下級審医療判例real estate
東京地判平24.10.11
平成24年10月11日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官 伊澤・薫
平成22年(ワ)第46609号 損害賠償請求事件
口頭弁論終結日 平成24年7月25日
判 決
静岡県
原 告 A
同所
原 告 B
静岡県
原 告 C
上記訴訟代理人弁護士 後 藤 栄 一
同 末 石 友 香
東京都
被 告 D
同代表者代表理事 E
訴訟代理人弁護士 小 西 貞 行
主 文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事 実 及 び 理 由
第1 請求
1 被告は,原告Aに対し,265万48500円及びこれに対する平成22年8月31日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告Bに対し,29万9000円及びこれに対する平成22年8月31日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被告は,原告Cに対し,94万9500円及びこれに対する平成22年8月31日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は,原告A(以下「原告A」という。)が,被告の設置運営する病院(以下「本件病院」という。)において右脛骨粗面移動術及び右膝蓋骨内側支帯縫縮術(以下「本件手術」という。)を受けた後,コンパートメント症候群を発症したことについて,原告らが,本件病院の医師らには,コンパートメント症候群に対する緊急手術等の処置を怠った注意義務違反があったとして,債務不履行又は不法行為に基づき損害賠償を求める事案である(なお,後遺障害による損害については,症状が未固定であることから,本件訴訟では,請求の対象とされていない。)。
1 前提事実(当事者間に争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実)
(1) 当事者等
ア 原告Aは,昭和55年8月1日生まれの女性であり,本件手術当時29歳であった。
イ 原告Bは,原告Aの夫であり,原告Cは,原告Bの母である。
ウ 被告は,本件病院を設置運営する公益財団法人であり,F医師(以下「F医師」といい,本件病院において,本件手術後の原告の治療に関わった医師らを総称する場合は「本件病院の医師ら」という。)は,原告Aの主治医であった。
(2) 診療経過等(乙A1の8,29頁)
ア 原告Aは,平成22年3月9日,本件手術を受けるために,本件病院に入院した。
イ 同月10日,F医師執刀により,本件手術が行われ,術後,F医師は,原告Aの右膝をシーネを使用して固定した(以下「本件シーネ固定」という。)。
ウ 原告Aは,その後,右下腿部にコンパートメント症候群を発症し,本件病院において,リハビリ治療を深け,同年8月30日退院した。
2 争点及びこれに対する当事者の主張
(1) コンパートメント症候群の診断義務違反1
(原告らの主張)
ア コンパートメント症候群は,包帯やギブスなどの外固定施行後に続発するとされていること(乙B1)や,原告Aが,手術の翌日の午前6時ころには手術をした側の足についてのみ知覚のないことを訴え,同日午前10時ころには手術とは無関係の右足首の激痛を訴えたことからすると,本件病院の医師らは,平成22年3月11日午前10時ころまでに,コンパートメント症候群の発症を疑うことが容易に可能であった。
イ 上記アからすると,本件病院の医師らは,足趾の血行を指の色調で確認し,爪甲を指で圧迫して色調の戻る時間を健側と比較する,他動的に動かして疼痛の増強があるか確認する,抹消の脈拍を触知して消失または減弱があるか確認するといった診療を行い,コンパートメン卜症候群が疑われたのであれば,内圧測定・MRI検査等を実施し,原因部位を特定し,筋膜切開手術を行うべきであったにもかかわらず,これを怠った。
(被告の主張)
ア 本件病院の医師らが,内圧測定・MRI検査,筋膜切開を行っていないことは認める。
イ 本件手術部位は膝であり,足関節には何ら処置を加えていないこと,術後の患部固定はギブスではなく患部の腫脹を織り込んでシーネによる固定としていること,膝関節手術後のシーネによる固定により,下腿にコンパートメント症候群が生じるといった文献もないことからすると,本件手術翌日に,コンパートメント症候群の発症を疑うことは困難であり,本件病院の医師らが上記アの処置を行っていないとしても,注意義務違反はない。
