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下級審医療判例real estate

東京地判平14.7.18
                          主    文
1 被告は,原告Aに対し,金3360万3344円及び内金3060万3344円に対する平成8年2月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告Bに対し,金1638万1672円及び内金1488万1672円に対する平成8年2月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被告は,原告Cに対し,金1638万1672円及び内金1488万1672円に対する平成8年2月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
5 訴訟費用はこれを5分し,その3を被告の負担とし,その余を原告らの負担とする。
6 この判決は,第1項ないし第3項に限り,仮に執行することができる。ただし,被告が,原告Aについて金2000万円,原告Bについて金1000万円,原告Cについて金1000万円の担保を供するときは,それぞれの原告らによる上記仮執行を免れることができる。
                          事実及び理由
(略)
第3 争点に対する判断
1 争点(1)(コイル塞栓術選択の過失)について
(1) 前記争いのない事実等と証拠(甲1,3,4,6ないし20,30,31,45ないし50,53,81ないし83,89ないし97,103ないし136,161,乙1ないし6,9,10,13ないし19,24ないし32,36,57,証人F,証人E,原告A本人,鑑定人Hの鑑定の結果)を総合すれば,本件手術に至る経緯等について以下のとおりであると認められる。
ア 本件の経緯
(ア) Dは,昭和9年7月25日に生まれ,本件手術時(平成8年2月28日)及び死亡時(平成8年3月13日)には,満61歳であった。
(イ) Dは,平成7年11月10日,大学の講義中に意識障害を起こし,数時間もうろうとした状態となった。その後,Dは,正常な生活を送っていたが,同月下旬ころ,堀ノ内病院においてCT検査を受けた結果,脳動脈瘤が存在する可能性を指摘され,同病院の紹介により,同年12月7日より被告病院にて担当医師であるE医師の診察を受けた。
(ウ) 平成7年12月15日,原告Aのみが被告病院を訪れたが,その際,E医師は,同年11月30日に堀ノ内病院が実施した造影CT検査において,左内頸動脈分岐部脳動脈瘤の疑いが強いことを原告Aに説明した。
(エ) Dは,同年12月18日に被告病院にて造影3次元CT検査を受けたが,その結果,E医師により左内頸動脈分岐部脳動脈瘤が存在することが確実であると判断され,同月22日,E医師は,D及び原告A(以下「Dら」という。)に対しその旨説明した。また,E医師は,同日の診察において,この未破裂脳動脈瘤の治療計画を立てる上で必要となる脳血管撮影の説明をした上で,Dらが脳血管撮影の施行を希望したことから,平成8年1月19日午前に脳血管撮影を施行する予約を入れ,同月18日に入院する予約を入れた。
(オ) Dは,上記(エ)の予約に基づき,平成8年1月18日に脳血管撮影目的で被告病院に入院し,翌19日に脳血管撮影を受け,翌20日に退院した。
(カ) Dは,同月26日外来受診し,E医師より上記脳血管撮影の所見の説明を受けた。その際,E医師は,Dらに対し,開頭手術及び血管内手術の危険性等について説明をした(具体的な説明内容については,争点(3)についての判断において認定する。)
(キ) さらに,Dは,同年2月23日外来受診し,E医師より,同年1月26日に所沢明生病院で実施したMRI検査においてわずかに小梗塞巣が散在していること,また,同月14日に実施した脳血流シンチグラム検査では異常がなかったことの説明を受けた(その余の手術の危険性等に関する具体的な説明内容については,争点(3)についての判断において認定する。)。
Dは,同年2月23日の診察において開頭手術を希望したことから,同月29日に開頭手術を実施する予定が決められた。同人は,同月23日入院手続をとったが,直ちに同月27日午後3時までの外泊許可をとり自宅へ帰宅した。
(ク) 同月27日,被告病院内におけるDに対する手術前のカンファレンスにおいて,同病院のI教授より以下のような発言がなされ,Dに対して,開頭手術に替えて血管内手術すなわちコイル塞栓術を施行することが提案された。すなわち,「この内頸動脈分岐部脳動脈瘤の手術はかなり困難である。内頸動脈そのものが立ち上がっており,動脈瘤体部は脳の中に埋没するように存在している。動脈瘤の背部は恐らく確認できないので,貫通動脈や前脈絡叢動脈をかんでしまう可能性がある。
破裂例であれば開頭クリッピング術が第1選択でもいいかもしれないが,未破裂例なのでまず血管内手術を試みてもいいのではないか。血管内手術がうまくいかないときは再度ムンテラし,術後神経学的機能障害について十分納得するのであれば,開頭クリッピング術
を行ってもいいかもしれないが。」との発言がなされた。
それに対し,同病院の放射線科の医師であるF医師は,以下のように発言し,コイル塞栓術の施行を是認した。すなわち,「本症例の口径はかなり広いが,動脈瘤体部はある程度丸い形であるので,動脈瘤体部内に入れたコイルが落ち込むことはないと思う。明日(同月28日),まず動脈瘤造影を行い,コイルが挿入可能であればその場で行いましょう。無理はしません。」との発言がなされた。
(ケ) 上記カンファレンスの結果に基づき,同日夕方に行われたDの診察において,E医師及びF医師は,Dらに対して上記カンファレンスの経緯等を説明した上,コイル塞栓術の手技等について説明した(具体的な説明内容については,争点(3)についての判断において認定する。)。
Dらは,上記医師らの説明を受け,F医師の執刀によるコイル塞栓術を翌28日に受けることを承諾し,承諾書に署名押印し被告病院へ提出した。
イ 未破裂脳動脈瘤の手術適応に関する本件手術当時の見解等
(ア) 未破裂脳動脈瘤を手術すべきか否かについては,手術しない場合の破裂率,破裂した場合の予後(重度障害ないし死亡の結果を生じさせる危険性),手術した場合の予後(重度障害ないし死亡の結果を生じさせる危険性)等の多数の要素を勘案して,その得失を判断しなければならないとされている(乙15p41など)。
