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下級審医療判例real estate

東京地判平14.12.18
東京地方裁判所平成14年12月18日判決
平成12年(ワ)第7997号損害賠償事件
口頭弁論終結日平成14年10月7日

判決
東京都
原         告    甲 野 太 郎
同              甲 野 花 子
原告ら訴訟代理人弁護士    谷   直 樹
同              山 囗 紀 洋
被         告    乙 野 一 郎
同              丙 野 二 郎
被告ら訴訟代理人弁護士    小 海 正 勝
同              高 田 利 廣
同訴訟復代理人弁護士    加 藤 雅 明

                      主   文

1 被告らは,原告甲野太郎に対し,連帯して,1600万円及びこれに対する平成10年8月4日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告らは,原告甲野花子に対し,連帯して,1600万円及びこれに対する平成10年8月4日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 原告らのその他の請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用は,これを7分し,その4を原告らの負担とし,その他を被告らの負担とする。
5 この判決の第1項及び第2項は,仮に執行することができる。

                      事実及び理由
(略)

第3 争点に対する判断
i 事実経過
前記第2の2の事実に証拠(甲1,2,4,9,10,19,,乙3,4,5,の1・2,19,20,22,23,25,証人A,証人B,原告太郎,原告花子,被告丙 野,被告乙野)及び弁論の全趣旨を併せると,本件の事実経過について,次のような事実が認められる。
(1) 原告花子は,平成9年12月2日に乙野病院で診察を受け,児を平成10年8月6日に出産する予定であると診断された。その後,原告花子は,8月3日までの間,合計17回にわたり乙野病院に通院したが,児の発育は順調で,母児ともに健康であった。
(2) 8月4日午前2時40分ころ,原告花子は,自宅で就寝中に突然大量の性器出血(外出血)を起こした。原告らは慌てて乙野病院に電話をかけ,電話に出た助産娟のA(以下「A」という。)に指示を求めたところ,Aはすぐ来院するようにとの指示をした。原告花子は,出血がひどかったことから,自宅を出る前に風呂場で手足に付着した血を洗い流したが,その際も出血は止まらず,こぶし大の血の塊が出るなどした。
(3)その後,原告らは,原告太郎の運転する自動車で急いで乙野病院へ向かい,午前3時15分ころまでには同病院に到着した。(なお,来院時刻の点に際し,被告らは,カルテの記載(乙4の10ページ)を根拠として,原告らが来院したのは午前3時30分であった旨を主張している。しかし,同記載部分には,事後に数字を重ねて書くことにより改ざんが行われたことをうかがわせような形跡が存在するから,同記載を直ちに採用
することはできず,被告らの上記主張は採用することができない。)
(4)Aは,原告花子の出血量が予想以上に多かったことから,原告花子を診察室のベッドに寝かせた上,当直室に電話をかけて,宿直医であった被告丙野を呼んだ。そして,Aは,被告丙野が診察室に現れるまでの間,超音波で児の心拍に異常がないことを確認するとともに,原告花子の大腿部に付着していた血液を清拭した。この時点でも,なお少量の出血が続いていたが,原告花子の血圧及び脈拍は正常値の範囲内であった。
(5)その後しばらく経った午前3時30分ころ,被告丙野が診察室に現れた。原告らは被告丙野に対し,自宅で大量の出血があったことやこぶし大の血の塊が出たことなどを伝えた。被告丙野が内診を行ったところ,この時点ではほぽ出血は止まっていたものの,膣内に約20グラムから30グラムの凝血が認められた。被告丙野は,出血の原因は前置胎盤ではないかと考え,超音波による診断を行ったが,胎盤の位置には問題がなく,前置胎盤は認められなかった。他方,被告丙野は,常位胎盤早期剥離の可能性についてはこれを全く念頭に置いておらず,常位胎盤早期剥離の有無を確認するための検査等は行わなかった。(なお,この点に関し,被告らは,被告丙野は常位胎盤早期剥離の可能性をも疑い,超音波Bモードで胎盤後血腫の有無及び胎盤の厚みを検査したと主張している。しかし,カルテ及び看護記録上,前置胎盤の有無を確認した旨の記載は存在するにもかかわらず,常位胎盤早期剥離の有無を確認したことを示す記載は一切存在しないこと(乙4の30ページ・55ページ)からすれば,被告丙野が常位胎盤早期剥離の可能性を疑い上記検査を行ったとは認め難い。この点に関し,被告らは,検査等を行ってもその旨をカルテに記載しないことは一般的にあり得るとも主張しているが,後記のとおり,常位胎盤早期剥離は短時間で急速に進行して胎児の子宮内死亡をもたらす重篤な疾患であるから,常位胎盤早期剥離の有無を検査等によって確認したにもかかわらず,もう一方の前置胎盤に関する記載はしたものの,常位胎盤早期剥離に関する記載は一切しないなどということは通常考えられないというべきである。よって,常位胎盤早期剥離に関する記載がカルテに全くないことは,被告らの主張するようにそれに関する検査を行ったものの単にその旨をカルテに記載しなかったということを示しているのではなく,被告丙野においてそのような検査をしなかったこと,したがって,同被告において常置胎盤早期剥離を疑っていなかったことを示していると理解するのが自然で合理的である。被告らの上記主張は採用することができない。)
