下級審医療判例real estate
東京地判平18.7.20
主 文
1 被告らは,連帯して,原告Aに対し金8206万9667円,原告Bに対し金220万円,原告Cに対し金165万円及びこれらの金員に対する平成10年8月8日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は,これを2分し,その1ずつを原告ら及び被告らの各負担とする。
4 この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
(略)
第3 当裁判所の判断
1 被告らの損害賠償責任
前記前提事実によれば,被告Eは,原告Aについて,本件手術後の6月22日に行った脳血管造影検査により,本件脳動脈瘤の頸部及びドームの一部が残存していることを確認したのであるから,その再破裂の防止のため,速やかに(遅くとも本件手術の2か月後である7月末よりも前に )再度のクリッピン 。グ術を行うべき診療上の注意義務を負っていたものといえる。
しかるに,被告Eが,原告Aについて,8月7日に至っても,再度のクリッピング術を行うことをしなかったことは,前記前提事実のとおりである。被告Eのこの注意義務違反(過失。以下「本件過失」という。)が,その使用者である被告Dの職務の執行についてのものであることも,前記前提事実からして明らかである。
そして,原告Aについて,遅くとも8月7日までに再度のクリッピング術が行われていれば,同月8日の本件脳動脈瘤の再破裂(くも膜下出血の再発)が生ずることはなく,ひいて本件後遺障害が生ずることもなかったことは,前記前提事実のとおりである。
したがって,被告らは,不法行為(被告Dは使用者責任)に基づいて,同月8日の本件脳動脈瘤の再破裂によりくも膜下出血が生じたことによる損害(本件後遺障害による損害を含む。)を賠償すべき責任を負う(なお,被告Dの債務不履行責任については,後記のとおりである。)。
そこで,以下,原告らの主張する損害について検討する。
2 まず,本件後遺障害の内容,程度について検討する。
(1)前記前提事実に証拠(甲A3,B33ないし35,38,51,52,原告B本人,原告C本人のほか,各項に掲げるもの)及び弁論の全趣旨を併せると,以下のとおりであることが認められる。
ア 原告Aは,本件以前は,精神障害はなく,年齢相応の通常の日常生活及び就労生活を送っていた。
本件後遺障害は,8月8日のくも膜下出血による脳損傷(前頭葉損傷)により生じた高次脳機能障害(器質性精神障害)である。
高次脳機能障害とは,一般に,病気や事故などの様々な原因で脳が損傷されたために,言語・思考・記憶・行為・学習・注意など知的な機能に障害が起きることをいう。注意力や集中力の低下,比較的古い記憶は保たれているのに新しいことが覚えられない,感情や行動の抑制が利かなくなるなどの症状が現れ,周囲の状況に合った適切な行動が選べなくなり,生活に支障を来すようになる。いわゆる知能指数等が一定の数値を有していても,日常生活に困難を来すという場合も少なくない。(甲B40ないし45)
なお,原告Aは,平成11年5月,茨城県から,精神保健及び精神障害者福祉に関する法律に基づき,精神障害等級2級( 「精神障害であって,日常生活が著しい制限を受けるか,又は日常生活に著しい制限を加えることを必要とする程度のもの」)の認定を受けた(甲A4。なお,精神障害等級1級は「精神障害であって,日常生活の用を弁ずることを不能ならしめる程度のもの」である。)。
イ 原告Aの現在の日常生活
(ア) 食事については,自力で食べることが可能であるが,おかずをまんべんなく食べることはできず,また,自分がいつ食事をとったかを覚えていないため,放っておくと何度も食べてしまう。
(イ) 更衣や入浴については,独力で行うが,髪を洗わず,下着を着替えないなど,きちんと行っているかどうかの確認及び指示がないと満足に行うことができない。
排泄についても,独力で行うが,尿漏れで下着等が濡れていても交換するということを思いつかないため,その点の注意,指示が必要である。
(ウ) 炊事や洗濯等は自分で行おうとするが,細かい手順について指示をしないと,食材の水洗いや味付けができず,また,腐敗した食べ物でもそのまま食卓に出してしまうなど,炊事等を適切に行うことができない。また,調理の際に使用したガスコンロを消火しなかったり,嗅覚がないこともあって,コンロの管理も不十分で,火を使用する調理を行うときは火事を起こす危険がある。
(エ) 自宅が視界にある範囲では一人で外出することができるが,その
範囲を離れると,帰り道が分からなくなってしまう。行方不明となったことが複数回あり,一度は,原告Cの自宅(神奈川県相模原市)に滞在していた際,勝手に茨城県内の自宅に戻ろうとして小田急線に乗ってしまい(同路線は通常原告A宅と原告C宅を行き来する際に利用する路線の一つである。),同路線の終着駅である新宿駅で発見されて連れ戻されるということもあった。
(オ) 下肢の麻痺のため階段の昇降はできないにもかかわらず,これができないことについて自覚がないため,放っておくと勝手に階段を上ろうとして転倒,負傷することがある。
(カ) 自分又は他人が負傷し,又は急病を患っても,救急車等を呼ぶなど他人に援助を求めるという発想ができず,放置してしまう。