(イ) 未破裂脳動脈瘤の破裂の危険率については,平均年間破裂率は,「概ね1−2%」(甲3p878),「2.3%」(乙13p2),「1−2%」(乙14p22),「少なくみても2%はある」(乙15p33)などと報告されていた。
さらに,脳動脈瘤の大きさとの関係では,「McCormickらは6〜10ミリの脳動脈瘤の41%が,また11〜15ミリの87%が破裂例であるとし,kassellらは1114例の破裂脳動脈瘤の検討で,その71%が10ミリ以下で,13%は5ミリ以下であったと報告し,10ミリ以下の脳動脈瘤は破裂の危険性が高く5〜10ミリの脳動脈瘤は処置されるべきであると述べており,・・2.4ミリ以下の破裂の頻度は極めて低い。・・以上の報告などにより,破裂に至るcritical rangeの大きさは,4〜5ミリであると考えられる。」(乙15p35)などと,報告されており,4〜5ミリよりも大きい脳動脈瘤については,それよりも小さいものと比較して破裂の危険性が高いことが報告されていた。
(ウ) そして,未破裂動脈瘤が破裂した場合の予後については,「破裂時の死亡率(mortality)は50%前後,障害率(morbidity)は20%程度と考えられる。」(甲3p879),「破裂例34例中18例(52.9%)で出血は致死的であった。」(乙13p8),「脳動脈瘤は一旦破裂すると,現在の最良の医療によっても死亡40%,重い障害24%,残る36%が社会復帰できるに過ぎず,」(乙15p1)などと報告されており,その予後は極めて悪いことが認識されていた。
(エ) 他方,手術をした場合の予後については,開頭手術についてであるが,下記のとおり,多くの論文で低い死亡率と低い障害発生率が報告されていることから,未破裂脳動脈瘤については,患者のインフォームドコンセントを前提にし,年齢,手術による神経症状出現の可能性が少ない,重篤な全身合併症がない等の条件の下,手術を積極的に施行することが本件手術当時一般的に勧められていた。
a 「未破裂脳動脈瘤は,脳動脈瘤のHunt&Hessの重症度分類(1974)ではGrade0であり,手術成績は良好で,一般的には手術治療が勧められている。・・われわれの未破裂脳動脈瘤の治療成績を見ても,脳梗塞に合併した例を除けば,無症候性動脈瘤の手術死亡0.9%,障害率3.5%となり,手術結果は良好である。」(甲3p880)
b 「未破裂脳動脈瘤の手術危険率については,ほとんどの論文で低い死亡率と低い神経機能障害出現率が報告されている。」(乙13p9)
c 「(32例での開頭クリッピング手術につき)手術死亡率は0%,罹病率は・・嗅覚減退の1例(3.8%)であった。」(乙14p22)
d 「未破裂で検出された脳動脈瘤の手術予後は極めて良く,1%以下の死亡にとどまるとされている」(乙15p1)
e 「15ミリ以下の動脈瘤で,後遺障害も重度障害のみ,スクリーニングまたはこれに準じた方法で見つけたもののみにして集計したのが表17であり,この条件下では死亡0%,障害4%であり極めて良好であった。」(乙15p37)
ただし,脳動脈瘤の存在する部位により一般に手術が困難とされるものもあり,より詳細な部位別の手術予後については将来的に検討を加えるべき課題であるとの指摘も存在する(乙15p45)。
他方,「脳ドックにて発見された未破裂脳動脈瘤がすべて治療の対象とされている訳ではなく,患者の年齢,合併症を考慮して,高血圧のコントロールなどで保存的に観察されている例も少なくない。」(甲3p881),「患者の高齢化に伴う手術合併症は決して少なくない可能性を考慮して,安直な手術適応は厳に戒めるべき」(甲4p80)などといった,未破裂脳動脈瘤に対する手術施行についての慎重論も存在していた。
ウ 本件手術当時のIDCコイル塞栓術の地位及び手術適応
(ア) IDCコイルは,平成6年9月12日に厚生大臣の承認を受けており(争いがない),本件手術時には既に多数の実施成功例が報告されており,開頭手術と比較して低侵襲な手術方法として考えられていた(乙16ないし18)。
(イ) しかし,他方,未破裂脳動脈瘤に対するコイル塞栓術施行例において,コイルが動脈瘤外に逸脱する例,神経症状が悪化した例,合併症等から死亡する例も報告されており,合併症として,術中の脳動脈瘤破裂,コイルの末梢への流出,親血管性の閉塞などが指摘されていた。合併症発生率については,「5%前後」とするもの(甲3p882),「12例中2例に軽度障害(Moderately disabled),死亡例は0例」(乙16p130)などと,概ね良好な手術成績が報告されていた。ただし,コイル塞栓術は,当時比較的新しい手術方法であったため,長期の経過観察例が少なくいため,さらなるfollow−upが必要だとされており,「発展途上の治療法」(甲3p883)であるとする論文も存在していた。
(ウ) コイル塞栓術の適応については,本件手術当時から,「動脈瘤茎部の大きいいわゆるwide neckの動脈瘤は塞栓物質が血管外に逸脱する危険があるため適応外とされる。」などと報告され(甲7のp47),さらに,動脈瘤茎部の大きさが広い事例においてコイル塞栓術を試みたがコイルが動脈瘤の外に逸脱し親血管内に脱出したため治療を断念した事例が文献で紹介されている(乙17のp98,乙18のp60,p64)など,動脈瘤茎部が大きいwide neckの事例においては,コイル塞栓術の適用がないとされていた。
(エ) GDCコイルは,現在,IDCコイルに比べて安全性が高いとして,脳動脈瘤の血管内手術に広く利用されているものであるが(乙57など),本件手術当時,GDCコイルは,国内での使用許可を受けるための臨床治験段階であり被告病院で使用することは不可能であったこと,及び,厚生省からの許可が下りる時期が不明であったことから,GDCコイルを選択することは不可能であった(乙24ないし31,鑑定書)。
エ Dの脳動脈瘤の形状等
平成8年2月28日のコイル塞栓術施行時に実施された脳血管撮影の結果によれば,Dの脳動脈瘤の最大径7.9mmであった。ネックの大きさは約3.4mm(甲131)であり,やや大きめであり,脳動脈瘤を完全に塞栓できるかどうか判断に困難を要する(F医師証言)大きさであったものの,上記ウのコイル塞栓術の適用外とされるいわゆるwide neckには該当しなかった。(甲131,鑑定書)