(6) 結局,被告丙野は,出血の原因は子宮頸管の断裂等であって,特に問題はないと考えるに至り,その旨を原告らに述べた。そして,原告花子が腹部の痛みを訴えていたことなどから,すでに陣痛が始まっているものと判断して,そのまま同人を入院させることとし,午前3時50分ころ,原告花子を診察室から陣痛室へと移動させた。陣痛室において,原告花子に分娩監視装置が装着された。この時,児に軽度の頻脈(心拍数が通常よりも多いこと)がみられ,胎児心拍数は概ね170/分から180/分の間で推移していた。また,分娩監視装置が装着されて以降,児にアクセレーション(一過性の頻脈)はみられなかった。
(7)被告丙野は,原告太郎に対し,「ご主人はもう帰られてもいいですよ。」と述べ,特段の監視体制をとることなく,Aとともに陣痛室を立ち去った。
(8)しかし,原告太郎はその後も原告花子に付き添って陣痛室に残っていたところ,午前4時ころ,子宮の収縮に遅れて胎児心拍数が170/分前後から65/分前後まで低下し,かつその回復に約3分間を要する大きな徐脈(本件徐脈)が発生した。このとき,原告花子が下腹部の強い痛みを訴え,しかも分娩監視装置に赤いランプが点ったことから,原告太郎は不安を覚え,ナースステーションにいたAを呼び寄せた(なお,分娩監視装置に赤いランプが点るのは,母体の体位変換等によって胎児心拍がうまくとれない場合や,胎児心拍が下落した場合等である。)。
Aは,本件徐脈の発生を知って驚き,原告花子に大量の出血があったことや児に軽度の頻脈がみられたことを併せて考えれば胎児仮死を警戒すべき緊急の事態であると判断し,当直室にいた被告丙野に電話をかけて,頻脈の存在及び本件徐脈の概要を報告した。しかし,被告丙野は,本件徐脈を深刻なものとは受け止めず,Aに対し,電話で酸素吸入(4リットル/分)及び仰臥位から側臥位への体位変換を指示したのみで,自らは陣痛室に赴くことなく当直室にとどまっていた。
(9)午前4時15分ころ,分娩監視装置に再度赤いランプが点ったことから,原告太郎は再び児に徐脈が発生したものと考えて,ナースステーションにいたAを呼び寄せた。この時,原告花子が腹痛を訴え,少量ながら出血も続いていたことから,Aはパットの交換を行うとともに,血管確保の処置をとった。(なお,原告らは,午前4時15分ころにも胎児心拍数が100/分以下に低下する徐脈が発生したと主張している。しかし,分娩監視装置の記録(乙5の1・2)を見る限り,このような徐脈の発生は認められず,また,用紙切れになる前に記録用紙が交換されていると認められることからすれば,分娩監視装置の記録に空白の時問が生じたために徐脈が記録されなかったという可能性も考えにくい。原告らの上記主張は採用できない。)
(10) そして,原告太郎がAに不安を訴えた結果,午前4時30分ころ,Aから原告花子に対じ,あと1時間ほど様子を見た上で帝王切開を実施するか否かを検討する旨の病院の方針が伝えられた。その後も,原告花子の腹痛と出血は続き,午前5時ころからは,児に徐脈が頻発するようになった。しかし,被告丙野が陣痛室に現れることはなかった。
(11) 午前5時25分ころ,ようやく被告丙野が陣痛室に現れた。被告丙野は,児に徐脈が頻発していることや原告花子の出血が続いていることに疑問を感じたものの,依然として胎児仮死を警戒すべき緊急の事態であるとの認識は有しておらず,原告らに帝王切開を勧めることはなかった。しかし,一連の経過に不安を抱いていた原告太郎が,いっそ帝王切開をしてはどうかと提案したことから,被告丙野はこの提案に応じて帝王切開を行うこととし,自宅にいた被告乙野を病院に呼び寄せるとともに,手術の補助のため,自宅にいた助産婦のB(旧姓**。以下「B」という。)を病院に呼び寄せた。(なお,この点に関し,被告らは,カルテの記載(乙4の30ページ)を根拠として,被告丙野は緊急の事態であることを認識して自ら帝王切開を勧めたものであると主張している。しかし,被告丙野が本人尋問において自認するとおり,同人は後日,同カルテに小さい字で様々な書き足しを行っている。そして,上記記載部分を観察すると,被告丙野は,当初「原告太郎(E−mann)が帝王切開(C/S)を希望するため,帝王切開を決定した。」と記載されていたところを,後日,「児の安全性を考え,帝王切開を勧めたところ,原告太郎も同意した。」と改ざんしたことが明らかであるふよって,改ざん前の記載が真実を示しているというべきであるから,被告らの上記主張は採用することができない。)
(12) 午前6時30分ころ,胎児心拍数が約120/分と確認された。そして,午前6時37分に被告丙野と被告乙野によって執刀が開始され,帝王切開の結果,午前6時43分に児が娩出されたが川司時点では児はすでに死亡していた。(なお,この点に関し,原告らは,児は生きて出生したと主張している。しかし,上記娩出時には,児は全身蒼白でぐったりしており,筋肉の緊張や自発呼吸等の反応が全くなく,心拍も確認できず,しかもアプガースコアは1分後,5分後とも0点であったのであり,これらの客観的状況に照らせば,児は死産児であったと認めるのが相当である。)
(13) ところが,被告らは,原告らに対し,児は生きて生まれた直後に死亡した旨の虚偽の説明を行い,出生証明書及び死亡診断書を発行したことから,原告らは,8月6日にこれらに基づいで出生届及び死亡届を提出した。また,被告らは,|司月13日に行われた原告らに対する説明会においても,児は生きて生まれた直後に死亡した旨の虚偽の説明を行った。(なお,これらの点に関し,被告らは,児の死亡という予想外め結果に対する動転と,児に生きていてほしいという願望から,児が生きて生まれた旨の誤った判断を下したにすぎないと弁解している。しかし,被告らが専門的な訓練を受けた医師であることを前提とすれば,上記弁解はそれ自体不合理なものであるといわざるを得ない。また,児は8月4日に死亡して同日中には解剖に付されているのであり,にもかかわらず,それから9日を経過した同月13日の時点において,児に生きていてほしいという願望から誤った判断を述べるなどということは,常識的にもおよそ想定できないというべきである。したがって,被告らの上記弁解は採用するに足りず,被告らは自らの責任を回避するために虚偽の事実を述べたと認めるのが相当である。)

