するとは限らず,特に重症の早発型PIHについては,分娩後24時間以内に重篤な合併症が起きることもしばしばあると報告されている。そして,Aは,重症の早発型PIHが10日程度持続した後に帝王切開を実施したことからすると,帝王切開後2日程度は,血圧・脈拍,尿蛋白,一般血液検査,生化学検査等の経時的測定を行い,必要に応じて降圧剤を投与するといった厳重な管理を継続すべきであったといえる。
(2) 検討
ア 降圧剤の投与の有無
原告らは,帝王切開から1月17日午前8時ころまでの間,降圧剤は投与されていないと主張する。他方,被告は,1月13日に5日分のアプレゾリンが処方されたこと(乙A1・2056頁)を根拠として,1月16日午後6時ころ,Aに対してアプレゾリンを内服させたと主張し,B医師及びC看護師は,これに沿う供述をする。
しかし,1月13日の処方は,帝王切開を前提としていなかった時点でなされたものであり,帝王切開により,高血圧状態が落ち着く可能性もあったことからすると,帝王切開後において,改めて血圧の推移を見定めた上でアプレゾリンを投与する必要性を検討するのが自然であるから,帝王切開後においても同処方が維持されていたとは断定しがたく,同処方を受けてアプレゾリンを内服したと直ちには認められない。また,C看護師の供述によれば,被告病院においては,処方された内服薬を患者が服用した場合,その旨がカルテ上に記載されることが認められるところ(証人C看護師・19頁),Aに対するアプレゾリンの投与について,被告病院のカルテ上,帝王切開前にアプレゾリンを内服した旨の記載は認められるものの(乙A1・2068頁等) ,1月16日午後6時ころにアプレゾリンを内服した旨の記載は認められない(乙A1・2078頁)参照。さらに,被告は,弁論準備手続の段階において,帝王切開から1月17日午前8時ころまでの間,降圧剤を投与しなかったと一貫して主張し,その正当性も主張していた(被告第4準備書面18頁等)ところ,人証調べの段階に至って,突如として,従前の主張と異なる供述をしたものである。これらの事情からすれば,B医師及びC看護師の上記供述を直ちには採用しがたいというべきであり,その他1月16日午後6時ころにアプレゾリンを内服させたとする被告の主張を認めるに足りる証拠はないから,同主張を採用することはできない。
したがって,Aは,帝王切開から1月17日午前8時ころまでの間,降圧剤を投与されていないとみるのが相当である。
イ 被告病院における管理
(ア) 血圧測定について
1月16日午後3時30分までは,2時間以内の間隔で頻回に実施されている。そして,Aは,同日午後3時30分,164/98㎜Hgの重症PIHの基準を満たす高血圧であったものの,その後は,子癇発作が生じた1月17日午前6時20分まで,4ないし5時間間隔での測定になっている。
上記のとおり,重症の早発型PIHであったAは,帝王切開によって全身状態が改善するとは限らず,PIHがさらに重症化するリスクが存在していたのであり,同日午後3時30分時点でも重症といえる高血圧であり,PIHの重症度を測る上で血圧測定が必要となる以上,同日午後3時30分以降も継続的な血圧測定が必要である。しかしながら,どの程度の頻度で測定すべきかについてほぼ確立した基準があるとは認められず,被告病院が行っていた4ないし5時間間隔の血圧測定が,注意義務を怠ったとは認められない。
したがって,この点についての過失は認められない。
(イ) 血液検査について
帝王切開から24時間以上経過した後,子癇発作が生じるまで,血液検査が実施されることはなかった。
上記のとおり,重症の早発型PIHであったAは,帝王切開によって全身状態が改善されるとは限らず,1月16日午後3時30分及び7時30分において,重症基準を満たす高血圧が続いており,HELLP症候群や子癇といった重篤な合併症の生じるリスクが存在していたのであり,血液検査は,HELLP症候群の発症を確認する上で必須のものである。日本妊娠高血圧学会のPIH管理ガイドライン2009年版においても,分娩翌日に凝固線溶系検査を含む血液検査をすべきであり,血圧の重症化の持続症例では,分娩当日から実施すべきであるとされている(甲B41・181頁)。もとより,上記ガイドラインは,あくまでも目安であり,しかも,本件の診療当時後に発表されたものであるから,参考的なものであるが,血液検査の重要性は認められるものである。