また,Dは,手術前から高血圧症との診断を受けていた。(乙3など)
(2) 上記認定事実によれば,本件手術当時,未破裂脳動脈瘤の破裂率については,年間約2%程度と報告されており,破裂した場合,その約半数の者が死亡し,重度障害が残る割合も20%程度に達することが報告されている一方,開頭手術を施行した事例について極めて低い死亡率と障害発生率が報告されていることから,未破裂脳動脈瘤については,患者のインフォームドコンセントを前提にし,年齢,全身合併症の有無,神経症状出現の可能性,脳動脈瘤の存在する部位等を考慮した上で,積極的に手術を施行することが一般的に勧められていたことがいえる。そして,本件においてDは,本件手術当時61歳であり余命が約20年あることから,本件手術を受けなかったとしてもその間に脳動脈瘤が破裂する割合が約40%あるものと予想され,さらに,動脈瘤の大きさが約8mmと比較的大きいこと及び高血圧症であったことから,通常の場合よりも破裂の可能性が高いと予想することが可能であったといえる。そうであるとすると,Dの未破裂動脈瘤に対し手術を施行することは,必要性がなかったということはできない。
さらに,IDCコイルを用いたコイル塞栓術については,本件手術当時比較的新しい手術方法であり長期予後について多数の事例の検証によって明らかになっている段階に至っていたとは必ずしもいえないが,その中で,多数の実施成功例が報告されており,開頭手術と比較して低侵襲な手術方法であると一般的に理解されていた。そして,被告病院の医師は,手術前のカンファレンスにおいて,Dの脳動脈瘤が脳の中に埋没するように存在していること等を確認の上,開頭手術はかなり困難であるとの判断をしているが,この判断の合理性を否定すべき事情は存在しない。
また,Dの脳動脈瘤は,ネックがやや大きめであり,コイルにより脳動脈瘤を完全に塞栓できるかどうかの判断をするのが困難なものであったが,コイル塞栓術の特徴として,サイズが不適切と判断される場合等にはコイルを抜去することができるものとされていたのであるから(乙9),本件のようにネックの大きさが適切か否か判断をすることが困難な場合であっても一旦コイルの挿入を試みることが禁じられているということはできない。さらに,本件手術当時GDCコイルを選択することは不可能であった。
以上の事実に照らすと,Dの脳動脈瘤に対する手術方法として,IDCコイルを用いたコイル塞栓術を選択したことに不適切な点は認められない。
なお,原告らは,本件手術当時,被告病院の医師がコイル塞栓術についての熟達した技術を有していなかったとの主張をするが,このような事実を認めるに足る証拠は存在しない。
以上より,本件においてコイル塞栓術を選択したことにつき被告病院の医師の過失を認めることはできない。
2 争点(2)(手術手技の過失)について
(1) 前記争いのない事実等と証拠(甲5,18ないし20,48,58ないし61,63,128ないし136,乙4,7,20ないし23,32ないし35,37,証人F,証人E)を総合すれば,本件手術の経緯について以下のとおりと認められる。
ア 平成8年2月28日,午前10時50分ころ,Dは血管撮影室に搬入された。
同日午前11時5分ころ,本件手術の術者であるF医師は,Dの右大腿部より穿刺し,ガイディングカテーテルを左総頸動脈内に進めた。ガイディングカテーテルの内部を通した径約1mmのトラッカーカテーテルの先端を内頸動脈を通して脳動脈瘤内に進め,その先端から造影剤を注入し,X線血管造影を行い,その写真から瘤の大きさやネックの大きさを測定した。その結果,Dの脳動脈瘤は,最大径7.9mm,ネックの大きさ約3.4mmであった。
イ 同日午前11時50分ころ,F医師は,トラッカーカテーテルの内部を通して,径約0.04mm,瘤内で輪を描いたときの径6mm,長さ20cm,プラチナ製のIDCコイルを脳動脈瘤内に挿入した。コイルの約半分の約10cmを瘤内に挿入し(この時点では,未だIDCコイルとデリバリーワイヤーとは接合部で接合していた。),コイルが瘤内で輪を描いている状態のまま,同日正午ころ,再度X線血管造影を行った。この血管撮影の結果,コイルは一部瘤外に逸脱していることが判明した。
F医師は,被告病院の他の医師とも相談の上,コイルが一部瘤外に逸脱しておりコイル塞栓術を継続すると脳動脈を塞栓する危険性があったことから,同日正午ころ,コイル塞栓術を中止し,コイルを回収することを決定した。
ウ 上記決定後,F医師は,X線透視下にコイル(コイルと接合部で接合しているデリバリーワイヤー)を引き戻してコイルを回収する作業を開始した。当初は,通常の感覚でコイルを引き戻すことができたが,その後コイルが正常の円弧の中に小さく輪を描き,コイルを引き戻しても動かなくなった。
その際,通常の張力をかけてデリバリーワイヤーを引き戻しても全く抵抗なくデリバリーワイヤーを引き戻すことができたにもかかわらず,瘤内のコイルはX線透視下において動かなかった。
この状況下,F医師は,コイルとデリバリーワイヤーとの接合部がトラッカーカテーテル内で離脱しているもの(early detachment)と考え,離脱部分の位置を確認するため,X線透視下で観察した。その結果,コイルとデリバリーワイヤーとの接合部は既に離脱しており,さらに,コイルは,左総頸動脈から胸部大動脈内にかけてほどけ現象(unraveling)が生じており,より脳動脈瘤に近い内頸動脈付近ではほどけ現象が生じていないことが判明した。F医師は,とりあえずコイルから離脱しているデリバリーワイヤーを引き戻して回収した。
エ F医師は,リトリーバーによりコイルのほどけ現象が生じていない部分を掴むことによりコイルを回収することとし,業者にリトリーバーを持参することを指示し,同日午後0時25分ころ,血栓予防のためヘパリン2000単位を注射した。
なお,被告病院は,本件手術中及びその後,血栓予防剤ヘパリン及び血栓溶解剤ウロキナーゼを下記のとおり投与した。
@ 午前11時40分 ヘパリン3000単位静脈内注入
A 午後0時25分 ヘパリン2000単位静脈内注入
B 午後0時50分 ヘパリン1000単位静脈内注入
C 午後0時55分 ウロキナーゼ6万単位左内頸動脈内注入
D 午後1時25分 ヘパリン1000単位静脈内注入
E 午後1時55分 ヘパリン1000単位静脈内注入
F 午後2時25分 ヘパリン1000単位静脈内注入