(キ) なお,原告Aは,現在,原告B及び三女と同居する自宅と原告Cの居宅とをほぼ1か月交替で行き来して,原告B及び原告Cの世話になっている。
ウ 原告Aの障害についての医師の意見
別紙のとおり
エ 原告Aの労働能力等の評価(乙B3)
高次脳機能障害がある者の労働能力等については,意思疎通能力(記銘・記憶力,認知力,言語力等),問題解決能力(理解力,判断力等),作業負荷に対する持続力・持久力,社会行動能力(協調性等)の4つの能力のそれぞれの喪失の程度に着目して評価されているところ,原告Aについてみると,意思疎通能力及び問題解決能力については能力の大部分を喪失,作業負荷に対する持続力・持久力及び社会行動能力については能力の全部
を喪失しているものと評価される(甲B34)。
(2) 上記(1)に基づいて本件後遺障害の内容,程度について検討する。
少なくとも,「精神に著しい障害を残し,終身労務に服することができないもの (後遺障害等級3級)に該当するといえる(この点については,被告らも争っていない。)。
問題は,後遺障害等級の3級を超えて2級(「精神に著しい障害を残し,随時介護を要するもの」)又は1級(「精神に著しい障害を残し,常に介護を要するもの」)に該当するか否かであり,1級又は2級と3級との差は,介護を要するか否かである。そこで,以下,原告Aについて,介護を要するか否かについて検討する。
食事,排泄,入浴,更衣等の日常生活の維持に必要な身の回り動作については一応独力で行うことができるのであって,そのような身の回り動作に常時介護を要するとか常時監視を要するものとはいうことができないから「常に介護を要するもの」(1級)には該当しない。
しかし,上記のような日常生活の維持に必要な身の回り動作については一応独力で行うことができるといっても,家族からの指示や確認なしには満足にこれらを行うことができないこと,自宅が視界にある範囲では一人で外出することができるものの,その範囲を離れるときは,一人で外出することはできず,家族の介護を要すること,自己の身体的機能に不十分な点があることについての自覚がないため,本来困難である動作をしようとして転倒するなどのことがあること,負傷しても,他に助けを求めるということがなく,そのまま放置してしまうこと,これらの諸点を総合考慮すると,生命維持に必要な身辺動作について,家族からの随時の声掛けや監視が必要であるといえるから,「随時介護を要するもの」(2級)に該当するということもできる。
3 損害(特記しない限り,原告Aの損害である )。
(1) 診療費
原告Aは,前記のとおり,8月8日に本件脳動脈瘤の再破裂(くも膜下出血の再発)が生じたことによって国立H病院及びI病院で診療を受けたところ,証拠(甲A3,甲C2の1ないし6,3の1ないし5)によれば,国立H病院の診療費として計116万1380円を,I病院の診療費として計22万6400円,後遺障害診断書料として1万0500円をそれぞれ要したことが認められる。
上記の合計139万8280円は,本件過失と相当因果関係のある損害であると認められる。
原告Aは,上記のほかに,被告病院における診療費も損害として挙げている。しかし,この診療費は,本件過失や前記第2の2,(原告らの主張)(1)イのような義務違反の有無とは関係なく,5月30日の本件脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血があったことによって必要となったものであるから,これについて被告らに損害賠償責任はない。なお,原告Aも,一方では,8月8日に本件脳動脈瘤の再破裂(くも膜下出血の再発)が生じたことによる損害の賠償責任を主張している。
(2) 入院雑費
原告Aは,前記のとおり,8月8日に本件脳動脈瘤の再破裂(くも膜下出血の再発)が生じたことによって国立H病院(8月8日から10月14日まで)及びI病院(10月14日から11月14日まで)に合計99日間入院したところ,その入院は本件過失があったことによって必要となったものといえる。
その入院雑費として1日当たり1300円,計12万8700円を本件過失と相当因果関係のある損害と認める。
原告Aは,上記のほかに,被告病院における入院雑費も損害として挙げるが,その主張に理由がないことは上記(1)と同様である。
(3) 入通院慰謝料
原告Aは,前記のとおり,8月8日に本件脳動脈瘤の再破裂(くも膜下出血の再発)が生じたことによって,国立H病院及びI病院に計99日間入院し,また,I病院を11月14日に退院した後,1か月に1回程度の頻度で同病院に通院した(平成11年4月5日の症状固定日までの5か月弱の間に四,五回程度通院した。)ところ,その入通院は本件過失があったことによって必要となったものといえる。
その入通院慰謝料として140万円を本件過失と相当因果関係のある損害と認める。
原告Aは,被告病院における入通院期間も基礎として入通院慰謝料を算出
しているが,その主張に理由がないことは上記(1)と同様である。
(4) 自宅改修費用
原告Aは,前記のとおり,本件後遺障害のため,炊事の際などにガスの火を消し忘れるなどのことがあるところ,証拠(甲C4)及び弁論の全趣旨によれば,そのようなガスの消し忘れ等による火事の危険をなくすために,平成13年12月ころ,台所の加熱手段をガスから電気に付け替え,これに16万8000円を要したことが認められる。
