最高裁医療判例real estate
最高裁医療判例
〇最決平19・3 ・26刑集61巻2号131頁
患者取り違え事件における注意義務
2 原判決は,心臓手術の麻酔科医師であった被告人につき,麻酔導入前に患者の外見的特徴等や問診により患者の同一性を確認するのはもとより,麻酔導入後においても頭髪の色及び形状,歯の状況,手術室内での検査結果等が,いずれもXのものと相違し,患者の同一性に疑念を抱いたのであるから,自ら又は手術を担当する他の医師や看護婦らをして病棟及び他の手術室に問い合わせるなどして患者の同一性を確認し,患者の取り違えが判明した場合は,Yに対する手術の続行を中止するとともに直ちに連絡してXに対する誤った手術をも防止し,事故発生を未然に防止する義務があるのにこれを怠り,Yを,その同一性を確認することなくXと軽信して麻酔を導入した上,外見的特徴や病状の相違などから,その同一性に疑念が生じた後も,他の医師らにその疑念を告げ,電話により介助担当看護婦をして病棟看護婦にXが手術室に搬送されたか否かを問い合わせはしたが,他の医師からは取り合ってもらえず,病棟からXを手術室に搬送した旨の電話回答を受けただけであるのに,その身体的特徴等を確認するなどの措置を採ることなく,患者をXと軽信してYに対する麻酔を継続するとともに,Xの現在する手術室に患者取り違えを連絡する機会を失わせた過失があると認め,原審相被告人らとの過失の競合により,YとXを麻酔状態に陥らせた上,Yに全治約5週間の胸骨正中切開等の傷害を負わせ,Xに全治約2週間の右側胸部切創等の傷害を負わせたものと認定した。
3 医療行為において,対象となる患者の同一性を確認することは,当該医療行為を正当化する大前提であり,医療関係者の初歩的,基本的な注意義務であって,病院全体が組織的なシステムを構築し,医療を担当する医師や看護婦の間でも役割分担を取り決め,周知徹底し,患者の同一性確認を徹底することが望ましいところ,これらの状況を欠いていた本件の事実関係を前提にすると,手術に関与する医師,看護婦等の関係者は,他の関係者が上記確認を行っていると信頼し,自ら上記確認をする必要がないと判断することは許されず,各人の職責や持ち場に応じ,重畳的に,それぞれが責任を持って患者の同一性を確認する義務があり,この確認は,遅くとも患者の身体への侵襲である麻酔の導入前に行われなければならないものというべきであるし,また,麻酔導入後であっても,患者の同一性について疑念を生じさせる事情が生じたときは,手術を中止し又は中断することが困難な段階に至っている場合でない限り,手術の進行を止め,関係者それぞれが改めてその同一性を確認する義務があるというべきである。
これを被告人についてみると,@ 麻酔導入前にあっては,患者への問い掛けや容ぼう等の外見的特徴の確認等,患者の状況に応じた適切な方法で,その同一性を確認する注意義務があるものというべきであるところ,上記の問い掛けに際し,患者の姓だけを呼び,更には姓にあいさつ等を加えて呼ぶなどの方法については,患者が手術を前に極度の不安や緊張状態に陥り,あるいは病状や前投薬の影響等により意識が清明でないため,異なった姓で呼び掛けられたことに気付かず,あるいは言い間違いと考えて言及しないなどの可能性があるから,上記の呼び掛け方法が同病院における従前からの慣行であったとしても,患者の同一性の確認の手立てとして不十分であったというほかなく,患者の容ぼうその他の外見的特徴などをも併せて確認をしなかった点において,A 更に麻酔導入後にあっては,外見的特徴や経食道心エコー検査の所見等から患者の同一性について疑いを持つに至ったところ,他の関係者に対しても疑問を提起し,一定程度の確認のための措置は採ったものの,確実な確認措置を採らなかった点において,過失があるというべきである。
この点に関し,他の関係者が被告人の疑問を真しに受け止めず,そのために確実な同一性確認措置が採られなかった事情が認められ,被告人としては取り違え防止のため一応の努力をしたと評価することはできる。しかしながら,患者の同一性という最も基本的な事項に関して相当の根拠をもって疑いが生じた以上,たとえ上記事情があったとしても,なお,被告人において注意義務を尽くしたということはできないといわざるを得ない。
したがって,以上と同旨で被告人の過失を認めた原判断は正当である。
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