G 午後2時45分 ウロキナーゼ6万単位左内頸動脈内注入
H 午後2時55分 ヘパリン1000単位静脈内注入
I 午後3時30分 ヘパリン1000単位静脈内注入
上記に加え,被告病院は,本件手術中,ガイディングカテーテルとトラッカーカテーテルとの間,トラッカーカテーテルとデリバリーワイヤーとの間にヘパリン加生理食塩水を注入していた。
オ 上記エのとおりリトリーバーの持参を指示した後,15分程度でリトリーバーが届いたため,F医師は,リトリーバーの輪の部分をコイルが内側に入っているトラッカーカテーテルにかけてトラッカーカテーテル上を滑らせ(モノレール方式),トラッカーカテーテルの先端から脳動脈瘤内に達しているコイル上を進め,内頸動脈部分のコイルを掴み,コイルの回収を試みた。しかし,動脈瘤内のコイルは全く動かず,動脈瘤より手前の部分のコイルが簡単に伸びてしまい,左総頸動脈付近でコイルが切断されたため,切断されたコイルとトラッカーカテーテルを回収した(1回目の回収作業。リトリーバーによる回収の仕組みについては,別図3のとおり。乙32)。
カ F医師は,午後0時45分ころ,残存したコイルの状態を観察するため頭部X線撮影を行い,脳動脈瘤に近い内頸動脈部分のコイルは未だほどけていないと判断したことから,再度リトリーバーをガイディングカテーテル内へ進め,左総頸動脈付近のコイルの先端をリトリーバーの輪の中に通し,さらにリトリーバーを脳動脈瘤にできるだけ近い部分まで進めてコイルを掴むことを試みたが,コイルを掴むことも困難であり,掴んで引き戻しても瘤内のコイルに変化はなく,動脈瘤より手前の部分のコイルが伸びて切断されることが何回か繰り返された(2回目の回収作業)。
午後0時50分ころ,Dの意識レベルが低下し,名前を呼ぶのに対する反応が鈍くなり,瞳孔反射や右握力が低下したことが認められた(症状の悪化)。F医師らは,血管内に造影剤を入れて確認したところ,左中大脳動脈の血流が落ちていることを確認したため,血栓予防剤ヘパリン1000単位及び血栓溶解剤ウロキナーゼを6万単位投与し(上記エのB,C),酸素マスクを装着した。
キ 上記2回目の回収作業が終了した後,午後1時15分ころ,F医師は,リトリーバーでコイルを完全に回収することはできない可能性があると判断し,脳神経外科の医師に対し開頭手術をしてコイルを回収することを検討するよう要請し,それに対し,E医師ら脳神経外科の医師は開頭手術を決定した。ただし,開頭手術を行うべき手術室には午後4時ころにならないと入室できないと報告された。
F医師は,上記のとおり手術室入室が午後4時ころであることを聞いたが,Dの左中大脳動脈の血流が落ちていることが予測されたことから早期にコイルを回収する必要があると考え,それから逆算して午後3時ころまでコイルの回収作業を継続することとした。そして,午後2時50分ころまでリトリーバーでコイルの回収を試みたが,コイルを掴むことはできず回収できなかった。このころ,Dは医師の呼びかけに対しハイハイと返事することができたが,やや呂律が回らない状況であった。
血管撮影室を退出する直前である午後3時19分ころ,F医師らは,血管X線撮影を行い,左中大脳動脈の血流が落ちてはいるが保たれていることを確認した。
ク 午後4時ころ,Dは手術室へ入室し,E医師らが担当医としてDの開頭手術を開始した。全身麻酔後,開頭し脳動脈瘤を露出するのに長時間を要した。脳動脈瘤を露出すると,脳動脈瘤頚部にとぐろを巻いたコイルが,内頸動脈内には直線状のコイルがそれぞれ血管壁を通し透けて見ることができた。動脈瘤頚部のコイルは内頸動脈側に落ち込み,中大脳動脈の拍動が低下しているように見られた。頚部内頸動脈を閉塞し,午後9時25分ころ,脳動脈瘤周辺の血管にテンポラリークリップをかけ遮断し,出血しない状態で脳動脈瘤体部を切開しとぐろを巻いたコイルをピンセットでつまみ外へ引き出す作業を開始した。その後,遮断していた血管のテンポラリークリップを少しずつ開放し,微量の出血を起こした状況で少しずつコイルを引き出すという作業を行った結果,脳動脈瘤頚部に存在したとぐろを巻いたコイルと内頸動脈内に存在した約11.5cmの直線状のコイルを引き出すことができた。しかし,血流遮断後約20分経ったころ,コイルが何かに引っかかるような感触を感じ,そのまま無理に引き出すと内頸動脈を切り裂いてしまうおそれがあったこと,血流遮断時間が20分に達し,脳に悪影響を及ぼすおそれがあったことから,コイルを引き出すことを断念してコイルを切断し,内頸動脈及びさらに深部にある直線状のコイルは体内に残したままとした。そして,2個のクリップを脳動脈瘤頚部にかけ脳動脈瘤への血流を遮断し,脳動脈瘤周辺の血管のテンポラリークリップを外し,内頸動脈の血流を回復させた。血流遮断時間は21分間であった。
ケ 開頭手術後,Dは意識を回復することはなく,脳梗塞を起こし,平成8年3月13日死亡した。
(2) 以上に認定した事実を前提に,本件手術手技に関して,被告医師らに過失が存在するか否かについて判断する。
ア 本件手術前の血管造影検査について
前記認定事実によれば,被告病院の医師は,本件手術前,紹介病院である堀ノ内病院のCT撮影の結果を見た上で,平成7年12月18日に造影3次元CT撮影を,平成8年1月19日に脳血管造影を,同年2月14日に脳血流シンチグラムを実施し,さらに,本件手術時には,コイル挿入前に脳血管造影を実施し,Dの脳動脈瘤の体部及び頚部の大きさを測定していることがいえるから,コイル留置前に脳血管造影検査を実施しなかったことが過失であるとする原告らの主張は認められない。
また,原告らは,動脈瘤のネックが大きいことを仮に知っていた場合,それを知りつつ本件手術をしたことが過失であると主張するが,Dの脳動脈瘤がコイル塞栓術の適応がないいわゆるワイドネックではなかったことは前述のとおりであり,さらに,コイルにより脳動脈瘤を完全に塞栓できるかどうか微妙であったDの脳動脈瘤について本件手術を試みることが過失とはいえないことも前述のとおりであるから,原告らの主張は認められない。
イ 血栓化防止策について