(2) コンパートメント症候群の診断義務違反2
(原告らの主張)
ア 仮に,(1)の時点でのコンパートメント症候群の診断義務が認められないとしても,本件病院の医師らは,生化学検査の結果でクレアチンキナーゼ値(CK値,基準値18〜145)の異常高値(22321)が判明した後である平成22年3月12日午後4時ころまでに,コンパートメント症候群の発症を疑うことが容易に可能であったのであるから,内圧測定・MRI検査等を実施し,原因部位を特定し,筋膜切開手術を行うべきであったにもかかわらず,これを怠った。
イ なお,被告はコンパートメント症候群の発症を3月11日午前6時ころと主張するが,原告Aが「手術をした方(右)全然感覚ないです。」と訴えたのは,多量の麻酔投与によるためであり,発症時期は原告が右足の激痛を訴えた3月11日午前10時ころである。
(被告の主張)
ア 原告Aが3月11日の午前6時ころに「手術をした方(右)全然感覚ないです。」と訴えていることから,コンパートメント症候群の発症は,遅くとも,このころと考えられるが,同月12日午後4時ころにCK値が判明した時点では発症から24時間が経過しており筋組織や神経組織の変性は不可逆的であり筋膜切開の適応はないことから,筋膜切開を前提とする内圧測定も不要である。またMRI検査では血流などの動的な状態は確認できないことから,コンパートメント症候群の診断に有用であるとはいえない。
イ なお,本件病院の医師らは,3月12日の時点でコンパートメント症候群と診断し,経過観察とともに,ビタミンB12,メチュコバール(末梢神経障害治療薬),デカトロン(ステロイド薬),パルクス(血流改善薬)の投与を行い,理学療法等を開始している。
(3) 結果及び因果関係
(原告らの主張)
原告Aはコンパートメント症候群の発症により,右下腿部の線維性拘縮及び右足首の神経麻痺を生じ,152日間の入院治療,(以下「本件入院治療」という。)を余儀なくされたが,本件病院の医師らが,上記(1)ないしは(2)の時点で,筋膜切開手術を行っていれば,これらの結果は生じなかった。
(被告の主張)
原告Aが症状を訴えた平成22年3月11日午前6時の時点で,コンパートメント症候群は相当程度進行しており,午前10時の回診のころには神経麻痺は完成していた。仮に経過観察・処置に不適切な点があったとしても,本件入院治療の発生は不可避であった。
(4) 損害の発生及び数額
(原告らの主張)
原告Aがコンパートメント症候群を発症し,これに対する適切な治療が行われなかったことから,原告Aは本件入院治療を余儀なくされたが,これにより,原告ら各自に生じた損害は以下のとおりである。なお,アの損害は不法行為と債務不履行が競合するもの,イないしオは,不法行為に基づく損害として請求する。
ア 原告Aの慰謝料(後遺症分を除く) 230万円
後遺症による慰聨料及び逸失利益は別途請求予定であるが,コンパートメント症候群の発症により,原告Aが本件入院治療を余儀なくされたことや,神経麻痺等の症状に苦しむことを余儀なくされたことによる精神的苦痛は上記金額を下らない。
イ 原告Bの付添看護費 9万9000円
原告Bは,33日間の付添看護を行ったがこれによる負担は上記金額を下らない。
ウ 原告Bの休業損害 20万円
原告Bは,付添看護により33日間勤務先を休業し,上記損害を被った。
エ 原告Cの休業損害 94万9500円
原告Cは,原告Aの本件入院治療の間,原告A及び原告Bの幼児を世話するため,勤務先の退職を余儀なくされ,少なくとも5か月間就業することができず謳上記損害を被った。
オ 原告Aの弁護士費用 35万4850円
(被告の主張)
不知ないしは争う。
第3 当裁判所の判断
1 認定事実
(1) 医学的知見
後掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の医学的知見が認められる。
ア コンパートメント症候群(甲B2の3,3,5,6,乙A5,乙B1ないし3,証人F)
(ア)病態
四肢の骨,筋膜,骨膜によって構成されるコンパートメント(筋区画)内の内圧が上昇し,コンパートメント内の動脈の攣縮をきたして動脈血流が減少し,組織の血行障害を招いて筋肉と神経の壊死を生じる病態である。
(イ)発症機序
区画内圧が上昇する機序としては,@区画内の内容量そのものが増大する場合と,A圧迫などにより区画の容量が減少する場合がある。