そうすると,被告病院においては,分娩翌日である1月16日中に血液検査を実施すべき注意義務があったというべきであり,その検査を怠った点について,過失を認めるのが相当である。
(ウ) 降圧剤の投与について
Aは,上記認定のとおり,帝王切開から1月17日午前8時ころまでの間,降圧剤を投与されることはなかった。したがって,1月16日午後6時,Aがアプレゾリンを内服したことを前提とする被告の主張は,その前提を欠くことになる。
a 1月17日午前零時55分の対応について
1月17日午前零時55分,192/120㎜Hgの高血圧が認められたとき,鎮痛剤のペンタジンのみを投与した被告病院の対応について,被告は,手術の創部痛(疼痛)による交感神経緊張が同高血圧の原因であり,ペンタジンのみを投与した看護師の対応に問題はなかったと主張し,証人B医師及び証人C看護師はこれに沿う供述をする。
しかし,1月16日午後7時30分の時点において,それまでにペンタジンを3回投与しているにもかかわらず,178/110㎜Hgまで血圧が上昇しており,その上で,1月17日午前零時55分には,さらに192/120㎜Hgまで血圧が上昇している。また,1月16日午後3時,HELLP症候群の症状である全身倦怠感,悪心が認められたことに加え,同時点までに血液検査を実施していないことを考えると,高血圧の原因としては,手術による創部痛に限らず,PIHが更に重症化した可能性やHELLP症候群が発症した可能性を排斥することはできないというべきである。
そうすると,証人B医師及び証人C看護師の供述は,直ちには採用できないというべきであり,ペンタジンしか投与しなかった上記対応には,問題があったとみざるを得ない。
b 帝王切開後における降圧剤投与に関する一般的指示の有無について
帝王切開後における降圧剤投与の指示について,被告は,血圧が180/110㎜Hg以上であればアプレゾリンを点滴投与する旨のB医師により入院時になされた指示が,帝王切開後も維持されていたと主張し,証人B医師及び証人C看護師はこれに沿う供述をする。
しかし,①入院時(異常時)指示表について,腹痛時指示(ペンタジンの投与)は,入院時欄及び1月16日欄に「○」が記載されているのに,高血圧時指示(アプレゾリンの投与)は,入院時欄にのみ「○」が記載され,1月16日欄には「○」が記載されておらず(乙A1・2052,2053頁),②1月17日午前零時55分の上記対応に関し,看護記録上 「血圧高いが疼痛時指示によりペンタジン使用するため,血圧は経過観察とする」と記載されており,高血圧時指示についての記載がなされておらず(乙A1・2079頁),③仮に上記高血圧時の入院時指示が維持されていたとすれば,看護師は,Aの血圧が180/110㎜Hgを超えていたにもかかわらず,同指示に反して,独自の判断でペンタジンだけを投与したことになるが,そのような事態は不自然である。
そうすると,証人B医師及び証人C看護師の供述は,直ちには採用できないというべきであり,帝王切開後においては,降圧剤投与の一般的指示がなされていなかったとみるのが相当である。
c 1月16日午前零時45分から同日午後7時30分の間に降圧剤を投与すべきであったかについて
分娩後における降圧剤の投与について,重症PIHの基準を満たす血圧を示したとき(160/110㎜Hg以上)が投与する目安といえる。また,分娩後においては,胎児への影響を考慮する必要がなくなるため,140/90㎜Hg以下あるいは妊娠初期のレベルまで降圧すべきとの見解もあるが(甲B44・46頁),少なくとも,140~150/90~100㎜Hgを目標とすべきといえる(甲B2の1・N-68,2の2・55頁)。
上記分娩後における降圧剤投与の基準を前提として,1月16日午前零時45分から同日午後7時30分の間に降圧剤を投与すべきであったかについて検討する。