2 争点(1)(被告丙野の診療上の過失の有無)について
(1) 証拠(甲3,6,15,27,30,乙15)によれば,常位胎盤早期剥離に関し,次のような事実を認めることができる。
ア 常位胎盤早期剥離は,正常な位置に付着した胎盤が胎児の娩出以前に乖離する疾患であり,典型的な臨床症状としては,性器からの外出血,下腹痛,強度の子宮収縮及び子宮の圧痛等が挙げられる。なお,外出血は,常位胎盤早期剥離の約90%にみられる特に典型的な症状であるが,外出血の量と実際の失血量とはほとんど無関係であるとされる。

イ 常位胎盤早期剥離は,短時間で急速に進展して胎児の子宮内死亡をもたらす重篤な疾患であり,また,剥離面積が30%未満の軽症であっても,台児が仮死状態で娩出されることが多い。したがって,前記臨床症状のうちの1つでも認められた場合には,常位胎盤早期剥離を疑い,問診,触診,血圧測定,血液検査,尿検査,超音波検査,胎児心拍のモニタリング等による総合的診断を行い,常位胎盤早期剥離の有無を確認する必要がある。ただし,超音波Bモードによって常位胎盤早期剥離の有無を確認することは極めて困難であり,超音波Bモードは,常位胎盤早期剥離と並ぶ出血性疾患である前置胎盤の可能性を排除するという点にその主たる機能があるといえる。

