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Q & Areal estate

○ 因果関係とは,どのような判断ですか.
裁判の立証は,高度の蓋然性(がいぜんせい)の程度(10中8,9割確かと裁判官が考える程度)まで求められます.因果関係についても同じです.
因果関係とは「あれ(注意義務違反)なければこれ(結果)なし」の関係です.
最判昭50年10月24日(民集29巻9号1417頁,ルンバール事件最高裁判決)は,「訴訟上の因果関係の立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし,かつ,それで足りるものである.」と判示しました.すなわち,訴訟上の因果関係は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではありません.
ルンバール事件最高裁判決は,@一点の疑義も許されない証明というのは反証可能性さえ許されない証明をいうものと考えられるから,反証可能性があっても,それだけで高度の蓋然性がないとはいえないということであり,A確信を持ち得るかについて判断するのは裁判官であるが,判断基準は専門家ではなく一般人であることを示したものです.
以下,最高裁判決に従い,詳しく説明します.

1 最判昭50年10月24日

最判昭50年10月24日(民集29巻9号1417頁,ルンバール事件最高裁判決)は,「訴訟上の因果関係の立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし,かつ,それで足りるものである.」と判示しました.
すなわち,訴訟上の因果関係は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく,反証可能性があってもそれだけで高度の蓋然性がないとは言えない.したがって,「医学的には不明」であるという理由で,訴訟上の因果関係の存在を否定することはできない,としました.
ルンバール事件最高裁判決の上記判示は,@一点の疑義も許されない証明というのは反証可能性さえ許されない証明をいうものと考えられるから,反証可能性があっても,それだけで高度の蓋然性がないとはいえないということであり,A確信を持ち得るかについて判断するのは裁判官であるが,判断基準は専門家ではなく一般人だということを示したものです(秋吉仁美編著「医療訴訟」427頁参照).
現代医学においても人体,病気に関するメカニズムがすべて明らかにされているわけではないので,医事裁判では,専門的経験則(知見)のみならず,専門的経験則(知見)を補充するものとして一般的経験則も適用され,因果関係が推認される,という考えが有力です.裁判実務もこの考え方によっている,とされています.

2 最判平11年2月25日 

最判平成11年2月25日(民集53巻2号235頁)は,「訴訟上の因果関係の立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし,かつ,それで足りるものである(最高裁昭和48年(オ)第517号同50年10月24日第二小法廷判決・民集29巻9号1417頁参照).右は,医師が注意義務に従って行うべき診療行為を行わなかった不作為と患者の死亡との間の因果関係の存否の判断においても異なるところはなく,経験則に照らして統計資料その他の医学的知見に関するものを含む全証拠を総合的に検討し,医師の右不作為が患者の当該時点における死亡を招来したこと,換言すると,医師が注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が証明されれば,医師の右不作為と患者の死亡との間の因果関係は肯定されるものと解すべきである.患者が右時点の後いかほどの期間生存し得たかは,主に得べかりし利益その他の損害の額の算定に当たって考慮されるべき由であり,前記因果関係の存否に関する判断を直ちに左右するものではない」と判示しました.
八木一洋最高裁調査官(当時,現在前橋地裁所長)は,この最判平成11年2月25日について,「原判決は,Yが適切な治療をしていれば,Aが当該時点で死亡することはなかった高度の蓋然性が認められるとしつつも,Yの不作為(注意義務違反=過失)とAの死亡との間には,相当因果関係は認められないとした.しかしながら,死亡を『特定の時点での生存反応の消滅という歴史的事実』を示すと考えて,因果関係の『あれなくばこれなし』にあてはめると,『加害者の不作為がなければ=適切な治療をしていれば,被害者が当該時点で生命反応が消滅することはなかったであろう』,すなわち,『当該時点で生存していたであろう』と評価できる場合,因果関係が肯定されると解するべきである.この考えは,刑事において,『生存状態としての生命そのもの』が保護法益となっていることとも整合する.すなわち,医師が当該年齢の平均余命まで生存することが困難と見込まれる者に,致死量を超える毒物を投与した場合に犯罪となるが,民事において『当該患者がいずれにせよ平均寿命まで生存し得たと認められないから当該行為と死の結果に因果関係がない』と解するのは不均衡と言わざるを得ない.」(平成11年最高裁判例解説民事編)と,同判決の理由・背景を解説しています.
最判平成11年2月25日は,直接的には,医師の不作為と患者の死亡(生命侵害)との因果関係について判示したものですが,その判旨は,患者の生命侵害に至らない重篤な後遺症の発生という身体侵害との因果関係についても同様に当てはまるものであると考えられています(橋本英史「医療過誤訴訟における因果関係の問題」新・裁判実務体系(1)医療過誤訴訟法211頁参照).

3 最判平21年3月27日

最判平21年3月27日(判夕1294号70頁,判時2039号12頁)は,控訴審において相当程度の生存可能性の証明ありとされた事案について,過失と死亡との因果関係の証明ありと評価すべきであるとして,破棄差し戻ししたものです.
医事訴訟の因果関係について「証明における,高度の蓋然性と祖当程度の可能性との差異を浮き彫りにしたものと受け止めるべきものであり,実践的には大きな意義がある.」(加藤新太郎「麻酔薬投与の過誤と患者の死亡との間の因果関係」50頁)とされています.
最判平21年3月27日について,加藤新太郎東京高等裁判所判事(当時,現在は中央大学法科大学院教授)は,「回避可能性ありという資料がないとしても,規範的観点からすれば,麻酔薬投与量調整により,結果回避は可能であると評価すべきものという判断をしたのである.この点について,手続的観点を含めて検討すれば,このような場合. (A)原告患者側が『麻酔薬の投与量の調整により死亡結果を回避する可能性があった』旨主張証明することが必要であるのか(請求原因説),(B)被告医療側か『麻酔薬の投与量を適切に調整したとしても死亡結果を回避する可能性がなかった』旨主張証明することが必要であるのか(抗弁説)という,証明責任の配分の問題が伏在している.この論点については,一般的には,両説とも成り立ちうるが,情報偏在訴訟の典型である医療事故訴訟において,当事者の衡平の観点を重視する立場からは,抗弁説が相当ということになるであろう.また,請求原因説に立ったとしても,本件のように,複数の麻酔薬を併用し,血圧低下がみられても,その限度量と投与速度を超えて継続使用した場合には,さらに血圧の急激な低下を招き,心停止,死亡という連鎖をもたらすという医学的知見(専門的経験則)が知られており,本件はその典型的な転帰をたどったのであるから,因果関係の存在は推認され,麻酔医が各麻酔薬の投与量を適切に調整したとしてもAの死亡という結果を避けられなかったという事実が証明されなければ,この推認は覆らないと解すべきであろう.本判決の理路は,以上のようなものであると解されるが,医療事故における関係当事者の衡平の見地から考えれば,相当といえよう.」(同号証54頁)と評しています.

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