最高裁医療判例real estate
最高裁医療判例
〇最判平3・4・19民集45巻4号367頁
予防接種によって重篤な後遺障害が発生した場合,特段の事情が認められない限り,禁忌被接種者は禁忌者に該当していたと推定する
主 文
原判決を破棄する。
本件を札幌高等裁判所に差し戻す。
理 由
一 上告代理人大島治一郎、同入江五郎、同高野国雄の上告理由第一点について
上告人らの被上告人国に対する主位的請求(その一)及び被上告人小樽市に対する請求は、昭和四三年四月八日小樽市保健所において、予防接種法(昭和四五年法律第一一一号による改正前のもの。以下「法」という。)に基づく痘そうの予防接種(以下「予防接種」という。)が実施された際、同保健所予防課長の上告人A1に対する予防接種(以下「本件接種」という。)に起因して、同上告人が下半身麻痺による運動障害及び知能障害の後遺障害を残すに至ったが、これは、国の小樽市長に対する委任により国の公権力の行使に当たる公務員として本件接種を実施した小樽市保健所予防課長が十分な予診をしなかった過失又は同人を補助者として本件接種を実施した同保健所長が右の十分な予診を行うことができるように措置しなかった過失によって生じたものであるとして、予防接種の実施事務を小樽市長に委任した国に対しては国家賠償法一条一項の規定に基づき、同保健所予防課長及び同保健所長の給与負担者である小樽市に対しては国家賠償法三条一項の規定に基づき、同上告人並びにその両親である上告人A2及び同A3がその損害の賠償を請求する
ものである。
二 原審は、次のとおり、事実を確定した上、上告人らの右各請求を棄却した。
1 予防接種後一定の期間を置いて、中枢神経系に対する重篤な副反応が引き起こされる広義の種痘後脳炎の発生機序については、いまだ十分に解明されていないが、上告人A1の本件後遺障害の発生に至る臨床経過は広義の種痘後脳炎のうちの脊髄炎型に合致するものである。そして、本件接種以外に本件後遺障害の原因となる事由は認め難く、本件接種が同上告人の本件後遺障害を発生させたことにつき経験則上高度の蓋然性が存すると優に認められるべきであるから、同上告人が現在呈している本件後遺障害は、その全体にわたり、本件接種に起因するものと認められる。
2 本件接種の実施される五日前である昭和四三年四月三日、上告人A1は摂氏三八度八分の発熱をし、咽頭が発赤したため、診療した医師は感冒と診断して、解熱剤スルピリンを含む投薬をした。同上告人の体温は同月四日には摂氏三八度五分、同月五日には摂氏三七度三分に下がり、同月六、七の両日には摂氏三七度以下となった。なお、同上告人は、四日及び五日の右両日に右解熱剤を含む注射を受けたほか、同月七日まで右解熱剤を含む薬剤を服用した。そして、本件接種当日である同月八日の朝も同上告人に発熱はなかった。
右によれば、同上告人の症状は咽頭炎であり「遅くとも同月六日には右咽頭炎は治癒していたものであり、右解熱剤の効果の持続時間に照らして、本件接種当日である同月八日に発熱がなかったことは右解熱剤の効果によるものではない。
3 法一五条の委任により定められた予防接種実施規則(昭和四五年厚生省令第四四号による改正前のもの)四条は、予防接種の禁忌者を掲げ、これに該当すると認められる場合には、その者に対して予防接種を実施してはならないと定めているが、上告人A1の症状に照らせば、本件接種当日の同上告人は、一時的にかかった咽頭炎が既に治癒した状態にあったものであり、同条の掲げる禁忌者には該当しない。
4 以上によれば、上告人A1は、本件接種当日には予防接種を行うに適した者であったということができ、仮に予診に不十分な点があったとしても、同上告人の健康状態等に照らし、結局、予防接種を行うことは正当であったものであるから、右の予診の不十分な点と本件後遺障害とが結びつくことはあり得ない。
三 原審の右判断は、これを是認することができない。その理由は次のとおりである。
すなわち、原審の理由とするところは、要するに、本件接種によって上告人A1の本件被害が生じたものであるが、本件接種前の同上告人の症状は咽頭炎であり、遅くとも同月六日には解熱していたから、右咽頭炎は治癒していたものであり、本件接種当日である同月八日に発熱がなかったから、本件接種当時において同上告人は禁忌者に該当せず、したがって、予診に不十分な点があったとしても、本件接種の実施は正当であったとするものである。
しかしながら、予防接種によって重篤な後遺障害が発生する原因としては、被接種者が禁忌者に該当していたこと又は被接種者が後遺障害を発生しやすい個人的素因を有していたことが考えられるところ、禁忌者として掲げられた事由は一般通常人がなり得る病的状態、比較的多く見られる疾患又はアレルギー体質等であり、ある個人が禁忌者に該当する可能性は右の個人的素因を有する可能性よりもはるかに大きいものというべきであるから、予防接種によって右後遺障害が発生した場合には、当該被接種者が禁忌者に該当していたことによって右後遺障害が発生した高度の蓋然性があると考えられる。したがって、予防接種によって右後遺障害が発生した場合には、禁忌者を識別するために必要とされる予診が尽くされたが禁忌者に該当すると認められる事由を発見することができなかったこと、被接種者が右個人的素因を有していたこと等の特段の事情が認められない限り、被接種者は禁忌者に該当していたと推定するのが相当である。
この点を本件について見るに、前記事実関係によれば、上告人A1が現在呈している後遺障害は、その全体にわたり、本件接種に起因するものと認められるというのであるが、原審は必要な予診を尽くしたかどうかを審理せず、上告人A1が前記個人的素因を有していたと認定するものでもない。そして、咽頭炎とは咽頭部に炎症を生じているという状態を示す症状名であって、咽頭炎が治癒したとは咽頭部の炎症が消滅したことをいうにすぎず、その原因となった疾患の治癒を示すものでもなければ、他の疾患にり患していないことを意味するものでもなく、原審が咽頭炎の治癒を認定した根拠は、要するに、上告人A1の解熱の経過にすぎず、また、記録によれば、本件接種当日において同上告人に発熱がなかったとの事実認定の基礎とされた上告人A3の供述も検温の結果に基づくものではなく、同上告人の観察に基づく判断にすぎないのである。そうであるとすると、原審認定事実によっては、いまだ同上告人が禁忌者に該当していなかったと断定することはできない。
したがって、必要な予診を尽くしたかどうか等の点について審理することなく、本件接種当時の上告人A1が予防接種に適した状態にあったとして、接種実施者の過失に関する上告人らの主張を直ちに排斥した原審の判断には審理不尽の違法があるというべきである。
四 以上によれば、その余の論旨を判断するまでもなく、右違法が判決に影響することは明らかであるから、原判決は破棄を免れず、予防接種を実施した医師が禁忌者を識別するために必要とされる予診を尽くしたかどうか等を更に審理させる必要があるので、本件を原審に差し戻すこととする。
よって、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
最高裁判所第二小法廷
裁判長裁判官藤島昭 裁判官香川保一 裁判官中島敏次郎 裁判官木崎良平
谷直樹法律事務所
〒160-0003
東京都新宿区四谷本塩町3番1号
四谷ワイズビル1F
TEL 03-5363-2052
FAX 03-5363-2053