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最高裁医療判例real estate

最高裁医療判例
〇最判平28・7・19判例秘書

期待権侵害の限定

主   文
1 原判決中上告人敗訴部分を破棄する。
2 前項の部分につき,被上告人の控訴を棄却する。
3 控訴費用及び上告費用は被上告人の負担とする。

理   由
第1 事案の概要
本件は,上告人が開設し,運営するA総合病院(以下「上告人病院」という。)において松果体腫瘍摘出術(以下「本件手術」という。)を受けた被上告人が,本件手術後に脳内出血が生じ,脳の器質的損傷のため高次脳機能障害等の後遺症が残ったことにつき,上告人に対し(1) 上告人病院の医師は本件手術後に出血の徴候が出現した時点で被上告人の頭部CT検査を実施すべき注意義務があるのに,これを怠り,その結果,被上告人に上記後遺症が残った,(2) 仮に,上記注意義務違反と上記後遺症の残存との間の因果関係が証明されないとしても,上記後遺症が残らなかった相当程度の可能性を侵害されたなどと主張して,使用者責任に基づく損害賠償を求める事案である。

第2 上告代理人青木一男ほかの上告理由について
民事事件について最高裁判所に上告をすることが許されるのは民訴法312条1項または2項所定の場合に限られるところ,本件上告の理由は,理由の不備・食違いをいうが,その実質は事実誤認または単なる法令違反を主張するものであって,明らかに上記各項に規定する事由に該当しない。

第3 職権による検討
1 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,以下のとおりである。
(1) 被上告人は,平成21年3月3日(以下,日のみ記載するときは,いずれも平成21年3月である。),上告人病院において,2cm大の松果体腫瘍及び閉塞性水頭症と診断された。
(2) 被上告人は,上告人病院に人院し,25日午前9時53分から午後6時23分まで,B医師(以下「B医師」という。)の執刀により,本件手術を受けた。B医師は,被上告人をうつ伏せの状態にして後頭部を開頭し,右後頭葉と人脳鎌,小脳テント間の剥離を進め,奥に進んで病変部に至り,腫瘍の凝固縮小を試み,腫瘍の塊を上から削り取るように摘除していったものであるが,腫瘍は血管に富んでおり,その一部が中脳や視床と強く癒着していたため,腫瘍両側面及び上部を剥離すると第三脳室上衣層及び周囲脳組織を損傷する可能性が高いと判断し,腫瘍全部の摘出はせずにいわゆる亜全摘の状態のまま止血措置をして閉頭し,本件手術を終えた。なお,腫瘍摘出術は,特にこれが亜全摘に終わった場合には,術後出血が生じやすいものとされていた。
(3) 被上告人は,本件手術終了後の25日午後7時,集中治療室(以下「ICU」という。)に移され, ICU内において,術後出血の徴候を含めた状態把握のための措置が執られた。具体的には,看護師の目視のほか,血圧,心拍,頭蓋内圧,意識レベルの確認,徒手筋力テスト(以下「MMT」という。)による四肢麻痺の有無等の確認,脳室ドレーン排液の量や血性度の確認等がされた。また,被上告人の主治医であったC医師(以下「C医師」という。)も,本件手術終了直後から,救急外来での当直勤務の合間に,または看護師からの報告等に応じて,被上告人を直接診察した。
(4) 被上告人は,25日午後7時の時点において,覚醒良好で従命可能な状態であったが,午後9時頃から血圧が上昇傾向となり,午後10時頃の時点では,失見当識が出現し,脳室ドレーン排液が水性から淡血性となっていた。看護師の報告により自ら被上告人を診察するなどしたC医師は,従命可能な状態であるとして経過観察の継続を看護師に指示した。午後11時からは,術後出血を予防するために血圧降下剤の投与が開始され,次第に投与量が増加していったが,被上告人の高血圧傾向は持続していた。
(5) 被上告人は,翌26日午前0時の時点において,血圧は落ち着きMMTの結果に低下は見られなかったが,従命はいま一つの状態で脳室ドレーン排液に血性度の上昇が見られたことなどから,看護師はC医師にその旨報告した。同報告を受けて被上告人を診察したC医師は,被上告人から反応があり従命も可能であったことから,多尿症状への投薬処方を看護師に指示するにとどまった。
(6) 26日午前2時頃になって被上告人の意欲レベルが低下し,C医師が呼ばれた。C医師は,診察の結果,対光反射の低下,右不全片麻痺の症状及び従命不良を認めたほか,脳室ドレーン排液の血性度上昇,頭蓋内圧の上昇も見られたことから,被上告人に術後出血が生じたことを疑った。
(7) 26日午前2時30分に被上告人の頭部CT検査が実施されたところ,第三脳室を中心に50o×44o大の血腫が認められ,中脳を圧迫している所見が得られたため,被上告人に対する再手術が行われることとなった。
(8) 被上告人は,26日午前5時42分から7時33分まで,B医師の執刀により1回目の血腫除去術を受け,同日午後5時過ぎ頃から別の医師の執刀により2回目の血腫除去術を受けた。
(9) 被上告人には,上記(8)の各手術後も高次脳機能障害等の障害が残存し,現在も,意欲低下,軽度右片麻痺,四肢筋力低下,起立歩行障害,両上肢軽度障害,重度記憶障害が認められ,要監視,要介護の状況が継続している。

