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最高裁医療判例real estate

最高裁医療判例
〇最決平17・11・15刑集59巻9号1558頁

VAC療法
 右顎下の滑膜肉腫は,耳鼻咽喉科領域では極めてまれな症例であり,本センターの耳鼻咽喉科においては過去に臨床実績がなく,同科に所属する医局員はもとより被告人ですら同症例を扱った経験がなかった。また,Dが選択したVAC療法についても,D,Cはもちろん,被告人も実施した経験がなかった。しかも,VAC療法に用いる硫酸ビンクリスチンには強力な細胞毒性及び神経毒性があり,使用法を誤れば重篤な副作用が発現し,重大な結果が生ずる可能性があり,現に過剰投与による死亡例も報告されていたが,被告人を始めDらは,このようなことについての十分な知識はなかった。さらに,Dは,医師として研修医の期間を含めて4年余りの経験しかなく,被告人は,本センターの耳鼻咽喉科に勤務する医師の水準から見て,平素から同人らに対して過誤防止のため適切に指導監督する必要を感じていたものである。このような事情の下では,被告人は,主治医のDや指導医のCらが抗がん剤の投与計画の立案を誤り,その結果として抗がん剤が過剰投与されるに至る事態は予見し得たものと認められる。【要旨】そうすると,被告人としては,自らも臨床例,文献,医薬品添付文書等を調査検討するなどし,VAC療法の適否とその用法・用量・副作用などについて把握した上で,抗がん剤の投与計画案の内容についても踏み込んで具体的に検討し,これに誤りがあれば是正すべき注意義務があったというべきである。しかも,被告人は,DからVAC療法の採用について承認を求められた9月20日ころから,抗がん剤の投与開始の翌日でカンファレンスが開催された9月28日ころまでの間に,Dから投与計画の詳細を報告させるなどして,投与計画の具体的内容を把握して上記注意義務を尽くすことは容易であったのである。ところが,被告人は,これを怠り,投与計画の具体的内容を把握しその当否を検討することなく,VAC療法の選択の点のみに承認を与え,誤った投与計画を是正しなかった過失があるといわざるを得ない。したがって,これと同旨の原判断は正当である。
(2) 2(2)の過失について
 抗がん剤の投与計画が適正であっても,治療の実施過程で抗がん剤の使用量・方法を誤り,あるいは重篤な副作用が発現するなどして死傷の結果が生ずることも想定されるところ,被告人はもとよりD,Cらチームに所属する医師らにVAC療法の経験がなく,副作用の発現及びその対応に関する十分な知識もなかったなどの前記事情の下では,被告人としては,Dらが副作用の発現の把握及び対応を誤るこにより,副作用に伴う死傷の結果を生じさせる事態をも予見し得たと認められる。【要旨】そうすると,少なくとも,被告人には,VAC療法の実施に当たり,自らもその副作用と対応方法について調査研究した上で,Dらの硫酸ビンクリスチンの副作用に関する知識を確かめ,副作用に的確に対応できるように事前に指導するとともに,懸念される副作用が発現した場合には直ちに被告人に報告するよう具体的に指示すべき注意義務があったというべきである。被告人は,上記注意義務を尽くせば,遅くとも,硫酸ビンクリスチンの5倍投与(10月1日)の段階で強い副作用の発現を把握して対応措置を施すことにより,Xを救命し得たはずのものである。
被告人には,上記注意義務を怠った過失も認められる。
 原判決が判示する副作用への対応についての注意義務が,被告人に対して主治医と全く同一の立場で副作用の発現状況等を把握すべきであるとの趣旨であるとすれば過大な注意義務を課したものといわざるを得ないが,原判決の判示内容からは,上記の事前指導を含む注意義務,すなわち,主治医らに対し副作用への対応について事前に指導を行うとともに,自らも主治医等からの報告を受けるなどして副作用の発現等を的確に把握し,結果の発生を未然に防止すべき注意義務があるという趣旨のものとして判示したものと理解することができるから,原判決はその限りにおいて正当として是認することができる。

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