前記認定事実のとおり,被告病院の医師は,コイルを留置する前である午前11時40分から留置作業中及びコイル回収作業中にわたり,血栓予防剤ヘパリン及び血栓溶解剤ウロキナーゼを投与するとともに,本件手術中,ガイディングカテーテルとトラッカーカテーテルとの間,トラッカーカテーテルとデリバリーワイヤーとの間にヘパリン加生理食塩水を注入していたこと,この血栓予防剤ないし血栓溶解剤の投与量,投与時期等に不適切な点があったことを示す証拠は存在しないこと,現実に本件手術中に血栓化が生じていたことを認めるに足る証拠は存在しないことから,被告病院の医師に血栓化防止策をとらなかった過失があるとする原告らの主張は認められない。
ウ コイル回収時のほどけ現象の発生について
証拠(乙9,鑑定人Hの鑑定の結果,証人F)によれば,本件手術で使用されたIDCコイルは極めて細いプラチナワイヤーをコイル状に巻いたものをさらに一定の径に巻いたものであり,柔軟である反面,コイル操作時に過大な圧をかけるとコイルが伸びるほどけ現象が生じるおそれがあること,リトリーバーでコイルを回収するに際し,コイルのほどけ現象を生じた部分をリトリーバーで掴んでもコイルを回収することは不可能であるから,ほどけ現象が生じていない部分を掴む必要があることが認められることから,コイル塞栓術を実施する医師は,一般的にコイル操作時にはコイルに過大な圧をかけることによるほどけ現象を生じさせないよう注意し,さらに,ほどけ現象の部分が長くならないよう注意すべきということができる。
確かに,前記認定事実によると,本件において,F医師は,X線透視下でデリバリーワイヤーを引き戻してコイルを回収する作業を行ったところ,瘤内のコイルは動かず,その結果,コイルとデリバリーワイヤーとの接合部は離脱し,コイルは左総頸動脈から胸部大動脈内にかけてほどけ現象を生じていたものであるが,他方,F医師は,全く抵抗なくデリバリーワイヤーを引き戻すことができたと述べており,同供述に特段の不審な点もみられない。ほどけ現象の生じた理由は不明といわざるを得ず,少なくとも本件証拠上,F医師が過大な圧をかけたり,あるいは,コイルの操作ミスをすることによりコイルのほどけ現象が生じたといった事実を認めるに足りる証拠は存在しない。したがって,ほどけ現象の発生についてF医師の過失を認めることはできない。
また,原告らは,F医師がほどけ現象の発生を見過ごして,コイル回収不可能な程度までほどけ現象の部分を長く伸ばすこととなったことを過失として主張するが,F医師は,デリバリーワイヤーを引き戻す作業を実施する際,X線撮影により瘤内のコイルの状態を目視しており,デリバリーワイヤーが抵抗なく引き戻せたにもかかわらず瘤内のコイルが引き戻せていないことを認識して直ちにデリバリーワイヤーを引き戻すことを中止し,ほどけ現象が起きているのを確認後,リトリーバーでの回収を開始していることから,ほどけ現象の発生の見落としがあったとはいえない。さらに,現実にはほどけ現象は内頸動脈内の部分には生じておらず,ほどけ現象の部分が長くなったということもできない。よって,原告らの主張を認めることはできない。
エ 1回目のコイル回収作業の失敗について
前記認定事実のとおり,F医師は,モノレール方式によりリトリーバーの輪の部分をトラッカーカテーテル上及びコイル上を脳動脈瘤にできるだけ近い方向に進め,内頸動脈部分のコイルを掴みコイルの回収を試みたものである(1回目の回収作業)。
この1回目の回収作業について,原告らは,コイルのほどけ現象の生じている部分を掴んだと主張するのに対し,被告は,ほどけ現象の生じていない部分を掴んだと主張する。この点,F医師は,X線透視下でほどけ現象が生じていない部分が生じている部分よりも太く写っていることを確認しつつ回収作業を実施していたこと,及び,掴んだときの感覚としてコイルに力が伝わっているという感触が感じられたことを根拠にして,1回目の回収作業においてはほどけ現象が生じていない部分を掴んだと認識した旨証言しており,この証言の信用性を覆すに足りる証拠は存在しない。本件の証拠の上からは,F医師がほどけ現象の生じている部分を掴んだということを認定することはできない。
したがって,1回目の回収作業についてF医師の過失を認めることはできない。
オ 開頭手術を実施すべきであった時期等について
前記認定事実のとおり,Dは,2回目の回収作業後である午後0時50分ころから意識レベルが低下し,呼名に対する反応が鈍り,右握力が低下するなど,左中大脳動脈の血流障害が生じていたものと認められるが,鑑定人Hの鑑定の結果によれば,午後2時30分ころまでの間にコイル回収に成功していれば,脳梗塞による何らかの症状を呈したとしても,Dの死亡の結果は発生しなかったものと考えることができる。
(ア) そこで,本件において,原告らが主張するように,2回目の回収作業 を終了し,上記のような血流障害の症状が現れた午後0時50分の段階で直ちに開頭手術に移行し,午後2時30分ころまでの間にコイル回収をすることが可能であったかを検討する。
証拠(甲5,58,59,鑑定人Hの鑑定の結果)によれば,本件の開頭手術では,午後4時5分ころから全身麻酔を実施し,午後5時15分ころ執刀開始した後,午後9時25分から午後9時45分にかけてコイルの部分摘出と動脈瘤クリッピングを受けているのであり,全身麻酔開始からコイル摘出まで5時間40分を要しているものであるから,仮に午後0時50分に開頭手術のための全身麻酔を開始したとしても,コイル摘出に至るのは午後6時30分ころとなることが予測され,午後2時30分ころまでの間にコイル回収をすることは到底不可能であった。したがって,仮に午後0時50分ころに直ちに開頭手術に移行したとしても,Dの死亡の結果を避けられたということはできない。
(イ) さらに,前記認定事実のとおり,F医師は,2回目の回収作業後,午後1時15分ころ,脳神経外科の医師に対し開頭手術をしてコイルを回収することを検討するよう要請しているのであり,開頭手術を実施する決断が遅れたということはない。
ただし,手術室が確保されていなかったため,実際に開頭手術が開始されたのが午後4時ころとなっている。