急性のコンパートメント症候群の原因として,上記@として,骨折,外傷性の筋肉内出血,血管損傷,動脈閉塞後の虚血再灌流障害等が,上記Aとして,ギプス,包帯等の外固定施行後,身体や重量物の下敷き等が文献上指摘されている。
(ウ)臨床症状・確定診断
コンパートメント症候群による臨床症状については,疼痛,知覚異常,運動麻痺,蒼白,動脈拍動消失,腫脹,区画内の筋の他動進展時の疼痛増強が知られている。
確定診断のためには,区画内圧測定を行うが,区画内圧(安静時の内圧は10 mmHg以下とされる。)が30mmHgを超えるとコンパートメント症候群が発生する可能性が高くなるとされる。 MRIのT2強調画像が診断のために有用であったとする症例報告(甲B2の3)もある。
(エ)治療方法・予後
筋肉は,6〜8時間以上阻血が続くと不可逆的変化を生じることから,急性期のコンパートメント症候群については,区画内圧が高い場合(但し,手術適応となる内圧の基準値については文献により相違がある。)は,筋膜切開術による区画内圧の減圧を行う。
阻血から6時間以内に適切な処置を行えば,回復は良好であるが,阻血状態が8時間以上続いた場合(12時間とする文献〔甲B3,乙B1〕もある。)は,神経障害,筋壊死による麻痺と拘縮が生じ予後は不良である。なお,不可逆的虚血性変化を起こした後に筋膜切開を行うと,壊死組織の存在などにより感染を合併する危険性が高くなるとの指摘もある(甲B3,乙B1)。
イ シーネによる固定(甲B5,乙A4,5,証人F)
骨折等の外傷後や外科的手術後の外固定法である。膝を固定する場合,良肢位(股関節屈曲20°程度,膝屈曲30°程度で大腿及び下腿の筋肉伸展及び屈曲が最小限の状態)を保持し,綿包帯(緩衝材としての役割を果たす)を固定する部位(本件では,大腿から下腿の足首上部まで)の全周に巻いた上で,水で濡らしたシーネを綿包帯を巻いた患肢の背側にあてがいながらにさらに外側から包帯を巻き,シーネを患足に固定する。シーネは水に濡らした後10分程度経過後芯材部分の硬化が完成する。本件で使用されたシーネの幅は約9cmであるが,芯材の幅は約5cmである。
(2)診療経過等
証拠(乙A1の29頁,乙A2の11ないし16頁,270頁,乙A5,証人F,原告A)及び弁論の全趣旨によれば,本件診療経過について以下の事実が認められる。
ア 本件手術は,原告Aの右膝の脱臼の治療を目的として,F医師執刀の下,平成22年3月10日午後0時8分から0時55分まで行われた。F医師は,本件手術終了後,手術室において,原告Aの右足大腿から足首にかけて本件シーネ固定を行い,手術部位である右膝を固定した。
本件手術においては,全身麻酔と持続硬膜外麻酔が併用され,術後の疼痛を緩和する目的で,持続硬膜外麻酔については,原告Aが病室に戻った後も点滴投与が継続された。
イ 原告Aは,本件手術後,同日午後1時20分ころには,病室に戻ったが,同35分ころより,右下肢のしびれ,肩の不随意運動を訴え,同50分ころには,手術操作を行っていない左足についてもしびれを訴え,その後,午後2時20分,午後7時,午後9時,午後10時に両下肢ないしは両足底のしびれ,を訴えた。なお,原告Aがしびれを訴えた際も,両足の一知覚異常や疼痛の訴えはなく,両足とも足首の動きが確認できた。
ウ 原告Aは,本件手術の翌日である同月11日午前6時ころ,巡回の看護師に起こされた際に,本件手術で手技操作を加えた右足の感覚が全然ないと訴えた。看護師が確認したところ,右足の知覚鈍麻及びしびれが認められたが,創痛は自制内であった。
エ 病棟勤務医であるG医師は,同日午前10時ころご看護師より,前記ウについて報告を受けた上で,原告Aの診察を行ったが,原告Aの右下肢の動きが悪く,足首に痛み及び足背の腫脹が認められ,足首より先の知覚がなく,右足の挙上及び背屈運動が行えない状態であり(他動的に背屈を行うと膝の痛みがあった),過換気となっていた。
G医師は,原告Aが,膝に対する手術を受けたにもかかわらず,足首の痛みや足首を中心とする知覚障害を訴えていることから,これらの原因を特定する上で,持続硬膜外麻酔による影響を除外するために,同麻酔を中止した。また,同医師は,原告Aから,右足の包帯が締め付けられて痛い旨の訴えがあり,右足の腫張が見られたことから,シーネを固定する包帯の巻き替えを行った(なお,この際シーネが腓骨に触れていないことが確認されている)。そして,原告Aの上記症状及びそれへの対処内容については,F医師に報告された。F医師は,それまで行った約7000例の膝の手術において,下腿部分がコンパートメント症候群を発症した症例はなかったが,上記報告を受けて,原告Aについて,可能性としては,それほど高いものではないものの,コンパートメント症候群の疑いもあると考えた。