まず,同日午前零時35分,帝王切開を終えたAが手術室から退出した際に137/77㎜Hgであった血圧は,同日午前零時45分の病室への帰室時において,160/92㎜Hgとなり,形式的には,上記分娩後における降圧剤投与の基準を満たしている。しかし,帝王切開直後であることを考えると,帝王切開に起因する一過性の変化である可能性を否定することはできないから,同時点において,直ちに降圧剤を投与すべきであったとはいえない。
次に,同日午前1時20分,血圧は168/98㎜Hgへ上昇したが,Aが「お腹痛いです。」と訴えたことからすると,手術の創部痛による血圧上昇と考え,鎮痛剤のペンタジンを投与したことは合理的といえる。
また,同日午前2時,血圧は182/108㎜Hgまで上昇したが,同日午後2時までの12時間,同日午前6時30分及び同日午後零時にペンタジンを投与しつつ,概ね重症PIHの基準を下回る血圧を保っていたことからすると,この間に,降圧剤を投与すべきであったとはいえない。
そして,同日午後2時に178/108㎜Hgまで血圧が上昇し,同日午後3時に160/80㎜Hg,同日午後3時30分に164/98㎜Hgとなり,重症PIHの基準を満たす血圧値を示したが,同日午後零時に投与したペンタジンの効果を見定めるのには一定の時間が必要というべきであるから,同時点において,直ちに降圧剤を投与すべきであったとまではいえない。
しかし,同日午後7時30分に至り,178/110㎜Hgに血圧が上昇しながら,Aが「傷の痛み,今は大丈夫」と述べたことからすると(乙A1・2079頁),同時点における高血圧は,手術の創部痛のみによるものと断定することはできない。むしろ,3度目のペンタジンの投与にもかかわらず,同日午後2時以降,重症PIHの基準を維持し続けたことからすれば,PIHが起因しているとみるのが相当である。そうすると,同日午後3時30分から午後7時30分までの間,血圧測定が行われていないため具体的な時刻を特定することはできないが,遅くとも,同日午後7時30分の時点において,PIHに
対する治療として,降圧剤を投与すべきであったといえるから,これを投与しなかった点に過失が認められる。
(3) 小括
したがって,被告病院における帝王切開後の管理は,血液検査及び降圧剤投与の点について,重症の早発型PIHが10日程度続いた後に帝王切開を実施したAに対する管理として不十分というべきであり,過失を認めるのが相当である。
5 争点(5)(子癇に対する診療の適否)について
(1) 子癇発作の発症予防について
子癇発作に対する予防措置として,硫酸マグネシウムを投与することが有効であるとの報告がなされており(甲B2の5・1447頁,乙B7・1107頁),前記のPIH管理ガイドライン2009年版においても,保険適応はないものの,副作用に注意しつつ,重症のPIH妊婦に対する分娩後の予防投与が推奨されている(甲B41・92頁)。
しかしながら,上記の各報告やガイドラインにおいても,全ての子癇発作が予防できるとまではされておらず,子癇の予防目的での投与としては保険適応がないことを考えると,標準的な予防法であるとみるのは困難である(乙B21・49頁)。
したがって,子癇発作に対する予防措置として,硫酸マグネシウムを投与しなかったからといって,過失があるとは認められない。
(2) 子癇発作に対する治療について
ア 医師の診察について
Aは,1月17日午前6時20分に子癇発作が生じているが,これを確認した看護師が,本来の当直医とは別の医師のPHSに連絡したため,医師との連絡がとれず,主治医であるB医師の自宅に連絡をとったことから,医師の診察を受け,血液検査を実施したのは,同日午前8時5分に至ってからであった(乙A3,証人C看護師)。この間,B医師の指示により,午前6時35分,生理食塩水100mℓにマグネゾール1アンプル(20mℓ中に硫酸マグネシウムを2g含有)を入れ,1時間に20mℓの速度で点滴投与が開始され,午前8時にはアプレゾリンの内服がなされている。