本件後遺障害の内容,程度に照らせば,上記の付け替えは原告Aが自宅での日常生活を営む上で必要不可欠のものと解されるから,その全額を本件過失と相当因果関係のある損害と認める。
(5) 将来の付添費
上記2のとおり,原告Aについては随時介護を要するものともいえるが,その「介護」は,家族からの随時の声掛けや監視といった程度のものであるから,将来の付添費としては,症状固定時(52歳)からの平均余命33年間(平成11年簡易生命表,ライプニッツ係数16.0025)につき,1日当たり5000円として 計2920万4562円をもって相当と認める
(6) 将来の通院費
原告Aの主張する将来(症状固定後)の通院治療の必要性及びその費用については,本件全証拠を検討しても,これを認めるに足りる的確な証拠はない。
(7) 休業損害
前記前提事実に証拠(乙C1の1ないし3)及び弁論の全趣旨を併せると,原告Aは,5月30日に被告病院に入院するまで,被告の設置するFに介護助手として勤務し,その給与として,2月には16万8624円,3月には17万7100円,4月には17万2100円をそれぞれ支給されていたこと,なお,12月20日にFを退職したことが認められる。
原告Aは,休業期間として5月30日から12月20日までの205日間
を主張するが,上記(1)と同様の理由により,本件脳動脈瘤の再破裂が生
じた8月8日夜までの期間は本件の休業損害の期間として算入することができない。
本件の休業損害の期間は,8月9日から12月20日までの134日間と認める。そして,原告Aが勤務先であるFから得ていた収入は1日当たり平均5753円であるから,本件過失と相当因果関係のある休業損害は77万0902円となる。
(8) 逸失利益
上記2のとおりであって,原告Aは,本件後遺障害によって労働能力を100パーセント喪失しているといえる。
しかして,原告Aは,上記のとおり,本件手術前には,Fに介護助手として勤務し,直前の3か月では合計51万7824円(月額平均で17万2608円)の給与収入を得ていたのであり,年間では計207万1296円の給与収入を得ていたと推認される。
そうすると,原告Aの症状固定時(52歳)から67歳に至るまでの就労可能年数は15年(ライプニッツ係数10.3796)であるから,その逸失利益は2149万9223円となる。
これに対し,原告Aは,Fに勤務する前の職場では年391万3513円の給与収入を得ていたとして,転職することにより上記と同程度の収入を得られた蓋然性が高い旨主張するが,本件全証拠を検討しても,上記のような転職の蓋然性を認めるに足りる的確な証拠はないから,上記主張は採用することができない。
(9) 後遺障害慰謝料
前記のような内容,程度の本件後遺障害が残ったことによって原告Aが多大な精神的苦痛を受けたであろうことは容易に推察されるし,原告B及び原告Cも,その妻ないし母である原告Aに重大な障害である本件後遺障害が残り,随時声掛けや監視をしなければならないなど,原告Aが生命を害された場合にも比肩するような精神的苦痛を受けたであろうことが推察される。
前記のような本件後遺障害の内容,程度のほか,本件に顕れた諸般の事情を総合考慮すると,上記精神的苦痛に対する慰謝料は,原告Aにつき2000万円,原告Bにつき200万円,原告Cにつき150万円をもって相当と認める。
(10) 弁護士費用
以上による損害額は,原告Aにつき7456万9667円,原告Bにつき200万円,原告Cにつき150万円となる。
本件過失と相当因果関係のある弁護士費用損害金は,原告Aにつき750万円,原告Bにつき20万円,原告Cにつき15万円と認める。
4 以上によれば,被告らは,不法行為に基づき,連帯して,原告Aに対し8206万9667円,原告Bに対し220万円,原告Cに対し165万円の各損害金及びこれらの金員に対する損害発生時(本件脳動脈瘤が再破裂してくも膜下出血が生じた時)である平成10年8月8日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。
なお,これまでに判示したところによれば,被告Dは,原告Aに対しては,債務不履行に基づく損害賠償責任も負うが,その損害金は上記額を超えるものではない。
また 仮に,前記第2の2(原告らの主張)(1)イの義務違反が認められ,かつ,これと本件脳動脈瘤の再破裂との間に因果関係が認められるとしても,その義務違反による損害金は上記額を超えるものではない。
5 以上の次第で,原告らの本訴請求は,被告らに対し,原告Aが8206万9667円,原告Bが220万円及び同Cが165万円並びにこれらに対する平成10年8月8日から各支払済みまで年5分の割合による金員の連帯支払を求める限度で理由があるから,その限度で認容し,その余は理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担につき民訴法64条本文,61条,65条1項本文を,仮執行の宣言につき同法259条1項をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。
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