ウ そして,総合的診断の結果,常位胎盤早期剥離が濃厚に疑われる場合には,子宮口が全開大であるような例外的な場合を除き,直ちに帝王切開を実施する必要がある。

エ なお,常位胎盤早期剥離の初期には,胎児にアクセレーションの減弱や頻脈が発生し,また常位胎盤早期剥離が進行すると,遅発一過性徐脈等が出現する。一過性徐脈とは,子宮の収縮に伴って一過性に胎児心拍が低下することをいう。遅発一過性徐脈は,一過性徐脈のうち,子宮め収縮に遅れで胎児心拍の低下が始まるものであり,胎児仮死の前兆であるとされる。

(2) 以上を前提として検討するに,本件では,前記1において認定したとおり,分娩監視装置が装着された午前3時50分の段階においては,すでに,原告花子に性器からの外出血及び腹痛という常位胎盤早期剥離の典型的な臨床症状が認められ,しかも他の出血性疾患である前置胎盤の可能性が超音波検査によって排除されていたのであるから,午前3時50分の時点では,常位胎盤早期剥離を強く疑い前記のような総合的診断を行うことが必要な状況にあったということができる。そして,午前4時ころには,子宮の収縮に遅れて始まる徐脈,すなわち遅発一過性徐脈が出現し,しかもこの徐脈は, 170/分前後から65/分前後まで胎児心拍が低下し,かつその回復に約3分間を要するという極めて深刻なものであったことが認められる。さらに前記1に認定したとおり,分娩監視装置の装着後,児に軽度の頻脈がみられ,かつ分娩開始装置が装着されて以降,児にアクセレーションはみられなかったのであり,これらの客観的事実を総合すると,本件徐脈が発生した午前4時の時点では,常位胎盤早期剥離の発生が極めて濃厚に疑われる状況にあったということができる。したがって,子宮口の全開大といった例外的な事情が認められない本件においては,被告丙野は,午前4時の時点で直ちに帝王切開を決断し,帝王切開を実施するため緊急に母体を他の病院に搬送するか,又は緊急に自院で帝王切開を実施する義務があったというべきである。しかるに,被告丙野は,上記義務に違反して,上記のような適切な処置をとらなかったものである。

(3) この点に関し,被告らは,被告丙野は常位胎盤早期剥離の可能性を疑い,午前4時以前の時点で超音波Bモードにより胎盤後血腫の有無及び胎盤の厚みを検査し,常位胎盤早期剥離の可能性を否定した旨を主張している。しかし,前記1汲ノ説示したとおり,被告丙野は常位胎盤早期剥離の可能性を疑わず,したがってそのための検査も行わなかったものと認められる。また,上記(1)イに認定したとおり,そもそも超音波Bモードによって常位胎盤早期剥離の有無を確認することが極めて困難なのであるから,仮に被告らの主張するとおり,被告丙野がかかる検査によって常位胎盤早期剥離の可能性を否定したのであるとすれば,それ自体重大な判断ミスであるといわなければならない。さらに,被告らは,被告丙野はAから電話で本件徐脈の概要の報告を受けたのみで,自ら分娩監視装置の記録を見たわけではないところ,遅発一過性徐脈は変動一過性徐脈(子宮の収縮に一致して胎児心拍が低下する一過性徐脈)との区別が難しいことから,被告丙野は本件徐脈が遅発一過性徐脈であることを認識し得なかったとも主張している。
しかし,上記(2)に説示したとおり,分娩監視装置が装着された時点では,すでに常位胎盤早期剥離を強く疑って総合的診断を行うことが必要な状況にあったというべきであるから,遅発一過性徐脈と変動一過性徐脈の区別が難しいというのであれば,被告丙野としては,自ら陣痛室に赴いて分娩監視装置の記録を見るのが当然というべきであるし,本件証拠上,被告丙野が陣痛室に赴くことを妨げるような事情が存在したこともうかがわれない。
したがって,被告らの上記各主張は,被告丙野の義務違反を否定し得るようなものではなく,むしろ義務違反の程度が高いものであったことを基礎付けるものとさえいうことができる。