オ その後,原告Aに対しては,鎮痛薬として,同日午前10時30分にボルタレンが挿肛され,午前11時10分にペンタジンの点滴投与,午後2時30分にロキソプロフェンの内服,午後4時30分に再びボルタレンの挿肛がされたが,足首から創部にかけての痛みの訴えはこの間継続した。そして,この間,医師による診察は行われなかった。
カ 本件病院の看護師は,午後4時30分過ぎ,本件手術の助手であるH医師に,前記オの状況を報告したが,H医師は,「本件手術による創痛はあると思われるが,メンタル面での影響も大きいのではないか。」と回答し,ロキソプロフェンの定時使用とボルタレン座薬の頓用を指示した。
看護師は,上記H医師の回答を,原告Aに伝えたが,原告Aは痛みによりぐったりしており,痛みの程度については「一番痛い時を10とすると,今は6〜7位」である旨述べた。
キ 原告Aの足首の痛みの訴えはその後も強く,夕食時に鎮痛薬である口キソプロフェン等を服用した30分後も,ナースコールがあり,頻回の痛みを訴えることから,本件病院の看護師は,午後7時45分ころより,木穏時与薬として指示されていたリントン(ハロペリドール)を滴下した。
また,同日午後8時ころには,原告Aより,膝裏にシーネが当たっているとの訴えがあったことから,看護師が,シーネを固定する包帯の巻き直しを行った。
原告Aは,同日午後9時30分ころ入眠した。
ク 原告Aに対しては,翌12日午前中,血液検査が行われたが,その結果,筋肉の破壊等によって産出されるクレアチンキナーゼ(CK)値が,2万2321と異常高値(標準値18〜145)を示していた。F医師は,この血液検査の報告を受け,同日午後4時に原告Aの診察を行い,右の下肢について自動運動が不能であること,腫れがかなりあり,ティネル徴候があること,右腓骨神経反応がないことを確認し,メチュコバール,デカトロン(ステロイド剤),パルクス(血流改善薬)の投与及び低周波治療を開始した。
ケ 原告Aは,同月15日より,本件病院においてリハビリテーションを開始した。痛みのコントロールのために,硬膜外注射,鎮痛剤の内服,ボルタレン座薬の使用を継続しに同年8月30日まで本件病院に入院した。
退院時には,原告Aは,装具使用下で独歩可,右足首関節の背楫は可能であるが,関節の拘縮があることから,筋力強化が必要とされる状態であった。
2 争点に対する判断
(1)コンパートメント症候群の診断義務違反1について
ア 原告らは,原告Aが,本件手術の翌日の午前6時ころには右足の知覚のないことを訴え,同日午前10時ころには右足首の激痛を訴えたことから,本件病院の医師らにおいて,コンパートメント症候群の発症を疑うことが可能であり,必要な検査及び治療を行うべきであったと主張する。
イ これに対し,被告は,本件手術及びその後の本件シーネ固定により原告Aがコンパートメント症候群を発症したことは認めるものの,本件手術が膝に対する手術であり下腿部には何らの侵襲も加えていないこと,手術後の固定は手術部位に生じる術後腫脹を考慮に入れてシーネによる固定を行ったことから,本件手術の翌日である平成22年3月11日午前10時の時点ではコンパートメント症候群の発症は予見できなかったと主張する。そして,膝の手術やシーネによる固定によって下腿にコンパートメント症候群が発症することを指摘する医学文献が存在しないという文献の検索結果を証拠(乙B2)として提出し,また,F医師も,シーネによる固定は圧迫包帯のように患足に圧迫を加えるものではないことや,ギプスによる固定とは異なり,足が腫脹した場合でも圧の逃げ場があることから安全性が高い旨供述し(証人F),シーネによる固定がギプスによる固定よりも安全であることを指摘する文献(甲B5)もある。
ウ しかし,シーネによる固定がギプスによる固定に比べれば,コンパートメント症候群の発症の可能性が低いとしても,前記1(1)イで認定したように,本件では,シーネを患足に固定する際に包帯を用いることから,シーネ固定部位の圧迫が生じ得るものであるところ,文献上(甲B3,乙B1)もコンパートメント症候群の発症原因として包帯による外固定が挙げられていることや,コンパートメント症候群が包帯などの圧迫による筋肉の浮腫等でも発疱することがあり,本件でもコンパートメント症候群発症の可能柾を予測することができたと思われるとの整形外科医の指摘もあること(甲B7),そして,F医師自身,可能性としては,それほど高いものではないとはしつつも,原告Aの症状の原因が,コンパートメント症候群である可能性を当時疑っていたと供述していることからすると,本件手術後の固定が,シーネによる固定であるからといって,コンパートメント症候群を発症することについての予見可能性がなかったとはいえない。