しかし,PIH患者が痙攣を起こした場合,患者の全身状態を細やかに把握し,子癇発作と脳出血等の他の疾患との鑑別を行う必要があるから(甲B2の2・73頁,乙B21・51頁),早急に医師の診察を受ける必要があるというべきである。にもかかわらず,医師の診察が1時間40分以上なされなかったことは,子癇発作が早朝に生じたことや,B医師による上記投薬指示がなされたことを考慮しても,患者の急変時に対応できるだけの態勢が取られていなかったというべきである。
イ 硫酸マグネシウムの投与について
(ア) 子癇発作を起こした患者に対する硫酸マグネシウムの投与について,初回は2~4gを20分から30分かけて点滴投与し,維持投与としては,1時間に1~2gの速度で点滴投与し,投与中は呼吸数,血圧,脈拍数,心電図等を連続的にモニターすることが標準的な投与法であると認められる(甲B2の2・71頁,甲B2の5・1447頁,甲B8・182頁,乙B11・83頁 。)
しかし,被告病院におけるマグネゾールの投与量は,上記のとおりであり,3時間で1gを投与する計算になるが,上記標準的な維持投与量と比較しても,6分の1から3分の1に過ぎないといえる。
(イ) 被告病院における上記投与量について,B医師は,Aが腎機能障害を起こしている可能性を考慮したものであると供述し,マグネゾールは,腎機能障害のある患者に対しては,慎重投与とされる(乙24・2357頁)。
しかし,前記認定の医学的知見によれば,子癇は,PIHの存在下で発症することが多く,PIHでは腎機能障害が生じることもあるとされるところ,上記認定の標準的な硫酸マグネシウムの投与方法に関し,特に腎機能障害を発症している場合には,投与量を減ずるべきとする見解を本件証拠上に認めることはできない。
そうすると,投与量に関しては,医師の裁量が一定程度認められるというべきであるが,既に子癇発作を生じたAにとっては,連続的なモニタリングをしつつ,相当量のマグネゾールを投与することで再発作を防ぐことを第一に考えるべきであったといえるから,上記標準的な維持投与量と比較しても,6分の1から3分の1に過ぎない量しか投与しなかった点については,過失が認められるというべきである。
6 争点(6)(因果関係)について
(1) 帝王切開後の管理における過失との因果関係について
ア 帝王切開から子癇発作が生じるまでの間に,血液検査が実施されていれば,上記認定のとおり,1月16日中には,HELLP症候群が発症したとの診断のもと,これに対する適切な管理を行えたはずである。また,遅くとも同日午後7時30分までに降圧剤が投与されていれば,PIHの更なる重症化を防げた結果,HELLP症候群が発症しなかった可能性を否定できず,仮に発症自体は防止できなかったとしても,その重症化を防止できた可能性は極めて高いというべきである。
イ この点について,被告は,Aについては1月17日時点において既に急激に腎機能や肝機能が悪化しており,1月16日中に降圧剤を投与したとしても,救命は困難であった旨主張する。
確かに,別紙臨床経過書のとおり,1月17日午前8時ころの採血結果によれば,腎機能や肝機能が極めて悪化しており,そのために同日午前10時ころに専門的治療を受けるために腎臓内科に転科しているほか,CTで脳浮腫が確認され,同日午後7時には脳浮腫が著明となっており,1月17日午前以後に急激な悪化を辿ったことは否定できない。しかし,HELLP症候群が進行した場合には死亡することもあるからこそ,帝王切開後も血圧の厳重な管理が必要であるとされていることは,既に判断したとおりであり,1月16日午後7時30分から翌日午前8時まで170/110㎜Hg以上(収縮期血圧は190を超えていることもあった)の高血圧が測定されながら,降圧剤の投与もされず,血液検査も行われず,必要な治療も検討されなかった結果,1月17日午前8時ころには極めて重症となったものであるから,過失がなければ,Aが現実に死亡した時点においてなお生存していた高度の蓋然性を否定することはできない。被告の主張は採用できない。