(4) なお,鈴木正彦作成に係る意見書(乙24)には,本件の分娩管理には大きな誤りはなかった旨の記載があるが,同意見書は児の死因等を云々するのみで,上記の結論を導くための論拠を何ら示しておらず,前記認定を左右しない。また,同人の証言の主旨は,午前4時の時点で被告丙野が何をなすべきであったかは,被告丙野自身の判断すべき事柄であるという点に尽きるというべきところ,本件訴訟においては,まさに被告丙野の判断の適否が問題となっているのであるから,その点の評価を回避した上記証言は本件訴訟において有用なものとはいえない。

(5) ところで,被告らは,母体搬送先を見付けるのは容易なことではなく,本件において直ちに母体搬送先を見付けることができたかどうかは疑問であると主張して,結果回避可能性を否定しようとするかのようである。
しかし,証拠(甲19,被告乙野)によれば,乙野病院は,以前にも帝王切開の実施が遅れる医療ミスを起こし,平成8年9月に責任を認めて訴訟上の和解をして以来,母体搬送態勢の充実に努め,夜間や休日を問わず,都内に複数の母体搬送先を確保していたことが認められる。したがって,被告らの上記主張も失当である。

(6)以上より,被告丙野の本件診療行為には過失がある。

3 争点求i因果関係の有無)について
(1)死因について
原告らは,児の死亡は常位胎盤早期剥離によってもたらされたものであると主張しているのに対し,被告らは,児の死亡は常位胎盤早期剥離に他の疾患(臍帯の辺縁・卵膜付着,胎盤の塞栓等)が複合した結果もたらされたものであると主張している。そこで,児の死因について検討するに,証拠(乙1の1,2,6から10,21)によれば,児の直接の死因は胎盤血行の急性循環障害であり,その発生機序は病理学的検討によっても確定することができないものの,解剖所見の検討から得られる最も可能性の高い機序は,臍帯の辺縁・卵膜付着による臍帯血管の走行異常に,羊水の増減,胎動に伴う胎児位置の変動,母胎の運動動作,外部からの物理的圧迫や衝撃,胎盤の剥離等の要因が複合することによって,臍帯血管への圧迫と狭窄が生じ,胎児への血行の低下等を生じたというものであることが認められる。そうすると,児の死亡は,原告らの主張するように常位胎盤早期剥離のみによってもたらされた可能性は低く,むしろ,被告らの主張するように,常位胎盤早期剥離に他の疾患が複合した結果もたらされた蓋然性が高いということができる。
なお,島田信宏作成に係る鑑定書(甲15)及び同人の証言中には,原告らの上記主張に沿う部分があるが,これらはいずれも,常位胎盤早期剥離が胎児の死亡に結びっく確率の高い疾患であることを根拠として,同疾患が児の死因である可能性が高いと推論するものにすぎないから,上記の病理学的所見を左右しない。

(2)因果関係について
もっとも,児の死因が被告らの主張するとおりであるとしても,前記1に認定したとおり,8月4日に至るまで児の発育が順調であったこと,及び児は午前6時30分の時点ではまだ生存していたことを考慮すると,午前4時の時点で被告丙野が直ちに帝王切開を決断し,帝王切開を実施するため緊急に母体を他の病院に搬送するか,又は緊急に白院で帝王切開を実施していれば,その後の措置とも併せ,児を救命できた可能性は十分にあったものと認められる。このように,被告丙野の診療上の過失によって児は生存の可能性を絶たれたものというべきであるから,被告丙野の診療上の過失と児の死亡との間には因果関係があると認めるのが相当で・ある。

(3)まとめ
以上より,被告丙野は民法709条に基づき,被告丙野の使用者である被告乙野は民法715条に基づき,被告丙野の不法行為によって生じた損害を賠償する責任を負う。

4 争点(3囗児及び原告らの損害額)について
(1)逸失利益について
前記1の圈に認定したとおり,児は死産児であったと認められる。そうすると,児は権利能力を取得する以前に死亡したものであるから(民法1条の3),原告らの請求のうち児の逸失利益相当額の損害賠償を求める部分は理由がない。

(2)慰謝料について
ア 前記1に認定したとおり,児が死亡したのは出産の直前であったと認められるから,児の死亡によって両親である原告らが被った精神的苦痛の程度は,新生児が死亡した場合と変わりがないというべきである。