原告らは,手術室を確保していなかった点を過失として主張する。確かに,証拠(鑑定人Hの鑑定の結果,乙32)によれば,コイル塞栓術により脳梗塞を引き起こす可能性や脳動脈瘤の破裂による脳内出血の可能性等があり,そのような場合は緊急で開頭手術を実施せざるを得ないこともあるということが認識されていたことが認められ,そうだとすれば,このような合併症による危険性を最小限に抑えるためには早期に緊急開頭手術を行う必要があるから,コイル塞栓術実施時には手術室を確保しておくことが望ましいとも思われる。しかし,コイル塞栓術における上記のような合併症の発生率は約5%程度に過ぎず,開頭手術に移行せざるを得ない場合というのは極めて稀な事態であるといえ,その事態の発生に備えてコイル塞栓術を施行する全事例において手術室を確保しておくことを病院側に求めることは,多数の患者を抱える病院の施設運営,コスト等の観点から無理を強いることとなるおそれがある。さらに,本件手術当時に他の病院等において手術室の確保を一般的に行っていると認めるに足りる証拠もなく,さらに,証人Fの証言によれば,F自身が米国で見聞したコイル塞栓術の事例において,手術室を確保して実施している例はほとんどなく,緊急事態が生じた際に病院内で遣り繰りしている例が多かったことが認められることをも併せ考慮すると,本件手術施行時に手術室を確保していなかったことを被告病院の医師の過失と認めることはできない。
カ リトリーバーでの回収作業を継続したこと
原告らは,第1回目の回収作業後はそもそもコイル回収の可能性はなかったにもかかわらず,F医師がその後約2時間に亘り回収作業を継続したことにより,かえって脳梗塞の発生を助長させた点に過失があると主張する。
この点,鑑定人Hの鑑定の結果によれば,1回目のコイル回収失敗後はコイルのほどけ現象が既に長い距離に亘って生じており,リトリーバーによってコイルを回収できる可能性はほとんどなかったことが認められ,それにもかかわらず前記認定のとおり,F医師は,午後2時50分ころまでリトリーバーでの回収を試みたものである。そして,リトリーバーによるコイルの回収作業は,瘤内のコイルを瘤外の血管内に引き出した上でガイディングカテーテルとともに抜去するという作業である(乙11)ことから,回収に成功しなかった場合,残存したコイルが瘤外へ逸脱し,瘤外の血管を閉塞し,脳梗塞の発生を助長するおそれがあることは否定できない。
しかし,1回目のコイル回収失敗後に既に血流障害が生じており,それを放置すれば脳梗塞に至る可能性があり,一刻も早くコイルを回収する必要性があったこと,事後的に観察すれば1回目の回収作業後はコイル回収の可能性はほとんどなかったとはいえ,本件手術当時にそのように断定することは困難であったこと等の事情を考慮すると,少ない可能性にかけてでもコイル回収を試みることが医師として通常の対処方法であったというのが相当である。したがって,F医師が上記のように回収を試みたことを過失として捉えることはできない。
3 争点(3)(説明義務違反)について
(1) 前記争いのない事実等と証拠(甲11,45,46,49,161,乙2,4,6,32,36,証人F,証人E,原告A本人)を総合すれば,本件手術施行に至る被告病院の説明の経過等につき,以下のとおりの事実が認められる。
ア 平成7年12月22日,E医師は,Dらに対し,検査のための脳血管撮影の手技,合併症の危険性について,おおむね「大腿部の血管からカテーテルを入れて,脳血管まではわせ,カテーテルを通じて撮影する。カテーテルという異物が動脈の中をはうわけですから,・・・脳梗塞等に至る危険性がある。」といった説明を行った。Dらは,それを理解の上,平成8年1月19日の脳血管撮影の受診を決めた。
イ 平成8年1月26日の外来受診時,E医師は,Dらに対し,同月19日に実施した脳血管撮影の所見を説明するとともに,開頭手術及びコイル塞栓術の手技及び一般的な合併症の危険性について,おおむね「@未破裂脳動脈瘤を放置した場合年間約2%の確率で破裂し,今後20年で40%の確率で破裂する可能性があるが,60%の確率で破裂しない可能性もあること,A治療の方法としては開頭手術とコイル塞栓術があること,B開頭手術及びコイル塞栓術の手技,C開頭手術では,95%が完治し,5%程度後遺症が残る可能性があること,Dコイル塞栓術では,手術後コイルが患部から逸脱して脳梗塞を起こす場合もある。」といった説明をした。そして,E医師は,Dらに対し,脳動脈瘤をそのまま放置し手術をしない方法,開頭手術をする方法
,コイル塞栓術を行う方法のどれを選択するのがよいかを考えるように指示した。さらに,同年2月23日の外来受診時,E医師は,Dらに対し,所沢明生病院で行ったMRI検査及び同月14日に実施した脳血流シンチグラム検査の結果の説明をするとともに,再度,1月26日の説明と同趣旨の説明をした。
E医師は,上記の説明において,脳神経外科医でありコイル塞栓術の手技に対して分からない面もあることから,コイル塞栓術を勧める方向で説明をすることはなく,DらもE医師があまり勧めていないように受け取っていた。
Dらは,上記説明を聞き,コイル塞栓術では術後脳梗塞を起こすおそれがあり将来的に不安が残ると考え,コイル塞栓術ではなく開頭手術を受けることを希望した。
ウ Dは,開頭手術をすることを決意し,大学の仕事の関係で比較的余裕のある2月後半から3月にかけて手術を行うのが都合がよいと考え,2月23日,開頭手術を希望することをE医師に伝えた。Dは,即日入院手続をとり,同月27日の昼まで外泊許可を得て帰宅したが,E医師から2,3週間で退院できるとの話を聞いていたことから,手術前に身辺の整理等の特別な準備もせず,自分の部屋も普段どおりにし,3月中旬以降の仕事の予定にも特段の配慮をすることなく,通常どおりの予定を入れる等して同月27日に病院へ帰院した。
エ 2月27日,Dが被告病院に戻った後,同日夕方に行われた診察において,E医師は,Dらに対して,前記認定のカンファレンスの経緯等を説明した上,「開頭手術はなるべく避けたいので先にコイル塞栓術を行ってみてはどうか。」,「開頭手術に比して侵襲が低い。」とコイル塞栓術を勧めた。さらに,F医師は,「コイル塞栓術は,血管造影のときと同じ方法で血管内にカテーテルを通して行うものであり,自身被告病院で十数例実施したが全て成功している。」,「うまくいかなかったときは直ちにコイルを回収して,また新たに方法を検討しましょう。」といった説明をした。これに対し,Dは,「従前の説明で術後に脳梗塞を起こすおそれがあると聞いていたが,その危険性はどうなのか。」という質問をしたところ,F医師は,「挿入が難しいようであれば無理はしません。」というように返答した。
また,コイル塞栓術による合併症については,カテーテル,コイルによる血栓形成から梗塞を引き起こす可能性があること,動脈瘤の破裂によるくも膜下出血,脳内出血の可能性があること,2から3%の割合で死に至る可能性があることを説明した。