エ そして,前記1(2)ウ及びエで認定した本件の診療経過によれば,平成22年3月11日午前6時の時点で,原告Aは,右足の感覚が全然ない旨訴え,看護師によって知覚鈍麻及びしびれが観察され,この点について報告を受けたG医師が,同日午前10時ころに診察を行った際には,原告Aの右下肢の動きが悪く,足首の痛み,足背の腫脹が認められ,足首より先の知覚消失,右足の挙上及び背屈運動が行えない状態であったところ,これらはコンパートメン卜症候群において典型的とされる臨床症状(前記1(1)ア(ウ))と整合するものである上,原告Aから,右足の包帯が締め付けられて痛い旨の訴えがあり,腫張が見られたことからG医師がシーネを固定する包帯の巻き直しを行っていることからすると,同日10時ころには,同医師を含む本件病院の医師らには,本件手術後の右足腫張及び本件シーネ固定の際に巻いた包帯による圧迫によって,原告Aが,右下腿にコンパートメント症候群を発症していたことが,認識可能であったと考えられる。
オ 被告は,上記時点でのコンパートメント症候群の診断が困難であった根拠として,前記イで検討した本件がシーネ固定であったという点の他,@原告Aが訴えた痛みについてはメンタル面での影響も考えられたこと,A知覚消失や運動麻痺については,硬膜外麻酔による影響が考えられたことを挙げる。
しかし,本件手術後に原告Aが病室に戻った後に,麻酔の影響のないはずの肩について不随意運動を訴えたという事情があるにせよ(前記1(2)イ),原告Aが通常の患者に比して痛みを感じやすいといえるような事情は認められず,また,メンタル面での影響があるとしても,手術直後の方がより大きいこと(証人F)からすると,3月11日午前10時ころより見られた原告Aの右足の痛みについてメンタル面での影響によるものと考えることに合理性があるとはいえない。
また,上記Aについてみれば,3月10日の夕方から夜にかけて原告Aに見られた両下肢ないしは両足底のしびれの原因については硬膜外麻酔による影響であると考え得るにせよ,3月11日午前6時の時点の知覚消失やその後に見られた運動麻痺は,前日に見られたしびれとは異なるものであり,また部位も前日は両足であるのに対し,3月11日は,右足のみに見られたことからすると,硬膜外麻酔の影響が前日から継続していると解することが必ずしも合理的であるとはいえない。さらに,本件で使用されていた硬膜外麻酔は,麻酔の効果が無くなるまで6〜7時間を要する(証人F)ところ,仮に,コンパートメント症候群であるとした場合には,早期(6時間以内)の処置を行わなければ阻血による組織壊死が生じ,予後が不良となること(前記1(1)ア(エ)からすると,硬膜外麻酔による影響を疑ったとしても,コンパートメント症候群の発症も疑われる以上,これを念頭に置いた検査・処置も行うべきであった。なお,F医師は,硬膜外麻酔を中止した後,6〜7時間が経たなくても疼痛や知覚異常に変化があれば,コンパートメント症候群を念頭においた処置を開始する予定であった旨の供述をするが(証人F),本件病院め医師らは,同日午前10時30分以降,看護師に対して,鎮痛薬の投与等を指示した他は,医師による診察は行っておらず(前記1(2)オ),経過観察としても不十分であったというべきである。
カ 以上からすると,本件病院の医師らは,平成22年3月11日午前10時過ぎの時点において,原告Aについてコンパートメント症候群の発症を疑い,シーネを固定する包帯の巻き直しによっては改善が見られないことが確認された時点で,確定診断をするため,区画内圧の測定を行うか,同測定は,18ゲージの太い針を4ヵ所の筋肉に刺して行うため,原告Aに一層の肉体的苦痛を与えてしまうことを考慮する(F医師)としても,少なくとも,MRI検査を行い(F医師は,尋問において,MRI画像よりも臨床症状を重視する立場を表明しているが,そうであれば,最低限,自らあるいは他の医師において,原告Aの臨床症状について慎重な経過観察を行い),コンパートメント症候群の疑いが強まった時点で,すみやかに内圧測定を行うべき義務があったというべきであり,本件病院の医師らには,これを怠った点に注意義務違反が認められる。
(2)因果関係について