2 原審は,上記事実関係等の下において,被上告人には25日午後10時頃から26日午前0時頃までの間に残存腫瘍からの出血が生じたと認定した上,C医師が,25日午後10時の時点で被上告人に対する頭部CT検査を実施し,その後も26日午前0時30分頃まで繰り返し同検査を実施すべき注意義務を怠ったことにより,被上告人に高次脳機能障害等の後遺症が残ったとはいえないとしたものの,次のとおり判断して,被上告人の請求を慰謝料及び弁護士費用の合計1100万円の支払を求める限度で認容した(なお,原審は,被上告人所論のように,重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性を侵害されたという判断を示したものとは認められない。)。
被上告人は,C医師が上記注意義務を尽くさなかったことにより適切な医療を受けるべき利益を侵害され,これにより精神的苦痛を受けていることが認められるから,上告人に同苦痛を慰謝すべき責任を負担させることが相当である。

3 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

患者が適切な医療行為を受けることができなかった場合に医師が,患者に対して,適切な医療行為を受ける利益を侵害したことのみを理由とする不法行為責任を負うことがあるか否かは,当該医療行為が著しく不適切なものである事案について検討し得るにとどまるべきものである(最高裁平成17年(受)第715号同年12月8日第一小法廷判決・裁判集民事218号1075頁,最高裁平成21年(受)第65号同23年2月25日第二小法廷判決・裁判集民事236号183頁参照)。これを本件についてみると,C医師は,前記事実関係等のとおり, ICU内で,看護師と連携しつつ,自らも直接診断することにより,術後出血の徴候を含めた被上告人の経過観察を続け,その結果に応じた看護師への指示等を行ったというのであり,適時に頭部CT検査が実施されなかったといえるとしても,このようなC医師の医療行為が著しく不適切なものであったといえないことは明らかであるから,本件は,上記不法行為責任の有無を検討し得るような事案とはいえないというべきである。そして,前記事実関係等によれば,本件は,原審が適切であるものとして認定した医療行為を受けていたならば被上告人に重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性が証明されたとはいえないことも明らかであるから,上告人は,被上告人に対し,使用者責任を負わないというべきである。

第4 結論
以上と異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があり,原判決中上告人敗訴部分は破棄を免れない。そして,以上に説示したところによれば,被上告人の請求を棄却すべきものとした第1審判決は,結論において是認することができる。したがって,上記部分につき,被上告人の控訴を棄却することとする。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官山崎敏充の補足意見がある。裁判官山崎敏充の補足意見は,次のとおりである。

私は,適切な医療を受ける利益の侵害を理由に上告人の不法行為責任を認めた原審判断は是認できず,本件において,被上告人の請求は棄却されるべきであるとする法廷意見に賛成するものであるが,医師の注意義務に関する原審の審理判断の方法等に関して,補足的に意見を述べておきたい。
本件手術の術後管理における医師の注意義務(適時に頭部CT検査を実施すべき義務)を論じるに当たっては,術後の脳内出血の部位や血液の貯留状況等血腫形成の機序及び時期の解明が必要であり,また,被上告人の容態の変化等脳内出血ないし血腫形成を疑うべき外部的徴候の出現の有無及び出現時期といった事実関係を確定する必要かお
る。これら脳内出血ないし血腫形成に関わる事実については,その性質上,どのような徴候の出現をもって脳内出血ないし血腫の形成を外部から判定することが可能かという点を含めて,医学的な専門的知見を適切に活用することなくしては,的確な認定判断を行うことは困難である。しかし,これらの点に関する原審の認定判断は,判文を見る限り,そう認定するだけの十分な医学的根拠が示されているようにはうかがえず,必ずしも説得的な説示がされているとはいい難いように思われる。本件において,被上告人に対する上告人病院の術後管理はICUにおいてむしろ手厚く行われていたとみられるのであって,その態勢に何ら問題はうかがえないところ,その状況下において,被上告人の容態の変化を認めた看護師が主治医にその旨報告し,主治医が自ら被上告人を診察し,経過観察の継続と必要な処置を指示するなどしたという事実経過があるにもかかわらず,そうした主治医の診断と指示が相当であったか否かについての説示は見当たらず,それが相当でなかったとする具体的な根拠は示されていない。また,頭部CT検査を繰り返し実施すべきであったとする点についても,長時間にわたる手術の後にICUにおいて術後管理が行われていた被上告人に対し,そのような頻回にわたるCT検査の実施が現実的に可能なのか,患者に対する負担の観点から適切な医療行為といえるのか,という点て疑問が提起されよう。そうすると,原審の確定した脳内出血ないし血腫形成に関する事実関係を前提としても,医師の診断とこれに基づく措置が不適切であったということを具体的に指摘することなく,また,実施すべきであったとする行為の現実的可能性及び医療行為としての相当性について医学的見地からの検討を経ることなく注意義務違反を認めた判断には,疑問を挟む余地があると言わざるを得ない。

以上のとおり,原審の認定判断については,被侵害利益に関する部分のみならず,医師の注意義務に関する部分にも相当の疑問があるように思われる。審理経過等も併せみると,本件では,医師による鑑定等が実施されないまま,被上告人提出に係る匿名協力医作成の意見書の記載に相当程度依拠して,主治医の注意義務についての認定判断がされているようにうかがえるが,そうした匿名意見書の証拠価値については慎重な検討を必要とすることはいうまでもないところであり,やはり鑑定を実施するなどした上で,それにより得られた中立的な立場からの専門的知見を活用して,医学的見地からも十分説得力のある根拠を付した認定判断をすべき事案であったように思われる。上述のように,主治医の注意義務違反を導く過程等で生ずる疑問点について十分応えているとはいい難い原判決の判示によっては,関係者の納得を得ることは難しいように思う。
(裁判長裁判官 山崎敏充 裁判官 岡部喜代子 裁判官 大谷剛彦 裁判官 大橋正春 裁判官 木内道祥)

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