このような説明は,30分から40分かけて行われ,Dらは,両医師の説明を受け,コイル塞栓術が全て成功していると聞いたことや無理をしないということを聞いたことから,心配はないであろうと考え,F医師の執刀によるコイル塞栓術を翌28日に受けることを承諾し,承諾書に署名押印し被告病院へ提出した。
オ 翌28日,手術予定時間は当初午後1時30分と設定されていたが,コイル塞栓術を実施する手術室が空いたことから,同日午前に手術を行うことになった。手術時間の変更は原告Aらの家族には連絡されていなかったが,原告Aが,午前10時30分ころ早めに病室に着いたため,手術室へ向かう直前にDと会うことができた。その際,Dは,原告Aに対し,「手術が急に早くなったので間に合わないから急いで来なくて良い,終わった時に居ればいいからゆっくり来るようにと電話を入れようとしたが,既に出かけた後だった。」などと話した。Dらは,予定が次々に変更になることから手術に乗り気ではなく,コイル塞栓術が失敗した場合は開頭手術は止めて帰宅することを話した。
(2) 説明義務違反の有無の検討
ア 一般に,治療行為にあたる医師は,緊急を要し時間的余裕がない等の格別の事情がない限り,患者において当該治療行為を受けるかどうかを判断決定する前提として,患者の現症状とその原因,当該治療行為を採用する理由,治療行為の内容,それによる危険性の程度,それを行った場合の改善の見込み,程度,当該治療行為をしない場合の予後等についてできるだけ具体的に説明すべき義務があるというべきである。殊に,本件のように患者の生死に係わる選択を迫る場合には,当該手術による死亡の危険性について当該患者が正確に理解し,当該手術を受けるかどうかをその正確な理解に基づき決定することができるだけの情報を提供する義務を負っているというべきである。
イ そこで,E医師及びF医師によって行われた説明が,説明義務を果たしたといえるものであったかどうかにつき検討する。
(ア) まず,Dは,コイル塞栓術を受けることを承諾しているが,Dらは,上記のとおり,「十数例実施したが全て成功している。」,「うまくいかなかったときは直ちにコイルを回収する。」,「無理はしません。」というF医師の言葉を聞いたことから,心配はないと考えて手術を承諾したものである((1)のエ)。それは,Dらの入院前の行動や手術直前の会話((1)のウ,オ)からも明らかである。これらの言動は,手術中の死の危険性をいささかでも認識している者の言動としては極めて不自然だからである。手術中の死の危険性をいささかでも認識していたとすれば,Dらの手術前の言動は理解し難い。
(イ) この点につき,E医師及びF医師は,上記認定((1)のエ)のとおり,コイル塞栓術の合併症による死亡の危険性について説明しており,その趣旨の説明がなされたことは乙第4号証にも記載がある。しかし,具体的にどのような説明がなされたのかについて,E医師及びF医師の供述には,疑問を抱かざるを得ない点がみられる。
まず,2月27日の時点で,具体的に誰がどのような説明をしたのかについては,E医師とF医師との間で微妙な食い違いがある。E医師は,「致死的となる可能性・・・についてはF医師より説明があったと記憶しています。」,「私もしたと思いますし,現実に執刀するのはF先生なので,後はF先生,まあやる先生にお任せしたというつもりでいました。」と述べている。他方,F医師は,死亡の危険性について説明したのかとの問いに対し,「文献上の死亡率の話を,さらっと触れたと思うんですけど。」,「私はしたと思います。」と答えながら,さらに,「それまでにE先生の方から十分な,おそらく数ヶ月もかけて,この危険性とかの説明はあったと私は理解しているんですね。ですから普通は,未破裂脳動脈瘤についての説明というのは,前日にするというようなものじゃないですね。・・それまでにE先生の方から,そういう詳しい説明はあったと思います。」と述べている。両医師とも,自分以外の医師が詳しく話しているといった,極めて曖昧な言い方をしており,具体的にどこまでの説明がなされたのか疑問が残る。
E医師は,1月26日及び2月23日の説明に際し,コイル塞栓術による合併症による死亡の危険性について,「コイルを入れる段階で,動脈瘤をコイルで破って,その場でくも膜下出血になって亡くなった人もいるし,コイルあるいはカテーテル自身で脳血栓を誘発して,その結果脳梗塞になるという合併症もあり得るという話をしたと思う。」,「開頭術で,いきなりその場で亡くなるとか,術後にいきなり亡くなるということはまずないけれども,コイル術の場合は,脳梗塞の場合もだが,人為的に血管を破ってしまうと,もうその時点で救いようがなくなってしまうので,怖い治療法と思っていた。」,「コイル術については厳しい方向の話をしたと思う。」と述べている。しかし,このような趣旨の説明がなされていたとすれば,Dらが,2月27日の段階で,E医師が術中の安全性が高いと考えていた開頭手術から従来同医師が術中の危険性を強調していたコイル塞栓術の実施への突然の方針変更を,わずか30分から40分の説明で承諾することはなかったのではないかと考えられること,2月27日の説明の際に,Dらは,コイル塞栓術実施後の脳梗塞の危険性については医師に質問しているものの,上記供述にあるようなコイル塞栓術実施中の危険性や死亡の危険性,その対策に関して質問がなされた形跡がないことからすると,E医師が上記のような説明をしたというには疑念が残る。
(ウ) さらに,コイル塞栓術の実施は,2月27日の説明の際には,翌28日の午後1時30分からと予定されたが,その後,手術室が空いたからという理由で28日の午前中に実施することに変更された。しかるに,手術時間の変更は原告Aら家族には連絡もされていなかった。また,コイル塞栓術が成功しなかった場合には当初の予定通り開頭手術を行うこととし,2月29日に予定されていた開頭手術のための手術室はそのまま確保したままとなっていた。
このような対応からすると,被告病院は,コイル塞栓術の術中の危険性についてそれほど強い認識はもっておらず,コイル塞栓術でうまくいかないときは開頭手術を実施すればよいとの認識を有していたことが推認できるところ,このような認識をもちながら,コイル塞栓術の術中の危険性についての説明を十分に行っていたとするには,疑問が生じる。