ア 被告は,平成22年3月11日午前6時の時点で,原告Aのコンパートメント症候群は相当程度進行しており,午前10時ころには神経麻痺は完成しており,コンパートメント症候群による右下腿部の線維性拘縮及び右足首の神経麻痺等の発生は不可避であったと主張する。
イ そして,原告Aのコンパートメント症候群の発症時期について,F医師は,同月10日の午後10時の時点では,足の指の動きがあったことからも,同日午後10時前後かち翌11日午前6時前後までの間であると推測する(証人F)。
前記1(2)ウで認定したように,原告Aには,11日午前6時ころに巡回の看護師に起こされた際に,右足の感覚が全然ない旨訴え,知覚鈍麻及びしびれが観察されているところ,コンパートメント症候群の臨床症状として,知覚異常,運動麻痺が挙げられていること(前記1(1)ア(ウ))からすると,原告Aのコンパートメント症候群は,11日午前6時以前にすでに発症していたと考えられる。そして,同月10日午後10時の時点では,原告Aの右足に知覚異常や運動麻痺等が認められていないことや,同日後10時から翌11日午前6時までの間について,コンパートメント症候群の発症時期を特定するに足りる事情は証拠上認めれないことからすると,本件における,原告Aのコンパートメント症候群の発症時期は,F医師が供述するように,3月10日午後10時前後から翌11日午前6時前後までの間と認定できる。
ウ 以上を前提に,本件病院の医師らの注意義務違反がなかったとした場合に,原告Aに線維性拘縮及び右足首の神経麻痺等の症状が生じることがなく,原告Aが本件入院治療を受けることはなかったかを検討する。
(ア) 前述したとおり,本件病院の医師らは,平成22年3月11日午前10時過ぎの時点において,原告Aについてコンパートメント症候群の発症を疑い,シーネを固定する包帯の巻き直しによっては改善が見られないことが確認された時点で区画内圧の測定等の措置をとるべきであったが,仮に本件病院の医師らが,同日午前10時過ぎから間もない時期に区画内圧の測定の準備(原告Aに対する状況の説明と検査方法等の説明を含む。)に入り,その測定結果を踏まえて,主治医であるF医師を交えてコンパートメント症候群の確定診断を行い,手術の手配をして,筋膜切開等の処置を行ったとしても(同処置がされたであろう時刻は証拠上認定できないが,早くとも午前11時ないし午後0時ころにはなったと考えられる。なお,内圧測定以前にMRI検査を行ったり,慎重な経過観察をすることを選択した場合は、上記処置の時期はさらに遅くなる。),前記イで認定した,原告Aのコンパートメント症候群の発症時期からすると,5,6時間ないし13,4時間が経過していたこととなる。
(イ) そして,コンパートメント症候群については,阻血から6時間以内に処置を行えば,回復は良好であるが,阻血状態が8ないし12時間以上続いた場合は,神経障害,筋壊死による麻痺と拘縮が生じ予後は不良とされているところ(前記1(1)ア(エ),なお,甲B1は予後不良となるまでの時間について24時間とするが,同文献は平成4年の発刊であるところ,その後の改訂版〔甲B3,平成22年発刊〕では,12時間とされていることから,予後についての甲B1の記載は採用できない。),同日午前10時から間もない時期に本件病院の医師らが,内圧測定等を行い,その測定結果を踏まえて筋膜切開を行ったとしても,その時点では,回復が良好とされる阻血から6時間以内という時間的限界を超えていた可能性が相当に高く,また,不可逆的変化が生じ得るとされる阻血から8ないし12時間経過後であって,本件入院治療と同程度の入院治療が必要となった可能性も相当程度ある。
エ 以上からすると,本件病院の医師らに前記(1)の注意義務違反がなければ,原告Aに線維性拘縮及び右足首の神経麻痺等の症状が生じることがなく原告Aが本件入院治療を受けることがなかったことに,高度の蓋然性があるということはできず,本件病院の医師らの上記注意義務違反と原告に生じた結果との間に因果関係を認めることはできない。
第4 結論
以上のとおり,原告らの請求はいずれも理由がないから,これらをいずれも棄却するこ
ととし,主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第35部
裁判長裁判官 廣 谷 章 雄
裁判官 手 嶋 あ さ み
裁判官 水 野 峻 志
谷直樹法律事務所
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東京都新宿区四谷本塩町3番1号
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