ただし,PIHやHELLP症候群の長期的予後に関し,一般的に,将来の腎疾患,心臓血管障害の発生の危険性があること,寿命,さらには糖尿病や高血圧といった生活習慣病との関連が指摘されており(甲B23・112頁),Aが急激に重症化しやすい病態であったことからすれば,1月16日午後7時30分から降圧剤が投与されたとしても,Aに,一定の腎疾患等の障害が残った可能性は十分考えられる。そのことは,因果関係の認定を左右するものではないが,損害額の算定において考慮すべきものである。
ウ そうすると,帝王切開後の管理に過失がなければ,Aが現実に死亡した
時点においてなお生存していた高度の蓋然性を認めるのが相当である。
(2) 子癇に対する診療における過失との因果関係について
上記認定のとおり,1月17日午前以後における臨床症状や同日午前8時ころ実施の血液検査の結果からすると,PIHは極めて重症化しており,重度のHELLP症候群の発症も確認され,その上,子癇も合併しているから,同日午前8時ころ以後におけるAの全身状態は,極めて重篤なものであったといえる。
そうすると,子癇発作が生じた同日午前6時20分ころに適切な対応が取られていたとしても,Aが現実に死亡した時点においてなお生存していた高度の蓋然性を認めるのは困難と言わざるを得ない。
7 争点(7)(損害)について
(1) 逸失利益 4956万9114円
Aの生前における年収額512万0779円(甲C3)を基礎とし,就労可能年数36年(死亡時31歳 ,生活費控除率を35%として,算定する )ことになるが,一定の腎疾患等の障害が残った可能性は十分考えられ,その場合には将来の就労能力に一定の影響を及ぼすことになるので,逸失利益としては,上記で算定される金額の9割とするのが相当である。そうすると,次の計算式のとおり,4956万9115円となる。
(計算式)
5,120,779×16.547(36年に対応するライプニッツ係数)×(1-0.35)
×0.9≒49,569,115(小数点以下切り捨て)
(2) 葬儀費用 150万円
(3) 慰謝料
ア Aについて
我が子の出産という母親としてかけがえのない喜びを得た直後,授乳することすら叶わず,子の成長していく姿を見ることもできなかったAの無念さは,想像に難くない。
その他本件に現れた諸般の事情を考慮し,2300万円をもって相当とする。
イ 原告ら固有の分について
原告らにとって,かけがえのない存在であるAを喪った悲しみの深さは,察して余りある。
その他本件に現れた諸般の事情を考慮し,原告らについて各100万円をもって相当とする。
(4) 相続
以上の損害について,Aの逸失利益及び慰謝料についての相続を考慮すると,原告らの損害額は,原告X1及び原告X2について各3803万4557円(小数点以下切り捨て ,X3及びX4について各100万円となる。 )
(5) 弁護士費用
原告らが本件訴訟の提起,遂行のため,弁護士である原告ら代理人に訴訟を委任したことは本件記録上明らかである。本件事案の内容,本訴の経緯等を総合すると,弁護士費用として被告に負担させるべき額は,原告X1及び原告X2について各300万円,X3及びX4について各10万円をもって相当とする。
(6) 小括
以上を合計すると,原告らの損害額は,原告X1及び原告X2について各4103万4557円,X3及びX4について各110万円となる。
8 結論
よって,原告らの請求は,主文掲記の限度において理由があるから認容し,その余の請求については理由がないから棄却し,訴訟費用の負担について,民事訴訟法61条,64条本文を,仮執行の宣言について同法259条1項を,それぞれ適用して,主文のとおり判決する。

          名古屋地方裁判所民事第4部
                      裁判長裁判官 永 野 圧 彦
                         裁判官 宮 永 忠 明
                         裁判官 伊 藤 孝 至

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