(エ) 他方,E医師及びF医師は,Dらに対し,コイル塞栓術の実施について,「十数例実施したが全て成功している。」,「うまくいかなかったときは直ちにコイルを回収する。」,「無理はしません。」,「脳血管撮影のときと同じ方法で血管内にカテーテルを通して行うもの。」といった趣旨の説明をしたことは前認定のとおりであるが,これらの説明はいずれもコイル塞栓術の安全性を強調するように受け取られるものである。2月27日の段階では,被告病院がコイル塞栓術の方を進める方針を有していたことからすると,上記のような安全性に力点を置いた説明になった可能性は十分に考えられる。
(オ) このようにみてくると,コイル塞栓術の実施中の危険性や死亡の危険性を2月27日あるいはそれ以前に十分に説明したとするE医師及びF医師の供述は,にわかに措信し難いところがあるといわざるを得ない。本件は,コイル塞栓術の術中の危険性について十分な説明がないまま,Dらがコイル塞栓術の安全性に関する被告病院の説明を信じて,危険性を認識することなく本件手術を受けることを決定し,手術に臨んだと理解するのがもっとも素直な見方であると考える。
ウ 本件においては,被告病院の医師は,本件手術を受けることによりDが死亡に至る危険性を,Dらに対して十分に且つ正確に認識させることができなかったものといわざるを得ず,Dが,本件手術による死亡の危険性について正確に理解し,本件手術を受けるかどうかをその正確な理解に基づき決定し得たと認めるのは困難である。本件の経過に鑑みれば,これは単にDらが安全性を軽信したというものではなく,被告病院の医師が,Dらが危険性を理解できる程度の説明を怠ったことによるといわざるを得ない。この点,被告病院の医師に説明義務を尽くさなかった過失が存在する。
(3) 説明義務違反と死亡の結果との因果関係
前記のとおり,未破裂脳動脈瘤は年間破裂率が約2%程度と考えられており,それを手術しない選択肢もとり得たこと,手術をするにしても,当初予定したとおり開頭手術を選択することもあり得たこと,Dらは,死亡の危険性があるのであれば手術を受けないと考えていたことが窺えることからすれば,仮に被告病院の医師らが説明義務を尽くしていれば,Dが本件手術を受けなかった可能性が高く,仮に本件手術を受けなければ本件手術中の原因不明の事故による死亡の結果も生じなかったことが認められるから,被告は,上記説明義務違反と因果関係を有するD死亡による損害を賠償する責任を負うものといわざるを得ない。
4 損害
(1) 逸失利益
甲第161ないし第163号証及び弁論の全趣旨によれば,Dは,学校法人G大学文学部の教授としての給与等として,年額1206万6850円の収入を得ていたこと,同大学教授の定年が70歳であることが認められ,死亡時の年齢61歳からの就労可能年数9年の逸失利益を,ライプニッツ係数により中間利息を控除し,生活費として3割を控除して算出すると,下記の計算式のとおり,6003万8129円となる
1206万6850円×(1−0.3)×7.1078=6003万8129円(1円未満切り捨て)
原告AはDの妻として,原告B及び原告CはそれぞれDの子として,上記逸失利益の損害賠償請求権を2分の1,4分の1,4分の1の割合で相続し,原告Aが3001万9064円,原告B及び原告Cがそれぞれ1500万9532円の損害賠償請求権を取得した。
(2) 慰謝料
甲第1号証,甲第161号証,原告A本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば,Dと原告Aとは昭和41年に婚姻し,Dの死亡時まで30年の婚姻生活を送り,原告B及び原告Cの二児(死亡当時それぞれ29歳と26歳であり,いずれも未婚であった。)をもうけ,Dは,一家の支柱として,本件手術前に意識障害を起こす以前は正常の生活をし,G大学教授として勤務していたことが認められ,そのDが本件手術後一度も意識を回復しないまま約2週間後に死亡したことにより,原告らが被った精神的苦痛は甚大であるといわざるを得ない。本件に現れた全ての事情を斟酌すると,原告らの被った精神的苦痛を慰謝するための金額としては,原告Aについて1250万円,原告B及び原告Cについて各625万円を認めるのが相当である。
(3) 葬儀費
弁論の全趣旨によれば,原告AがDの葬儀費用を負担した事実を認めることができるが,本件過失と相当因果関係のある損害額としては,120万円を認めるのが相当である。
(4) 説明義務違反に起因する損害
前記認定事実のとおり,未破裂脳動脈瘤の年間破裂率は約2%とされ,Dの余命を考慮すると,本件手術を受けなかったとしてもその間におよそ40%の割合で脳動脈瘤が破裂する可能性があったといえ,さらに,動脈瘤の大きさ,高血圧症であったことから,破裂の可能性がより高いと予想することが可能であったといえる。また,開頭手術によっても約5%の割合で後遺障害を残す可能性があり,死亡する可能性も否定できない状況であったこと,本件の事故が当時の医療水準からして必ずしも原因が明らかではない事故であったことなどを考慮した上で,損害の公平な分担を図るためには,原告らに生じた上記(1)ないし(3)の損害額について,3割を減じることが相当である。
(5) 弁護士費用
弁論の全趣旨によれば,原告らは,原告ら代理人に本件訴訟の遂行を委任し,相当の報酬を支払うことを約した事実を認めることができるが,本件事案の難易,本件における請求額及び認容額等一切の事情を勘案すると,本件過失と相当因果関係がある損害額としては,原告Aについて300万円,原告B及び原告Cについて各150万円を認めるのが相当である。
5 結論
以上より,原告らの請求は,原告Aについて,不法行為に基づく損害賠償として3360万3344円及びこのうち弁護士費用である300万円を控除した内金3060万3344円に対する不法行為日である平成8年2月28日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があり,原告B及び原告Cについて,不法行為に基づく損害賠償として1638万1672円及びこのうち弁護士費用である150万円を控除した内金1488万1672円に対する不法行為日である平成8年2月28日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度でそれぞれ理由があるから,その限度で認容し,その余の請求についてはいずれも理由がないからこれを棄却する。


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