イ 前記1に認定したとおり,本件の帝王切開は一連の経過に不安を抱いた素人である原告太郎の要望により決断されたものであった。また,当時の切迫した状況は,分娩監視装置の記録等から,助産婦のAも,応援要請を受けてかけつけた助産婦のBも容易に認識することができたものであった(前記1の認定事実,甲19,証人B)。当時の切迫した状況は,Bが甲19の陳述書において,分娩監視装置の記録を見て恐怖を感じ「全身が震え心臓の鼓動が脈打つのを感じ」たと述べていることに端的に示されているといえる。しかし,ひとり児を救命すべき法的義務を負いその法的資格を持つ被告らだけが,結局最後まで危険を認識できなかったものと認められる(甲19,証人A,証人B,原告太郎,原告花子,被告丙野,被告乙野)。このように,被告丙野の義務違反の程度は高く,「産科の知識が私たちから見たら低いレベルにあると思います。」との原告花子の批判(本人調書反訳書4ページ)も理由のないこととはいえない。

ウ(ア)また,前記1に認定した事実に証拠(甲2,9,19,24,乙4,26,証人
B,原告太郎,被告丙野)及び弁論の全趣旨を併せると,被告丙野が次のような行動をとったことが認められる。
a 児の娩出時の体重は2812グラムと正常であったにもかかわらず,自己の過失を隠ぺいするため,原告太郎に対し,児の体が通常よりも小さかったことが死亡の原因であるかのように説明した。
b 自己の過失を隠ぺいするため,8月4日以降,カルテの一部を改ざんした。
c 自己の過失を隠ぺいするため,原告らに対し,児は生きて生まれた旨の虚偽の説明を行い,出生証明書及び死亡診断書を発行した。 しかし,平成11年11月になって,原告らが訴訟をも辞さない構えを見せるや,敗訴等の場合に備えて損害額を減少させる意図から,児は死産児であった旨説明を一転させた。
d 自己の過失を隠ぺいするため,Bに対し,帝王切開の決定時にはすでに被告丙野は緊急の事態であることを認識していた旨の虚偽の内容を記載した陳述書を作成するよう要求した。そして,上記要求に困惑したBが,最終的に原告太郎と相談の上,事実を率直につづった陳述書(甲19)を提出するや,Bの人間性や職務態度を誹謗・中傷する内容の陳述書(乙26)を提出し,この中で,原告らとBが通謀して計画的に被告らを陥れようとしたかのように記載した。

(
(イ)上記(ア)に認定した被告丙野の行動は,医師としての基本的な倫理・道徳に反するものであって,我が子を出産直前に失い悲嘆に暮れる原告らを愚弄するものであり,これによって原告らはさらなる重大な精神的苦痛を被ったものと認められる。

エ そして,以上の各事情のほか,児は原告らが不妊治療を経た末に授かった待望の第1子であったこと(甲10)や,被告丙野の診療上の過失の内容が極めて初歩的なものであると認められることなど,本件訴訟に現れた諸般の事情を考慮すると,本件においては,原告ら各自について1400万円ずっの慰謝料を認めるのが相当である。

(3)葬儀費用について
児の死亡に伴う葬儀費用としては,100万円(原告ら各自につき50万円ずつ)をもって,本件不法行為と相当因果関係のある損害と認めるべきである。
(4)弁護士費用について
原告らが本件訴訟の提起及び追行を原告ら代理人に委任したことは,当裁判所に顕著な事実であるところ,本件事案の性質に照らせば,原告らが弁護士に訴訟の提起及び追行を委任することは社会通念上相当な行為というべきであり,上記認定に係る原告らの損害額等をも考慮すると,本件不法行為と相当因果関係のある弁護士費用の額は,300万円(原告ら各自につき150万円ずつ)と認めるのが相当である。
(5) まとめ
以上より,被告らの不法行為によって原告らに生じた損害は,原告ら各自につき1600万円ずつになる。

第4 結論
以上の次第で,原告らの請求は,各自被告らに対し1600万円とこれに対する平成10年8月4囗(不法行為の日)以降の民法所定年5分の割合による遅延損害金とを連帯して支払うことを求める限度で正当としてこれを認容し,その他は失当としてこれを棄却することとして,主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第18部
裁判長裁判官 岩 田 好 二
裁判官 工 藤 正
裁判官 徳 田 祐 介

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